では、利発で氷河好みのナターシャの希望は 奈辺にあるのか。 もはや公園の気温の件をナターシャに忘れさせるためにではなく、瞬自身の興味から――瞬は、今度は その質問をナターシャに投げかけた。 「ナターシャちゃんは、多くの人に愛されたい? それとも、自分が好きな人に愛されれば、それでいい? みんなに自分を理解してもらいたい? わかってくれるのは、ナターシャちゃんが大好きな人だけでいい?」 ナターシャの答えは、 「マーマは?」 だった。 ナターシャは再び 瞬に問うてきた。 「ナターシャの目標はマーマだから」 そうすれば、もっとパパに愛されるから。 パパは、マーマを大好きだから。 瞬の問い掛けに答えていないようで、実は それこそがナターシャの答えなのかもしれなかった。 “パパの愛が いちばん大切で、何より必要”。 自分を守ってくれるのはパパだから。 大人びているようで、子供らしい。 それとも、子供というものは皆、大人びているものなのか。 自分たちの幼かった頃はどうだったかを、瞬は思い出そうとしたのである。 だが、明瞭に思い出せない。 これが大人になるということなのかもしれないと、瞬は漠然と思った。 「僕は、誰かに愛されたいと思ったことはなかった」 瞬は呟くように、そう答えた。 もとい、瞬は、答えるように、そう呟いたのだ。 愛を望んだことはない――と。 かといって、理解されることを望んでいたかというと、決して そんなことはないのだが。 他者に自分を理解してもらうのは 極めて難しいことだと――幼い頃から、成人しても、その思いは続いた。 幼い頃は、非力であるがゆえに、子供にも 心や意思があることを否定され続けた。 アテナの聖闘士としての力を得てからは、それぞれ異なる価値観を持つ者同士の理解の困難を思い知らされることが多かった。 『アテナの聖闘士が、人を傷付けたくない、戦いたくないと思うことは、馬鹿げている』 『善人ぶって、綺麗な振りをして、綺麗事を言って、結局は 自分が生き延びるために敵を倒すくせに』 瞬の心を、味方でさえも 理解してくれなかった。 理解されることは期待していない。 愛されることも望みはしなかった。 ただ、だが 瞬は、望むまでもなく、愛してもらえていたのだ。 そうだった。 忘れてしまったと思い込んでいた記憶が――むしろ、思いが――ふいに蘇り、瞬の瞳から一粒、涙のしずくが零れ落ちた。 「マーマ?」 ナターシャが 心配そうな目で、瞬の顔を覗き込んでくる。 氷河は無言無表情で、瞬を見詰めている。 瞬は、一粒だけ転がり落ちた涙の痕跡を すぐに拭い去り、ナターシャと自分のために微笑を作った。 「僕は、誰に理解されなくても平気だったんだ。氷河や兄さんが、いつも 僕を愛してくれていたから」 愛も理解も、自分のために望んだことはない。 それが瞬の答えだった。 「僕がどうなのかっていうことは考えずに、ナターシャちゃんは、ナターシャちゃんが正しくて素敵だと思う通りに生きていけばいいんだよ。僕も結局は、自分の思う通りに生きてきたから。ナターシャちゃんが優しい気持ちを忘れさえしなければ、きっと みんながナターシャちゃんを愛してくれる。少なくとも 僕と氷河は、何があってもナターシャちゃんの味方で、ナターシャちゃんを大好きだよ」 「ほんと?」 「もちろん、ほんと」 愛されたいのか、理解されたいのか。 そんなことを確かめようとすること自体が、そもそも無意味な行為である。 もともと ナターシャの注意を公園の気温から逸らすための 言葉遊びだったのだ。深刻に考えることはない。 |