問題が起きたのは、8月最後の日。 ナターシャが行きたがっている恐竜博とリンクしていたデイノケイルスのニコちゃんの動画シリーズが、夏休みの終わりに合わせて完結。 最終回が配信された。 ナターシャには それだけでも大ショックなのに、その最終回が まさかの超バッドエンドだったのだ。 肉食恐竜のタルボサウルスに、親と兄弟を殺されて、一人ぽっちになってしまったデイノケイルスの子供 ニコちゃん。 たった一人で、過酷な恐竜時代を生きていかなければならなくなったニコちゃんは、エサ取りに失敗したり、危険な場所に迷い込んだり、肉食恐竜に食べられそうになったり、超大型恐竜に踏み潰されそうになったりしながら、ぎりぎりのところで危険をすり抜け、懸命に生きてきた。 やがて、大人になったニコちゃんは、かっこいいデイノケイルスと出会い、恋に落ちる。 20個ほどの卵を産み落としたニコちゃんは、90日の長きに渡って、ピンクの もふもふで大切な卵を温め続けた。 卵を狙う小型恐竜は あとを絶たず、ニコちゃんには 気の休まる時もない。 犠牲になった卵も 少なくなかった。 そうして、90日間 必死に守り続けた卵から孵った子供たちの、何と可愛らしいこと。 肉食恐竜のタルボサウルスに 親と兄弟を殺されて 一人ぽっちになったニコちゃんが、今では 10羽もの可愛い子供たちを育てるママなのである。 賑やかな大家族。 ママになったニコちゃんは、今度は、好奇心旺盛で無茶をする子供たちを引き連れて、子育てに奮闘することになった。 一人ぽっちだったニコちゃんが失敗を重ねながら学んだ生きる術を、ニコちゃんの子供たちは ニコちゃんに教えてもらう。 そうして、ニコちゃんの子供たちは 少しずつ育っていく。 このまま、穏やかで幸せなニコちゃん一家の暮らしが ずっと続くと思っていたのに。 8月の終わりに配信されたニコちゃんシリーズ最終回。 ニコちゃんとニコちゃんの小さな子供たちに、またしても、あの憎き肉食恐竜タルボサウルスが襲い掛かってきたのだ。 ぴょこぴょこ歩きの子供たちがいなかったら、ニコちゃんはタルボサウルスの襲来に気付いた時点で、すぐさま逃げ出していただろう。 そして、逃げおおせることができていただろう。 だが、ぴょこぴょこ歩きの子供たちは、ニコちゃんのように速く走ることができない。 逃げ出しても すぐにタルボサウルスに追いつかれ、次々にタルボサウルスに捕まり、食べられてしまうに違いなかった。 ニコちゃんの脳裏に、昔、自分の親と兄弟たちがタルボサウルスの牙と爪の犠牲になった時の記憶が蘇る。 あんなことは、もう二度と。 そう思うから――ニコちゃんは、子供たちを守るために、大きくて鋭い牙を持つ獰猛なタルボサウルスに立ち向かっていったのだ。 ニコちゃんは、木の葉や魚を食べる(呑み込む)雑食性。鋭い牙はない。 武器は、3本爪の“恐ろしい手”のみ。 勝てるはずがないのに――それは最初から わかっていたのに――ニコちゃんは タルボサウルスに立ち向かっていった。 そして、“恐ろしい手”を駆使して、何とかタルボサウルスを追い払うことができたのである。 だが、タルボサウルスとの死闘を戦い抜いたニコちゃんは、タルボサウルスの鋭い牙に首を噛まれ、背中を噛まれ、全身血だらけ。 もう立っていることもできない。 大地に倒れたニコちゃん。 ニコちゃんママの周囲に、子供たちが集まってくる。 ニコちゃんは、自分の大切な家族を守り抜いたのだ。 自分の命をかけて。 不安そうに鳴く子供たちの姿が、瀕死のニコちゃんの目に映る。 だが、もう、ニコちゃんは子供たちのために何をしてやることもできない。 可愛い小さな子供たち。 命をかけて守り抜いた大切な命たち。 ニコちゃんの視界が徐々に暗くなる。 そして、子供たちの姿は見えなくなった――。 ニコちゃんのCG動画シリーズは、6600万年前の恐竜世界を紹介するためのもので、おとぎ話ではない。 恐竜たちにセリフはない。恐竜たちは、ただ吠え、鳴くだけである。 動かなくなったニコちゃんママの周りで途方に暮れて、ぴぃぴぃ鳴く子供たち。 ナターシャは呆然。 まさに、声もない状態だった。 さすがの氷河も、子供向け恐竜動画に、この展開は“あり”なのかと、少なからず驚いてしまったのである。 これまで散々 ニコちゃんへの感情移入を煽っておいて、これは あまりといえばあまりな結末ではないか。 ぴぃぴぃ鳴いていた子供たちが、やがて、昔 小さな子供だった頃のニコちゃんがそうしたように、太陽の方に向かって歩き出す。 あの時のニコちゃんと違うのは、あの時のニコちゃんは一人ぽっちだったのに、ニコちゃんの子供たちは一人ぽっちではないということ。 しかし、よちよち歩きの子供たちは、いかにも頼りなく危なっかしい。 その旅立ちは、決して希望に満ちたものではなかった。 そして、そのまま切ない曲調のエンディングへ。 厳しい弱肉強食世界とはいえ(だからこそ?)、このCG動画シリーズに登場する恐竜たちは皆、生気に満ち、懸命に自分の生と自分たちの時代を生きていた。 生きることを怠けたり、諦めたりしている恐竜は、一頭もいなかった。 皆、必死に、それこそ命がけで生きていた。 生きることだけを考えて、生きていた。 しかも、大人も楽しめるとはいえ、一応は 子供向けコンテンツ。 なぜ こんな切ない曲がテーマ曲なのだろうと訝っていたのだが、こんなラストを用意していたからだったとは。 氷河は胸中で呻いてしまったのである。 ナターシャは、この結末に合点がいかないらしい。 それはそうだろう。 前回の配信まで、ニコちゃんとニコちゃんの子供たちは、緑豊かな森と澄んだ湖の側で、楽しく幸せに暮らしていたのだ。 それが急転直下の大どんでん返し。 ナターシャが、ニコちゃんのドラマに、こんな意外性や斬新さを――裏切りを――期待していたはずがない。 「ニコちゃんが かわいそうダヨ! こんなの変ダヨ! どうしてっ !? 」 ナターシャが 氷河ではなく瞬に説明を求めたのは、こんな時、ナターシャに納得できる説明をくれるのは いつもパパよりマーマの方だったからだったろう。 右に瞬、左に氷河。 リビングルームの長ソファの真ん中に座って、壁掛け型のプロジェクタースクリーンを見ていたナターシャは、小さな手で右に座っていた瞬の腕を掴み、すがりついた。 ナターシャの瞳には、涙がにじんでいた。 この涙を、この悲しい気持ちを、マーマに消してもらうのだ。 マーマならきっと、ニコちゃんの悲しい運命の意味を、自分にも納得できるように わかりやすく説明してくれる。 そして、この涙をとめ、希望をくれる。 そう信じて、隣りに座っているマーマの顔を覗き込んだナターシャの身体と表情は、だが、次の瞬間、ぴたりと動きを失ってしまったのである。 ナターシャは、ナターシャの涙をとめてもらおうとして、マーマにすがったのに、そのマーマがナターシャより大粒の涙を零して泣いていたのだ。 |