氷河の中に、主たる人格とは別に、瞬を好きな氷河が もう一人、もしくは それ以上 存在する。
別人格の氷河(たち)は 自己抑制力が強靭とは言えず、力尽くで 瞬を我が物にしようとする可能性がないでもないが、瞬の力を もってすれば、彼等を撃退することは容易であるから、瞬が実害を被ることはない。
とにもかくにも、氷河は病気なのだ。

それが、城戸邸で起居するアテナの聖闘士たちの共通認識となった。
そういうものだと周知されれば、それはそれだけのことで、特段 騒ぎ立てることでも 解決を急ぐべきことでもなかった。
別人格の氷河は 滅多に表に出てこなかったし、表に出てきていても、瞬を好きなこと以外、本来の氷河と異なる点がなかったので、氷河の仲間たちは そうと気付くこともなかったのだ。
氷河の解離性同一性障害は、食事や お茶の際、しばしば歓談の話題に上るようにさえなっていた。

「本当のことを言うと、俺の中には、瞬を好きな俺が 三人はいるような気がしているんだ。マーマが死んで 一人で城戸邸に連れてこられた時、カミュが死んだ時、アイザックを倒した時――俺が 別人格に逃げそうになった時、俺に優しくしてくれたのは、いつも瞬だった」
「身内が死ぬたび、別人格を作って、瞬に慰められて、瞬を好きになるのを繰り返してたってのかよ? おまえ、打たれ弱いんだか、しぶといんだか、まじで わかんねー奴だな」

捉えようによっては、悲惨で悲愴な話である。
だが、それが悲愴で済むのは、第二の人格まで。
第三第四の人格までが存在するとなったら、それは もはや笑い話でしかなかった。
実際、星矢は、氷河の その話を聞いて 笑っていた。

「で、主人格以外のすべての人格が瞬を好きだなんて、進歩がないっていうか、惰性的っていうか――主人格だけが、瞬を好きでも 何でもないのかよ?」
「もちろん俺は 瞬が好きだ。嫌う理由がない」
「でも、好きの種類が違うのか。難しいなー」
『難しいな』と言って、実際に 星矢は難しい顔を作ったが、それは10秒と続かなかった。
すぐに緊張感を欠いた砕けた顔になる。

「自分の中に 幾つも人格があって、そいつら全員が瞬を好きでいるのに、喧嘩にならないのか? 恋のライバルが 自分の中に何人もいるんだぞ」
「瞬を好きな人間が三人いたとして、誰か一人が瞬を手に入れたら、あとの二人は失恋することになる。失恋した二人が、妬みで、瞬を手に入れた奴を消してしまうかもしれん」
「三人全員が振られる可能性がいちばん大きそうだけどな」
「瞬。おまえ、どの氷河が好きとかあるのか?」
「え」

これは笑いながら語り合うような話題なのだろうか。
星矢たちに何を言われても ほとんど無表情の氷河を ちらちら盗み見ながら、内心 ひやひやしていた瞬は、突然 水を向けられて、少なからず慌てたのである。
「嫌いな氷河はいないよ」
という、真実だが 当たり障りのない答えを口にしてから、瞬は氷河に尋ねるように呟いた。

「何人も氷河がいるっていうけど、僕、その違いがわからないんだ。氷河は氷河だよ。いつも同じに見える。いつも同じに感じる」
「ははは。人格分裂した甲斐がないな、氷河」
氷河から答えは返ってこなかった。
氷河が何か言う前に、星矢が氷河を茶化す。

「確かに、氷河って、こんなふうだったかなって違和感っていうか、いつもと違うような感触を覚えることはあるから、氷河の中に 複数の人格があるのは事実なんだろうけど、でも、区別はつかない」
「まあなあ。『こんにちはー、第二人格の氷河ですー』とか、宣言して出現するわけじゃないからなー」

星矢は、どうしても この状況を笑い話にしてしまいたいようだった。
耐えることが容易でない つらい試練に出会った時、氷河は別人格を作って 耐え抜いた。
瞬は、泣くだけ泣いて乗り越えた。
紫龍には、春麗という支えがあった。
星矢は、笑って――どんな苦難も笑い飛ばして 耐え、乗り越えてきたのだ。
それは、星矢の性のようなものだったかもしれない。

その星矢に、
「瞬。おまえ、氷河を そういう意味で好きになれんの?」
と、急に真顔で問われた時、瞬は驚いて――何に驚いたのかは、瞬自身にも わからなかったが――結局、瞬は 星矢に問われたことに答えることができなかったのである。






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