日曜の午後。
つまり、氷河も瞬も仕事のない日時に、
「三者演奏ビデオ出演へのお礼と感謝とお祝いと、その後の報告会を兼ねた お茶会を開きたいから、氷河とナターシャちゃんと一緒にいらっしゃい」
と、沙織が言ってきたのは、そのお茶会に氷河が同席しても 大きな問題は発生しないと判断してのことだったろう。
沙織の計画は無事に完了し、成功を収めたのだ。
瞬も、今回は、どんな懸念も不安もなく 穏やかな気持ちで、沙織の招待に応じることができたのである。

「瞬。協力、ありがとう。おかげで コンクールの認知度は 予想以上に上がったし、生徒学生の部だけでなく、成人の部も 参加問い合わせが引きも切らず。やっぱり、全くの初心者である瞬の起用が、指揮者を目指す人材の裾野を広げるのに役立ったと思うのよ。本当に、瞬のおかげ。ありがとう。助かったわ」
沙織は、瞬を褒めているようで、その実、瞬の起用を思いついた自分自身を称賛していた。
実際、この計画の成功は、沙織の企画力に依るところが大きいと思うから、瞬は にこやかに、
「僕が お役に立てたのなら、何よりです」
と応じて、彼女に頷いたのである。

「見映えで選んだというのも、全くの大法螺ではなさそうだったな。瞬は、顔も表情も姿勢も所作も美しくて――指揮者というのは、見た目も大事だ」
お礼と感謝とお祝いと、その後の報告会を兼ねた お茶会への祝辞に ふさわしいのかどうかの判断が難しい氷河のコメントは、
「どんなに見た目がよくても、オケの指揮者など絶対に務まりそうにない某水瓶座の黄金聖闘士のような人もいるのだけれどね」
という沙織のコメント返しによって、ほぼ無効化されてしまった。
とはいえ、沙織は、そのコメント返しを口にした直後に氷河に深く頷き返すという、少々 矛盾した行動に出たが。

「合唱団なども もちろん そうでしょうけど、特にオーケストラの指揮者には カリスマ性が必要なのよ。指揮者は、音楽や楽曲、演奏への愛だけでは駄目。指揮法等の技術だけでも駄目。オケの指揮者には、オケのメンバーたちに『この人のために頑張りたい』と思わせる魅力が必要なの。オケのメンバーに『この人のためには頑張りたくない』と思われたら、いい演奏なんかできるわけがないもの」
「それは そうだ」

「天才指揮者と呼ばれる人たちは誰も、ある意味で、愛される天才でもあるわね。人格者でも 我儘なワンマンでも、彼等には何か抗し難い特別な魅力があるのよ。だから、成功した指揮者は皆、ある種の美を備えている。人間は美しいものに惹かれるの。あの世界のオザワだって、少々 怪異ではあるけれど、醜くはないでしょう?」
指揮者には美が必要――もとい、美も必要――という氷河の意見に、詰まるところ、沙織も賛成しているようだった。
美だけでは どうにもならないし、美にも いろいろな美があると考えているだけで。

「グラードオケの団員が、瞬の指揮で、他の曲も演奏してみたいと言っていたそうよ。演奏したメンバーがね、演奏していて、自分が とてもいい人になったような気がしたんですって。とても気持ちよかった、また振ってほしいと、口を揃えて言っていたとか」
「いかにも 瞬らしいエピソードだ」
氷河の呟きに、沙織が、今度は全面的かつ大々的に 同意の微笑を浮かべる。
ココナツのプチケーキを二つ平らげたばかりのナターシャも、満面の笑みで 大人たちの会話に混じってきた。

「ナターシャ、マーマの『白鳥』、大好きダヨ。ふんわり、あったかい白鳥さんだったヨ。ナターシャ、すごく いい気持ちになったヨ」
「本当、素敵だったわね。でも、ナターシャちゃんが指揮するなら、また違う曲になるでしょう?」
「ナターシャなら、もっと明るくて元気な曲にするヨ。みんなが張り切って 行進したり、踊ったりできるような曲にする。白鳥の行進ダヨ。ナターシャ、指揮者になりたいナ! マーマ、綺麗でカッコよかった。せーの! で、演奏開始ダヨ」
「まあ。教育啓蒙ビデオの第二弾を作る時は、ナターシャちゃんに 指揮をしてもらおうかしら」

その思いつきを、沙織なら本気で実行に移しかねない。
瞬は慌てて、場の話題を変えた。
「あのビデオを観て 初めて思ったんですけど、正解不正解のあることではないですから、指揮者のコンクールというのは評価が難しいんでしょうね」
それが、瞬による意図的な話題のすり替えだと気付いてはいたのだろうが、沙織は すり替わった話題に 素直に乗ってきてくれた。

「それは もちろん、人によって、感じ方は違うし、好みも違うし、その演奏、解釈に価値があるかどうかの判断も、魅力的と感じるかどうかも、すべては 人それぞれ。楽曲の演奏というのは、人生のようなものね。生まれてきて、生きて、死ぬという同じ曲を、人は皆 それぞれに 自分の理想を思い描きながら 奏でていくのよ」
死を経験することのできない女神の言葉であるがゆえに、それは不思議な重みをもって、瞬の心に染み入った。
人間というものを どんなに愛しても 人間には なり得ない女神が、そんな自分を振り切るように、女神らしい笑顔を作る。

「瞬。協力、本当に ありがとう。日本の音楽界の振興に 多大な貢献をしてもらったわ。音楽も、人を幸福にするものよ。これも、アテナの聖闘士の務めだったのだと考えて、自分の成し遂げたことを誇りに思ってちょうだい」
「はい」
畏れ多くも女神アテナに感謝の握手を求められ、瞬は 自分したこと(させられたこと)に、何となく誇りを感じ、何となく納得してしまったのだった。
――のだが。






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