「いいか? この写真を普通に見たら、まあ、とてもアラサーには見えないけど、一応30歳前後の大人になったおまえと瞬が、どこかの小さな女の子と一緒にいる図だ。その女の子は、おまえが どっかの女との間に作った子供だと、瞬は思う。十中八九、そう思う。おまえと瞬のどっちかが女だってんなら 話は別だけど、そうじゃないんだから、そう思うだろ、普通。アテナの聖闘士になることを目指してた7、8歳の子供がさ、他に その写真に至るまでの どんなストーリーを思いつくってんだよ。おまえが どっかの女と子供を作って、逃げられるか何かして、瞬に育児を手伝ってもらってるんだとか、せいぜい そんなとこだろ」 「……」 自分が望む通りにならない可能性。 その可能性の内容が、氷河には想定外で、衝撃的すぎた。 「俺が他の女との間に作った子供の世話を、瞬に押しつけると――瞬が そんなふうに思うというのか」 「ナターシャは瞬には似ていない。おまえにも似てないが――ナターシャは おまえの腕に抱かれて、笑顔全開。それは当然、おまえが実の父親だからだと、瞬は思うだろ。全くの他人だったら、普通の子供は おまえと瞬の二人がいたら、瞬の方に懐くだろうからな」 「それはそうだが……」 星矢の推理と見解に、氷河は反論できなかった。 その推測は妥当だと、認めないわけにはいかなかった。 「どっちにも似てなくて、二人の間にできた子供でもあり得ない。子供は、パパ大好きの笑顔。瞬は当然、写真の少女をおまえの実子だと思う」 「……」 「おまえが馬鹿な写真を見せるから――瞬は、おまえがどこぞの女との間に娘を儲けると信じて、20数年間を生きることになる――生きてきたことになる」 「誤解だっ!」 氷河の悲鳴じみた声は、公園のちびっこ広場のネットクライミングに挑戦中だったナターシャの耳にも届いたらしい。 ナターシャは登りかけのネットを握りしめながら、パパの立っている方を振り返った。 瞬は誤解している。 水瓶座の黄金聖闘士が 自ら、誤解させるようなことをしたのだ。 瞬は誤解したままだろうか。 スマホなどなかった時代。 未来を映す機械だと言われて 見せられた、自身と仲間の大人になった姿。 瞬は、それを、紛れもない現実、確かな事実と信じて 生きてきたのだろうか。 20数年間も――? 水瓶座の黄金聖闘士がナターシャを拾ってきた時点で、“誤解”は解けているだろうが――。 「おまえが どこぞの女との間に子供を作るっていう誤解は、今は解けてるだろうけど、瞬は、20年以上、おまえはどっかの女と子供を作るって信じてきたわけで――」 「俺が初めて瞬に 好きだと言ったのは、15の時だぞ。それから2年後には、瞬は俺を受け入れてくれていた。瞬はきっと、俺が写真を見せたことを、夢だと思ったんだ。だから――でなかったら……」 「最初から、おまえの裏切りや別れを覚悟してただけかもしれないぞ。その上で、おまえの我儘を聞き入れるくらいのこと、瞬ならやりかねない」 星矢の推察は、そのどれもが“あり得そう”な推察だった。 氷河の頬からは血の気が引き、彼の頬は真っ青になっていた。 「パパ……?」 ネットクライミングを途中でやめ、パパの許に戻ってきたナターシャが、血の気が失せ強張っている氷河の顔を下から見上げ、不安げに眉を曇らせる。 ナターシャは両腕を伸ばしてパパの右手を掴み、氷河は そんなナターシャを見おろした。 「ナターシャ、まずいことになった。しょっぱなからトラブル発生だ。俺としたことが……」 青ざめ強張った氷河の顔を見た時から、ナターシャは その予感を覚えていたのだろう。 不安が明白な不都合になったことで、ナターシャは かえって気丈な表情になった。 「パパ。パパとナターシャの世界一のマーマ カクトクプロジェクトはどうなるの? 失敗なの? 中止するの?」 氷河が幼い瞬に 誤解を生む種としか思えない写真を見せるために 過去に飛んだのは、ちょっとした気まぐれから出た軽挙妄動ではなく、何らかの計画の実行中に起きた深刻なトラブルだったらしい。 「パパとナターシャの世界一のマーマ カクトクプロジェクト? なんだよ、そりゃ」 という、間も抜け気も抜けたような星矢の問い掛けに答えてきたのは、ナターシャだった。 「パパとナターシャとで、立てた秘密計画だよ。ナターシャには、カッコいいパパだけじゃなくて、綺麗で優しいマーマもいなきゃならないって、パパが言うから、パパとナターシャの二人で、世界一のマーマをカクトクするプロジェクトを立ち上げたんダヨ!」 そうして ナターシャの世界一のマーマとして白羽の矢を立てられたのが、正真正銘 男子であるところの瞬だったらしい。 そのプロジェクトを成功させるために、氷河は過去に飛んだ。 そして、自分のしたことが完全な誤りだったことに、氷河は たった今 気付いた――という流れらしい。 氷河のこのプロジェクトのトラブルは、もちろん、その計画を立てるに際して、彼が瞬に相談できなかったからだろう。 せめてプロジェクトの実行に取り掛かる前に、瞬にアドバイスを求めることができていたなら、氷河は こんな愚行を行なわずに済んでいたはずだった。 浅慮と猪突猛進と軽挙妄動で、己れの人生を彩ってきた氷河は、だが、過ちと誤りに慣れているだけあって、その対処に関する判断は素早く的確だった。 「ナターシャ。計画変更だ。エマージェンシー発生。すまん。俺がミスして、計画が狂った。もうマーマが来るのを、のんきに待っていられない。世界一のマーマ獲得プロジェクトが滅茶苦茶になる前に、直接アタックに行く。今すぐにだ」 「らじゃ!」 悩んでいるより行動している方が、人の精神は健康でいられる。 失敗したら、やり直せばいいし、倒れたなら立ち上がればいい。 氷河と暮らすことで、ナターシャは、七転び八起きの精神と 立ち直りの速さだけは、着々と身につけているようだった。 「これで瞬の思慮深さが加わったら、無敵だな」 瞬の勤め先である光が丘病院に向かって駆け出した父娘の後ろ姿を見送りながら、星矢は、彼らしく前向きな呟きを呟いたのだった。 |