ハーデスとの戦いが終わった後に残されたのは、守護する聖闘士のいない十二の宮だった。 しかも、星矢は戦力外。 アテナは、当然のように、黄金聖闘士を凌駕する小宇宙を持つ青銅聖闘士たちを 黄金聖闘士にして、聖域の守りを固めることを考えた。 それも、できるだけ早く――と。 それはそうだろう。 聖域は、地上の平和の砦である。 その平和の砦が無人では、地上世界の防衛体制が あまりにも心許ない。 「俺と氷河は、他の誰かに師の聖衣を渡すわけにはいかないと思っていたから、師の跡を継ぐ意思はあったんだ。だが、瞬が、自分はとても 先代には及ばないと言って、乙女座の黄金位を継承することを渋った。瞬が 自分は力不足だと言っているのに、俺と氷河が黄金聖闘士になるわけにはいかないだろう」 そういう経緯で、瞬たちの黄金位継承は しばらく 先送りされることになったのだった――結果的に数年。 「とはいえ、先送りするにも限度がある。聖域を何年も黄金聖闘士不在にしておくわけにはいかない。だから、ハーデスとの聖戦が終わってから3年後、まず 俺と氷河が黄金聖衣を継承したんだ。その上で、瞬にも黄金聖闘士になることを促した。ところが、瞬は それでも黄金聖闘士になることを承知しない」 「謙虚な瞬らしいっていえば 瞬らしいけど……珍しく、頑固だったんだな。瞬が黄金聖闘士になったからって、誰が傷付くわけじゃないのに」 星矢のコメントに、瞬が気まずそうに肩をすくめる。 瞬は、自身の頑固を自覚してはいたらしい。 「俺と氷河は、瞬を黄金聖闘士にするには、一輝を黄金聖闘士にするしかないと思った。瞬のことだから、兄の一輝より先に 弟の自分が黄金位を継承するわけにはいかないと、いらぬ遠慮をしているに違いないと思ったんだ。それで、3ヶ月かけて 一輝を探し出し、瞬のために黄金聖闘士になってくれと頼み込み、なんとか黄金聖闘士になってもらった」 「内堀外堀をすべて埋めたって感じだな。それで難攻不落のアンドロメダ城も ついに落ちたってわけだ」 徳川家康は、天下の名城 大阪城を落とすのに、関ケ原の戦いから大坂夏の陣まで15年をかけた。 それに比べれば まだまだ――と 星矢は思ったのだが、瞬の黄金位継承への道は、それこそ“まだまだ”険しかったらしい。 「なんの、そこから更に2年」 と、紫龍は応じた。 「更に2年?」 「それでも まだ、瞬は黄金位継承を固辞したんだ。最後には、おまえが黄金聖闘士にならないと、貴鬼を牡羊座の聖闘士にしてやれないと説得して、何とか黄金位を継承してもらった」 貴鬼を担ぎ出して、やっと陥落。 瞬の粘り腰は、その時 その場にいなかった星矢にこそ、誰よりも意外に感じられる事態だった。 「おまえ、そんなに 黄金聖闘士に なりたくなかったのか?」 改めて まじまじと瞬の顔を見詰め、星矢が問う。 瞬は困ったような微笑を浮かべた。 そうしてから、瞬が、瞬らしくなく、視線を脇に逸らす。 「そういうわけじゃないんだけど……。紫龍たちの先代は老師、カミュ、アイオリア。星矢の先代はアイオロスでしょう? でも、僕の先代はシャカなんだよ。あのシャカ。僕は、とても あの人の後継が 自分に務まるとは思えなかったんだ」 「シャカの後継も何も、乙女座の黄金聖闘士としてイレギュラーなのはシャカの方だろ。シャカより おまえの方が 乙女座の黄金聖闘士には断然ふさわしい。乙女座に仏教なんて全然関係ないし、最後まで人間を見捨てまいとした女神アストライアの星座の主が無慈悲を売りにするなんて、滅茶苦茶 おかしいんだから。シャカの方が不適格でアンマッチなんだよ。小宇宙の力だって、シャカみたいに変に捻くれてないだけで、実は おまえの方が強大だぞ。乙女座の黄金聖闘士には、シャカより おまえの方がふさわしい。それがわからない おまえじゃないだろ」 『力不足』は、瞬の黄金位継承固辞の本当の理由ではなかっただろう――と、星矢は思わないわけにはいかなかった。 青銅聖衣を神聖衣にクラスアップできるほど強大な小宇宙を燃やし得る自分を知ってしまった人間が、『自分には力がない』と思うことは困難である。 もし瞬が本気で そう思っていたのなら、瞬は神にでもなろうとしていたのだとしか思えない。 しかし、瞬は、そんな愚かな望みを抱く人間ではない。 当然、瞬の黄金位継承固辞の理由は、他にあるはずだった。 「黄金聖闘士は、青銅聖闘士と違って、自分の宮を任されるでしょう。負うことになる責任も段違いで――黄金聖闘士になってしまったら、一生 戦いから逃れられなくなるんだと思ったんだ。人を傷付け、倒し、命を奪うことを、自分の務めと思うしかない。そういうのがね……」 小さな声で 呟くようにそう言って、瞬が瞼を伏せる。 それは、『シャカには及ばない』よりは、瞬らしい理由だった。 無理をすれば 納得できなくはないが、完全に納得することはできない。 星矢は そういう顔をした。 瞬が、ごく微かに、自嘲気味の笑みを浮かべる。 『嫌なら、無理に黄金聖闘士になる必要はないんだぞ。おまえが その気になるまで、アテナも聖域も世界も待たせておけばいい。おまえは、これまでが いい子すぎたんだ』 「――って、よりにもよって 氷河に言われて……。それで自分が駄々っ子になってるんだってことに気付いて、覚悟を決めたんだよ」 笑いながら 氷河をからかいの種にするところを見ると、それも瞬の黄金位継承忌避の真の理由と原因ではないのだろう。 瞬が そこまで隠そうとするものを、無理に探り出そうとするわけにはいかない。 星矢は、それ以上 瞬の黄金位継承固辞の理由を探るのを やめることにした。 「でも、ま、おまえが黄金聖闘士になってくれて、乙女座の黄金聖衣も喜んだだろ。もしかしたら、初めて“乙女”の名にふさわしい可愛い子ちゃんが、自分を まとってくれたんだから」 「だから、それは どういう意味」 再び 星矢の口元が引きつる。 とはいえ、星矢は、最強の乙女座の黄金聖闘士の“にこにこ”を 本気で恐れているわけではなかった。 “恐れることを知らない勇者ジークフリート”というより、グリム童話の“恐れることを覚えるために旅に出た男”並みに、星矢は恐れ知らずだった。 基本的に星矢は恐れや怒り、悲しみといった負の感情に どっぷりと身体の芯まで 漬かりきるということがないのである。 前向きな星矢は その前に――どっぷりと身体の芯まで 負の感情に漬かり侵されてしまう前に――そういった感情を弾き飛ばす方法を考え、実践する。 そんな星矢にも、黄金位を継承し、正式に黄金聖闘士になってからもなお、瞬が抵抗を続けたことは 全くの想定外、困惑するしかないことだったが。 |