検索ワード『チョコレート』で表示される映画など、英国の児童文学『チョコレート工場の秘密』を映画化したものくらいしか思いつかない。 瞬は、検索ワードを変えた方がいいのではないかと ナターシャに助言しようとしたのだが、意外にもチョコレート関連の映画やドラマは 決して少なくなかった。 実写にアニメーション、日本で制作されたものと外国作品が半々。 国内で制作された作品は、その大部分がバレンタインデー絡みの作品で、欧米で制作された作品には その傾向は見られない。 バレンタインデーに 好意を抱いている人にチョコレートを贈るのは、日本とアジアの一部だけの習慣――というのは、紛れもない事実であるようだった。 「チョコレートの映画、いっぱいあるね。ナターシャちゃん、観たい作品はある?」 「んーとネ。これ」 検索結果の最初の20作品ほどを眺めてから、ナターシャが指さしたのは、『チョコレートドーナツ』というタイトルの映画――のようだった。 紹介画像には、太った男の子のイラストが描かれている。 ドーナツを食べて太った男の子の話かもしれない。 「『チョコレートドーナツ』? ドーナツ工場のお話かな」 「きっと、お菓子の家じゃなく、ドーナツの家のお話ダヨ!」 タイトルとパッケージ画像で、ナターシャの想像の翼は既に空高く舞い上がってしまっているらしい。 わくわくしている気持ちを二つの小さな拳の形で表して、ナターシャは 少し上擦った声で言った。 ナターシャは『ヘンゼルとグレーテル』のお話が好きで、特にお菓子の家の描写が お気に入りなのだ。 クッキーの屋根、タルト生地の壁、クラッカーのドア、氷砂糖の窓、チョコレートの柱、クリームとマジパンの花が飾られている素敵な家。 ヘンゼルとグレーテルが無事に魔女の手を逃れ、元の家に戻ってからも、ナターシャは お菓子の家がどうなったのかということばかりを気にしている。 「ドーナツなら、おうちじゃなく、高い塔か遊園地かもしれないね」 きっと主役の男の子は、ドーナツをたくさん食べて太りすぎ、ドーナツの輪のドアを通ることができなくなったに違いない。 甘いものの食べ過ぎと飲み過ぎに注意喚起するのに適した映画なら、ぜひナターシャには観てもらおう。 そんなことを考えながら、作品の紹介文を読んでみたら、とんでもない。 そこには 実にとんでもない作品紹介文が記されていた。 薬物中毒の母親に育児放棄された発達障害の子供を、自分たちで引き取り育てていたゲイカップルが、社会的差別によって、子供から引き離されるという、実話を元にした差別問題提起映画。 育児放棄した薬物中毒の母親は、息子に まともな食事を与えず、ドーナツばかりを食べさせていた。 母親に見捨てられた発達障害の子供の好物がチョコレートドーナツだったのだ。 パッケージの絵の男の子が太っているのは、甘いものの食べ過ぎというより、強いられた偏食と運動不足のせいであるらしい。 胸中で焦りながら 瞬が調べると、映画の結末は悲惨の極み。 優しく世話好きのゲイカップルの許で幸せに暮らしていた少年は、裁判所の判断で、社会的に真っ当で 法的に正当な親権を持つ母親の許に戻されてしまうのだが、まともに子供を育てる気のない母親は、真冬の空の下に子供を追い出してしまった。 幸福から引き離された哀れな少年は、自分が帰るべき“家”を探して、真冬の町を3日間 さまよい続け、見付け出せず、やがて 飢えと寒さのために命を落としてしまう――。 視聴者の評価は かなり高かったが、とてもナターシャに観せられるような映画ではない。 瞬は、自分でも引きつっているのがわかる笑顔を作って、さりげなく、太った男の子の絵が見えなくなるよう、パソコンの画面をスクロールさせたのである。 「ナ……ナターシャちゃん。この映画は、チョコレートドーナツの食べ過ぎで太っちゃった男の子のダイエット映画なんだって。ナターシャちゃんはスマートで、スタイルがいいから、この映画を観る必要はないみたい」 「ダイエット映画……?」 ダイエットという単語を聞いて、ナターシャはすぐに『チョコレートドーナツ』への興味を失ってしまったようだった。 出鼻を挫かれて 機嫌を損ねたらしく、頬をぷっと膨らませ、それから がっかりしたように 長く吐息する。 そこに救いの手を差しのべてくれたのは、それまで ほぼ無言で瞬とナターシャのやりとりの様を眺めていた氷河だった。 がっかりして肩を落としているナターシャの頬を人差し指で突いてから、彼は瞬たちに一つの提案をしてきた。 |