家族連れの多い公園の広場で 子供が一人 泣き出した。
言ってみれば、それだけのことである。
多くの子供たちが保護者と一緒に やってくる光が丘公園では、ごく ありふれた出来事にすぎない。
にもかかわらず、それが 最終的に逮捕者が出るまでの騒ぎになったのは 様々な要因が重なってのことだった。

要因の第一は、何と言っても、偽金髪女性の言動が乱暴だったこと。
そして、ミコちゃんが彼女をママと呼ばず、ただただ 喉が張り裂けんばかりに泣き続けたこと。
ナターシャは当然、突然 現れた乱暴な女の人をミコちゃんのママとは思わず、悪者として認識し、悪者からミコちゃんを庇おうとした。
「ミコちゃん、こっちに来て!」
正義の味方のパパが 悪者をやっつけないのは、悪者がミコちゃんの腕を掴んでいて ミコちゃんが人質になっているからだと思ったナターシャは、悪者からミコちゃんを奪い返そうとした。
瞬と氷河が、そんなナターシャを止めようとする。

光速で動ける黄金聖闘士が そうしようとしたのだから 止められたはずなのに、ナターシャは黄金聖闘士二人の手をすり抜けて、再び 偽金髪の女性に取りつき、再び 振り払われた。
ナターシャの身体は倒れる前に 瞬に抱きとめられたが、ミコちゃんの泣き声は いよいよ激しくなり、氷河の表情は険しくなったのである。

そこに、公園内を警邏中だった光が丘地域安全センターの警官が通りかかり、足をとめた。
公園内で暴れる不埒者を片付ける作業で、氷河とは知り合い同士、公園内で具合いが悪くなった人の世話を幾度かしていて、瞬とも顔見知りの巡査部長である。
そして、彼が、その日 いつもより気合いを入れて園内警邏をしていたのは、警視庁が極秘にテスト運用している顔認証システムに、詐欺容疑で広域手配されている女が 光が丘駅に降り立ち、公園に向かったという情報が安全センターに入っていたからだった。
そして、ミコちゃんのママが まさに その手配犯だった――のだ。

彼女は 家族との折り合いが悪く、十代のうちに家を出て風俗関係の店で働き始めたらしい。
成人して、故郷の広島から上京。
5年前、ミコちゃんを妊娠、未婚のまま出産。
父親の可能性のある複数の男性に認知を迫ったが、全員が認知する代わりに金を渡してきた。
それで、彼女は、認知詐欺とでもいうべき慰謝料金詐取術を編み出したらしい。

仕事仲間たちから さりげなく、過去に付き合いのあった男の名と 付き合っていた時期を聞き出す。
彼女はミコちゃんを連れて その男性の家に行き、
「仕事仲間が『あなたの娘だ』と言い残して亡くなった。この子を引き取ってほしい」
と告げる。
彼女が ミコちゃんを連れていくのは、家庭持ちの男性ばかりで、大抵は 家族に知られないよう、金で片付けようとするのだそうだった。
自分の子でないことに絶対の自信があり、そう言い張る男性には、DNA親子鑑定をして確かめることを提案し、その料金を詐取してきたらしい。

詐取金の額は、1件につき、10万から50万程度。
表沙汰どころか 家族にも知られたくないことなので、あとで詐欺と気付いても被害届が出されることはなく、彼女の詐欺は ずっと うまくいっていたのだが、ある被害男性が 死んだはずのホステスに出会ったことで、彼女の犯罪が公のものとなった。

指名手配されてからの彼女は、当座の生活資金を稼ぐために、適当に見繕った家にミコちゃんを送り込み、その家の父親を『パパ』と呼ばせていたらしい。
まさに手当たり次第だったが、成功率は7割。
決して 低くはない。むしろ、かなり高い。
日本の家庭には、完全に貞節ではない夫、浮気をしたことのある夫と、家族に貞節を信じてもらえない父親、浮気をしかねないと思われている父親が7割前後いる――ということのようだった。

その詐欺の片棒を担がされていたミコちゃんには、“パパ”が何十人もいたのだ。
だが、“おねえちゃん”は、ナターシャが初めてで、たった一人。
そのおねえちゃんに乱暴されたから、ミコちゃんは あんなにも激しく泣いたのだったらしい。
彼女は、他にどんな力も持っていなかったから。
ナターシャと同じ、3、4歳の少女に見えていたミコちゃんの実年齢は5歳で、ミコちゃんの方がナターシャより ずっと お姉さんだったのだが。

母親の起訴が確実になったため、ミコちゃんは実母の母 ――祖母に引き取られ、広島で暮らすことになったらしい。
個人情報保護のため、ミコちゃんの広島の住所は教えてもらえなかったのだが、現役の栄養士であるミコちゃんの祖母は、ミコちゃんを見るなり、『野菜とタンパク質を摂らせなきゃ』と言ったとか。
その話を聞かされて、瞬は、完全にではないにしろ、心を安んじることができたのである。
ナターシャも、
「ミコちゃんのおばあちゃんは、ナターシャのマーマと おんなじダヨ!」
と、楽しそうだった。
「それなら、ナターシャ、安心ダヨ」
ナターシャは、今でもミコちゃんの おねえちゃんのつもりでいる。


「オレオレ詐欺ならぬ、パパパパ詐欺ですよ。瞬先生のところは、金目当てというより、とにかく綺麗で幸せそうな家族が気に入らなかったんだそうです。どんな立派な家の父親も――立派な家ほど、ミコちゃんに『パパ』と呼ばれると、家族から疑いの目を向けられるのが常だったそうで、瞬先生と氷河さんが喧嘩でも始めてくれれば、それでよかったらしい」
思わぬ巡り合わせで 広域手配犯を緊急逮捕するという手柄を立てることのできた巡査部長は、後日、公園のちびっこ広場にやってきて、ミコちゃんの来し方行く末の報告がてら、ミコちゃんのママの犯行動機を瞬たちに教えてくれた。

「おまわりさん、ヤッホー!」
ネットクライミング遊具のてっぺんから、ナターシャが巡査部長に呼び掛けてくる。
「ナターシャちゃん、ヤッホー。みんな、気を付けて遊んでねー」
警邏中の巡査部長は、ナターシャと子供たち全員に注意を喚起した。
それから、彼は、
「どこの家の父親も――いや、夫も、か――家族の信用がないようで、だが、瞬先生のお宅も 他の家と同じと決めつけるあたり、人を見る目がなさすぎた。詐欺師としては下の下ですね」
なかなか複雑な苦笑を残して、ちびっこ広場を出ていった。

子供たちの歓声があふれている ちびっこ広場。
平日の午前中ということもあって、パパとママの両方が揃っているのは“ナターシャちゃんち”だけだった。
「普通は浮気を疑うそうだ」
「氷河は普通じゃないから」
氷河が 顔を歪めたのは、それが全く 誉め言葉に聞こえなかったからだろう。
「ミコちゃん、幸せになってくれるといいけど」
「そうだな」

光が丘公園の上には、一足早く夏が来たような青空。
祈りには力があると信じて、瞬は 少女の幸福を心から願い、祈った。






Fin.






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