羊の歌







羊の歌
安原善弘に

I 祈り

死の時には 私が仰向かんことを!
この小さな顎が、小さい上にも小さくならんことを!
それよ、私は私が感じ得なかったことのために、
罰されて、死は来たるものと思うゆえ。

ああ、その時 私の仰向かんことを!
せめて その時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!



「中原中也? おまえの趣味じゃないだろう」
瞬が読んでいる詩集を見て、氷河は一瞬も ためらうことなく、そう断言した。
氷河の言葉通り、その詩集は 自分の好みに合うだろうことを期待して購入したものではなかったので、瞬は氷河の決めつけを否定することはしなかった。
自分の好みに合うとわかっている詩集を読んでも、得るものはあるまい――得られるものは陶酔だけで、新たな気付きは得られまい――というのが、詩集を手に取る際の瞬の選択指標だったのだが、それには言及せず。
いずれにしても、この詩集は 詩を鑑賞するために購入したものではなかったので、瞬は 自分の好み等に言及する必要はなかったのである。

「ん……。僕が受け持っている患者さんに、胃潰瘍の内視鏡治療のために入院した50代の男性がいてね。昨日、病室に検診に行った時に、『死ぬ時には 仰向けで死にたいので、よろしく』って、言われたんだよ。宗教上の理由か何かなのかと思ったら、中原中也の詩に そういうのがあるとかで」
「詩でも宗教でも どっちでもいいが、胃潰瘍なんだろう。ただの」
「……医師としては、『そう。ただの胃潰瘍だよ』と答えるわけにはいかないけど、彼が命にかかわるような病に侵されているのでないことは確かだよ」
瞬の答えを聞いて、氷河は、キュウリのつもりでゴーヤを齧ってしまった人間のそれのような顔になった。

「たかが胃潰瘍で……。察するに、その男は、50過ぎの その歳まで、大きな病気一つしたことなく 生きてきたんだろう。初めての入院に浮かれて、自分が死ぬ悲劇に酔いまくっているド阿呆だ。風邪をひいて 学校を休む許可をもらった小学生と大差ない」
氷河の推察が ある部分では、図星を指していたので、瞬は小さく苦笑することになった。

「それまで 大きな病気一つせずにいた――というのは、当たり。エコノミックアニマルの最後の生き残りというか、今時の50代には珍しい会社人間で、これまで 家庭を顧みることなく仕事一筋で生きてきた人みたい。東証一部上場企業の、部下が150人くらいいる部長さんだから、一応、出世レースの勝ち組、成功者といっていいんだろうけど……。誰も 彼の お見舞いに来ないんだよ。ご家族も 会社の人も」
「誰も見舞いに来ないって、一人も?」

身寄りのない単身者、社会との繋がりが絶たれている無職の引きこもり。
そういった境遇にある患者の許に 見舞客が一人も来ないというのは、ある意味、自然で 当然なことである。
だが、既婚者で大企業の経営職に就いている人間の許に、一人の見舞客も来ないというのは、極めて珍しい。
瞬が接したことのある入院患者の中では、彼が初めてだった。

「胃潰瘍でも胃炎でも――もし入院するようなことになったら、この俺でも、冷やかしを含めて 10人くらいは見舞客が来ると思うぞ」
『まして、家族持ちの会社員なら』という意味合いの氷河の発言に、瞬は不本意ながら――無情にも――首を横に振るしかなかった。
現に 彼の許に見舞客は一人も来ていないのだ。

「息子さんが大学浪人中で、奥さんは息子さんに つきっきりだから 仕方ないとか、会社の方は虚礼廃止でプライベートでの付き合いは奨励されていないから当然だとか、患者さん自身は、見舞客が来ない理由をあれこれ言っているんだけど――あれは、そう思うことで自分を納得させようとしているんじゃないかな。奥さんも、1回も お見舞いに来なくて――本当に誰も来ないの」
「それで、人生に絶望して 中原中也か」
「中也には、もともと親しんでいたらしいよ。患者さん自身は 根っからの理系人間なんだけど、山口出身で、中也の詩には、小中高と 接する機会が多かったんだって」
つまり、中也以外の詩人の詩は知らない――ということなのだろう。
よりにもよって、唯一知っている詩人が中原中也。
氷河と瞬は 自然に、苦笑を交わし合うことになった。

「中原中也の詩、そんなに いいと思ったことはなかったんだけど……」
「汚れっちまった悲しみに、なすところもなく日は暮れる――だからな」
中也の詩集など呼んだことのない氷河の口から、すぐに そのフレーズが出てくるのは、もちろん それが有名なフレーズだから。
そして、それ以上に――氷河のことだから、嫌いすぎて覚えてしまったのだろう。
氷河の推察に、『当たらずとも遠からず』の意味で、瞬は肩をすくめてみせた。

アテナの聖闘士である瞬としては、『どうして希望を持って、前向きに生きようとしないの !? 』と、中也に問いかけたいところなのだ。
「あの患者さんが言っていた『羊の歌』も、もちろん 明るい詩ではないんだけど――」
そのページを開いて、氷河に指し示す。
いやそうに その文庫本を受け取って、氷河は、瞬が掛けているソファの隣りに腰を下ろした。

『死の時には 私が仰向かんことを!』

『羊の歌』は 四つの章で構成されている。
が、氷河には、第一章だけで十分だったらしい。
彼は、作者が そこにいないのを幸い(いても、そうしただろうが)、盛大に顔を歪めた。
「これは、人間は不感症の罰が当たって死ぬという詩か? 胃潰瘍男は、何かの罰が当たって、自分は死ぬのだと思っているのか?」

氷河が顔を歪めたのは、その詩が自分の好みではなかったから――ではないようだった。
おそらく、何か感ずるところはあったのだ。
だが、自分の詩の解釈に自信が持てない。
詩の解釈に正誤というものはなく(作者の意図と違う解釈をされるのが嫌なのであれば、詩人は感性に訴える詩ではなく、論理的な論文を書くべきである)、氷河は彼が感じた通りのものを、彼が感じた通りに 受け入れればいいだけなのだが。
それでも、とりあえず、瞬は、一般的で普通で標準的な人間なら、そう解釈するだろうと思われる詩の解釈を、氷河に伝えた。

「人は 自分が犯した罪への罰で死ぬ。この詩は、そう解釈されることが多いだろうね。その罪の中には、自分が 罪と自覚していなかった罪、気付いていなかった罪も多くあるだろう。自分では気付かぬうちに 人を傷付けたり、自覚せずに 人に傲慢に振舞ったり 残酷なことをしたり。最期の時には、せめて 自分が犯した罪のすべてを見て死にたい。そういう詩」
「自分が犯した罪を すべて、はっきり見るための仰向け希望か。どこまでも受動的な男だな。臨終告解も、自分ではせずに 見せてもらおうとは」

瞬も、我儘で怠惰な死人だとは思う。
だが それでも――無自覚無意識に自分の犯した罪を 永遠に知らずにいるよりは、それが どれほど つらいことであっても すべてを知りたいと願う気持ちは、ある種の勇気なのではないか。
自分の罪など知らぬままでいたいと考えるより 潔いのではないか。――とも思う。
瞬も、仰向けで死にたい人間だった。
死の間際より、罪を償うことができるだけの時間が十分に残っている頃、命に余裕がある頃に それらを知ることができたら、なおいいとは思うが。

「その患者さん、見舞客が一人も来ないのは、自分では気付かぬうちに、自分が周囲の人たちを傷付けたり、苦しめたりしていたからなんじゃないかと、不安になったみたい。『気付いていない罪が たくさん あるような気がするなら、退院してから、ご家族や ご友人と膝を交えて話し合ってください』って、言ったんだけど……。もう手遅れなくらい、みんなに嫌われてしまっているんだと一人決めして、一足飛びに『死にたい』、『死んだ方が楽』になっちゃったみたいなんだ」

十中八九――もとい、100パーセント、あの患者は死なない。
『死にたい』という願いは口だけのものだし、胃潰瘍でも死ぬことはない。
それは わかっているのだが、『見舞客が来ないくらいのことで、本当に死ぬわけがない』と、彼を突き放すことは、瞬にはできなかった。
身体だけでなく心も癒してやらなければ、医師は患者を完治させたとは言えないのだ。

「なるほど。家庭を顧みなかった仕事人間の なれの果てか。仰向けになって死ぬことを考える前に、起き上がって関係改善に取り組み始めればいいだけなのに。生きていれば、それができるのに」
「うん、氷河の言う通り、彼に必要なのは、前向きになるための ちょっとした きっかけだね。治療法を考えてみるよ」
「なんなら、俺が見舞いに行ってやろうか」
「え」

多分、冗談である。
そうに決まっている。
氷河に見舞いになど来られたら、胃潰瘍で入院している病人がパニック障害を併発して、病を重くしかねない。
もちろん 冗談に決まっている。
だが 氷河は、万に一つの確率で、同情心から 冗談としか思えない思いつきを実際の行動に移すこともあるので――瞬は対応に迷ったのである。

そこに、
「パパ、病院に誰かのお見舞いに行くノー !? ナターシャも行クー!」
お昼寝から目覚めたナターシャが飛び込んできた。
最近 ナターシャの許には お医者さんごっこのブームが来ていて、彼女は 病院や医師に関することに耳聡く目聡くなっているのだ。

ナターシャの登場は、もしかしたら、氷河にとっても幸いなことだったかもしれない。
ナターシャと一緒にオデカケするのなら、病院より公園の方が楽しいに決まっている。
見ず知らずの男の病床に行って、静かな声で『お大事に』と言うだけの遊戯(?)を、ナターシャが楽しめるとは思えない。
それだけなら まだしも、仲良し親子の見舞いは、孤独な胃潰瘍男の孤独を更に深くしてしまうかもしれない。
――等々のことを考えたのだろう。
氷河は、見舞い話を途中でやめてしまった。

見知らぬ50男の いつになるかわからない臨終改善計画より、可愛い愛娘の明日の過ごし方。
氷河にしては常識的な判断に、瞬は安堵の息を漏らし、そして、苦笑したのである。
そんな瞬に一瞥を投げて、氷河は少し きまりの悪そうな顔になった。






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