翌日 天気予報は梅雨明けの快晴だったが、グラード学園高校の上空(の更に一部)には 嵐の予兆たる暗雲が立ち込めていた。 瞬の説得の甲斐あって、久し振りに登校してきた転校生に、氷河が呼び出しをかけたのである。 こういう場合の『放課後、体育館の裏で』というセオリーを無視して、1時間目の授業が始まる前に。 転校生視点に立つと、瞬に登校するよう お願いされたので登校してきたら、校門を通り過ぎた途端、見知らぬ下級生に『ちょっと顔を貸せ』と言われたことになる。 紫龍からそのことを知らされた星矢は、 「アテナの聖闘士が、一般人と体育館裏で 私闘かよ!」 と、滅茶苦茶 嬉しそうに驚いた。 「私闘って、どうして !? 」 星矢とは対照的に(?)瞬の驚き方は普通(?)である。 「どうしても こうしても……氷河は おまえを転校生に取られたくないんだよ」 「僕、氷河のものじゃないけど」 星矢の解説の意味が理解できなかったらしく、慌てた様子だった瞬が、暫時 きょとんとする。 瞬の疑念は 至極尤も。 しかし、正論や道理が通じないのが、氷河という男なのだ。 「で、やらせとく? それとも、止めに行くか?」 「もちろん、止めに行きます!」 「よっしゃあ! 俺も付き合う!」 この面白い見世物を見逃してなるかと言わんばかりに、星矢の瞳は 期待で炯々と輝き、全身に気力が充満している。 「授業が始まるぞ」 と言うだけ言って、もちろん紫龍も 星矢たちと行動を共にした。 星矢と瞬と紫龍が、授業開始前の体育館裏に駆けつけた時、氷河と転校生は 取っ組み合いの喧嘩の前哨戦ともいうべき舌戦を繰り広げていた。 「瞬から話は聞いているぞ。やたらと瞬の買い物や散歩に付き合いたがる“寂しがりやの氷河”。俺に言わせれば、ただのストーカーだが」 「瞬を脅している不登校の反社会的勢力が何を言う!」 「俺は反社会的勢力などではないが、たとえ そうだったとしても、変質者の同性ストーカーよりは ましだ。瞬の気を引くために 寂しがりやの振りをするなんて、姑息にも ほどがある」 「俺は 寂しがりやの振りなどしたことはない。貴様こそ、わざと学校を休んで 瞬に心配してもらおうなんて さもしいことを思いつく卑劣漢。そんな男が、俺の瞬に近付くことなど許されん!」 「俺がいつ、そんな……」 「男の戦いに言葉は不要! 結果がすべてを証明するはずだ!」 氷河の戦い方は かなり卑怯である。 自分だけが言いたいことを言って 舌戦を打ち切るのは、対戦相手の攻撃タイミングを大きく狂わせる。 実際、転校生は、攻撃開始のタイミングを逸したようだった。 「貴様、自分だけ べらべら言いたいことを くっちゃべって――」 と、転校生がクレームをつけ始めたところに、氷河の最初の拳が炸裂。 もし、氷河の言葉通りに、結果がすべてを証明するのなら、その“すべて”とは、『戦いは卑怯者が勝つ』ということだったろう。 しかし、そうは ならなかった。 “結果”は、正しい事実を証明した。 氷河の卑怯な不手打ちは、不発に終わった。 その場に駆けつけた瞬の、 「氷河! 一輝兄さん! 止めて! どうして二人が戦わなければならないのっ!」 という制止の言葉によって、氷河の拳は爆発前に、しゅるるるる~と鎮火してしまったのである。 「一輝……兄さんだと……?」 瞬に兄が、星矢に姉がいたことは、氷河も聞いていた。 彼等が、修行地に送られる際に引き離されたことも。 無論、アテナの聖闘士育成のための修行には、期間の定まった指導要領があるわけではないから、全員が同じタイミングで聖闘士の資格を得て帰ってくるとは限らない。 人より早く聖衣を得る者も、遅れて得る者もいて 当然である。 瞬の兄が生きて日本に戻ってきたのなら、それは実に喜ばしいこと。 そして、それは隠す必要のないこと。 なのに、なぜ。 その場にいたアテナの聖闘士たちの疑念を代表して言葉にしたのは、紫龍だった。 「おまえの兄が生きていたのなら、それは俺たちにとっても嬉しい知らせだ。なぜ教えてくれなかったんだ?」 「だって……」 気後れしたように幾度か瞬きをし、それから 瞬は小さな声で、兄の生還を秘密にしていた訳を 仲間たちに打ち明けた。 「だって、氷河も星矢も紫龍も 一人なんだよ。僕だけ、兄さんが生きていました、再会できました――なんて、言えなかった……」 瞬が小さく小さく身体を縮こまらせたのは、 『おまえの兄が生きていたのなら、それは俺たちにとっても嬉しい知らせだ』 と、紫龍に言われたからだったろう。 自分だけの幸運を申し訳ないと思うことは、仲間たちの友情を信じていないことになるのだ。 「馬鹿だな。おまえの兄が生きていたということは、俺たちの仲間が増えるという慶事だぞ」 「ほんと、詰まんねー遠慮しやがって。瞬の兄貴が生きてたってわかったら、俺だって、いつか姉さんに再会できるって希望を持てるじゃないか」 紫龍と星矢の言葉に、瞳に涙をにじませた瞬が頷く。 星矢と紫龍は、それでよかった。それで済んだ。 だが、氷河は そうはいかない。 氷河は、愛する瞬の兄に 大上段に喧嘩を吹っかけてしまったのだ。 「て……転校生様は、瞬のお兄様であらせられましたか」 「そうだ。俺が瞬のお兄様だ」 「お見それしました。俺は――私は白鳥座の聖闘士で、ご令弟様には いつも大変お世話になっており――」 「俺が不登校の反社会的勢力だと」 「……」 『不登校の反社会的勢力とは、何のことでしょう?』と しらばくれることは不可能だった。 かといって、瞬の兄相手に、『見たままを、率直に言葉にしただけだ』と開き直ることもできない。 瞬が不安そうな目で、兄と氷雪の聖闘士を見上げ、見詰めている。 「う……」 瞬のために仲直り(をした振り)をしなければならないことはわかっている。 瞬の兄が生きていたことは、もちろん氷河も嬉しかった。 その気持ちに嘘はない。 嘘はないのだが。 「その言葉、死んでも忘れんぞ」 瞬の兄の瞳の中で燃え盛っている憤怒の炎が、『不登校の反社会的勢力』と決めつけられたことへの怒りの炎でないことがわかるから、氷河は 仲直りをする振りすらできなかったのだ。 瞬の兄が、白鳥座の聖闘士が自分の弟に対して抱いている好意に怒り狂っていることがわかるから。 『すまなかった』も『悪かった』も『仲直りしよう』も『これから、よろしく』も言えない。 それでも 氷河と一輝は、瞬の心を安んじるために、瞬の前で無言の握手はしたのである。 瞬の目には、和解のそれに見える握手。 実際のところは、宣戦布告の握手。 誤解して、瞬が嬉しそうに安堵の笑みを浮かべる。 そんな瞬の横で、星矢が、人類史始まって以来 最大級の嵐到来の予感に浮かれ、期待し、胸を弾ませていた。 アテナの聖闘士になって 本当によかったと思いながら。 Fin.
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