俺が そのケーキ屋に行ったのは、ケーキを買うためじゃなく、フードデリバリーのバイトのためだった。 俺は、某人材派遣会社と雇用契約を結んでいる、いわゆる派遣社員で、半年前までは 某有名賃貸仲介業者で 不動産事務をやってて、この4月からは 某有名警備会社で 警備記録の事務をやっているんだが、当然のことながら、そんな仕事じゃ 大した給料はもらえないから、土日や夜は ファストフードや弁当屋の運び屋のバイトをしてるんだ。 アプリに登録しておくと、運び屋を求めてる店の情報を検索できて、その中に自分にできるものがあったら、その店に行って、品を受け取って、客の家やオフィスに届ける――って、それだけの仕事。 自転車やバイクを持ってれば、未経験者にもできるし、自分が働きたい時だけ働けるバイトっていうんで、この仕事は 副業として かなり人気がある。 俺は練馬区光が丘界隈をテリトリーにしてて、そのケーキ屋は、俺のお得意さん――っていうか、いい仕事をくれる、いい雇い主だった。 ケーキ屋だから 運ぶのは当然 ケーキ。 もちろん 焼き菓子やチョコレートも運ぶけど、なんつっても 生ケーキを生のまま(つまり、凍らせずに)自宅まで運ぶサービスを売りにしてる店だ。 俺は、急の来客に出すケーキや誕生日用のホールケーキを配達する仕事を貰ってるんだけど、ファストフードやスーパーの配達と違って、ケーキは乱暴に運べないから(生ケーキがひっくり返った状態で届いたら、それだけでクレームの対象になる)、その分 この店の仕事は割がいい。 割がいいって言っても、1回の配達で配達料が50円高いってくらいのもんだけど。 ここのケーキ屋は、光が丘の駅を出て すぐのところに、5年くらい前にできた(俺がガキの頃にはなかった)テイクアウト専門店。 ウィンドウの脇に一つだけあるテーブルは、飲食用じゃなく、予約の申し込み用。つまり事務机だ。 クリスマスケーキと雛祭りケーキの予約の時期には、いつ来ても誰かが座ってるけど、そのシーズン以外は ほとんどパンフレットやメニュー置き場になってる。 9月は間違いなくオフシーズンで、なのに、その机に二人の客が座ってたから、俺は何となく、その客たちに目を留めたんだ。 目を留めてから、その二人が、いろんな意味で目立つ存在だってことに気付いた。 「『お誕生日、おめでとう』と『ハッピーバースディ』、どっちがいいカナ」 一人は金髪の若いパパ(この“若い”は、俺より若いって意味の“若い”だ)。 もう一人は、その小さな娘、ってとこか。 テーブルに着いている目的は、どうやら バースディケーキのオーダー。 「『マーマ & ナターシャ』と『瞬 & ナターシャ』の、どっちにするかも問題だぞ。瞬は、『ナターシャ』じゃなく『ナターシャちゃん』と書いてある方を喜ぶかもしれない」 二人は、タブレットに映し出されるケーキの写真を見ながら、頭を突き合わせて、どのケーキにするか、ケーキに書き入れる文言をどうするかを、熱心に話し合っている。 ここのケーキ屋は、ホールケーキに 凝ったレイアウトでメッセージを入れるサービスで、人気なんだ。 瞬っていうのが、ママの名前なんだろう。 女の子の名前は、ナターシャちゃん。 金髪男の金髪は 本物の金髪。 けど、その日本語は完全にネイティブのイントネーション。 どこから何をどう見てもガイジンさんだが、日本での生活がかなり長そうだった。 綺麗で幸せそうな親子。 女の金髪碧眼には目も眩むが、男が金髪碧眼のイケメンだと、ただただ腹が立つだけだ。 でも、やっぱり、本物の金髪と偽物の金髪は違うよな。 本物の金髪にも、明るいのから暗めなのまで 色々あるけど、やっぱり本物は偽物とは違う。 金髪パパは、男も見とれるほど いい男で(だから腹が立つんだが)、女の子は あんまりパパに似てなかった。可愛い子なんだけど、似てない。 こうなると、噂のマーマが気になるところだ。 俺が運ぶケーキは、厨房で、店主であるパティシエが準備してる。 何か想定外のことがあったのか、用意に手間取ってる。 いつもなら 配達する品の受け取りを待たされると 腹が立つんだけど、今回ばかりは ナターシャちゃんと そのパパが どんなケーキを選んで、どんなメッセージにするのかが気になるから、できるだけ時間をかけて準備してくれって、寛大な気分。 マーマとナターシャちゃんのバースディケーキがどうなるのかも気になるけど、パパと娘が あんまり似てないから、ママがどんな人なのかってことは、もっと気になる。 瞬マーマの誕生日が いつなのかは知らないが、そのケーキの配達を俺に頼んでくれたらいいなあと、俺は覗き見根性丸出しで思ったんだ。 思ったら――思った途端に、願いが叶った。 それも、ケーキの配達を俺にやらせてほしいって願いじゃなく、噂のマーマを見たいっていう願いの方が。 俺って、どんだけ日頃の行ないがよかったんだよ(まさか)。 「氷河、ナターシャちゃん」 ドアベルを からんからんと鳴らして 店内に入ってきたのは、すごく特殊な雰囲気の美人だった。 その人が 噂の瞬マーマだってことは、ナターシャちゃんが嬉しそうに、 「マーマ!」 って、呼ぶ前にわかってた。 ナターシャちゃんには似てないんだけどさ。 その人が、金髪イケメンパパと 明るい目をした可愛い女の子と“幸せな家族”を構成するのに最適の綺麗な1ピースだったから。 噂の瞬マーマ登場。 ナターシャちゃんの瞬マーマは、予想に違わず、もとい 予想以上の、もとい 予想外の美人だった。 予想通りに綺麗だったけど、その“綺麗”の内容が予想外だったんだ。 この人を“美人”って言葉で、世の美女たちと 一括りにまとめちまっていいんだろうかって、悩むような。 美しい人っていうなら、確かに そうなんだけど、一般的な美人っていうのとは 一線を画してる。 女っぽくないっていうか、おんなおんなしてないっていうか、女を前面に出してないっていうか、いわゆる色気がない。扇情的な色気がないんだ。セックスアピール皆無。 かといって、冷たく無機質なわけじゃない。 清らかで、優しげで、暖かくて、温かくて――俺は、すごく唐突に、昔 小学校で習った『春の小川』って歌を思い出した。 『春の小川は さらさら行くよ』って、あの歌。 あの歌の情景が、ぱーっと俺の眼前に広がった(ような気がした)。 田舎のさ、岸に スミレの花や レンゲの花が咲いてる小川。 流れてる水は綺麗に澄んでて、春だから、澄んだ水は温かい。 そんな ほのぼのした光景が、俺の頭の中で、瞬マーマに重なった。 こんな穢れを知らぬ美少女風マーマが、このイケメン金髪男とナニして、こんな娘を作ったのかあ。 そう思ったら、無性に腹が立ってきた。 イケメンは得だよな、ほんと。 春の小川マーマは、その声も 春の小川が さらさら流れるみたいに心地良かった。 表情は、ピンクのレンゲの花だ。 イケメンパパとナターシャちゃんが頭を突き合わせてるテーブルの方に歩いてって、その横に立って、ほんとに春の花みたいな微笑を浮かべる。 「どのケーキにするか、迷ってるの? ナターシャちゃんの好きなケーキでいいんだよ」 「ナターシャは、嫌いなケーキがないんダヨ。マーマのお誕生日だから、マーマの好きなケーキでなくちゃ」 迷うのは、嫌いなケーキがなくて、みんな好きだから。 そりゃそうだ。 「ナターシャちゃんの好きなケーキが、僕の好きなケーキだよ。それに、これは、ナターシャちゃんのバースディケーキでもあるからね。ナターシャちゃんは乙女座がいいんでしょう?」 「ダンゼン 乙女座ダヨ! パパは乙女座のマーマを大好きなんだモン。ナターシャも乙女座!」 おいおい。 乙女座が好きだから、誕生日を乙女座にするなんて、ナターシャちゃん、無茶なこと言ってるな。 まあ、1月1日生まれの乙女座や、3月3日生まれの乙女座ってのも、面白いかもしれないけどさ。 無茶なことを言うナターシャちゃんを、瞬マーマは にこにこ笑って見てる。 暦の上では とっくに秋だっていうのに、まるで そこだけ春のお花畑になったみたいに。 うん。まあ、とにかく、そんなふうに。 綺麗で目立つパパと娘の“二人連れ”は、春の小川マーマの登場で、綺麗で幸せそうな“家族”になった。 ナターシャちゃん一家に 目と意識を奪われてるのは 俺だけじゃない。 ケーキ屋の店員も、目を細めて 幸せそうに 綺麗な三人を見詰めてて、配達物の受け取りを待ってる俺のことなんか、すっかり忘れてるっぽい。 ここまで綺麗に無視されると、もう腹も立たないな。 俺のことを忘れてるケーキ屋の店員に対しては。 |