そうして やってきたコンクール当日。
日曜日。コンクール開始時刻は午後1時。
その日、氷河が 星矢を光が丘公園イベント広場に呼びつけたのは、彼自身が直接 自分の目で(= ファインダー越しにではなく、自分の目で)ナターシャのダンスを見るためだった。
つまり、星矢は 動画撮影要員として呼ばれたのである。
星矢は、報酬(おやつ)に釣られて、ほいほいと飛んできた。

入賞者への賞品は、光が丘公園の広報ビデオへの(無償)出演と、光が丘公園内のパン屋さんのメロンパン購入チケットという、見事なまでに内輪の ご町内イベントだというのに、コンクールは大盛況だった。
300席ほどしかないイベント広場の客席は すぐに埋まり、氷河と瞬は他の客に席を譲って、自分たちは立ち見をすることにしたのである。

コンクール参加チームは25組。
ダンスの時間は2分だけなのだが、どのチームもメンバーの移動や準備に ダンスの2倍くらいの時間がかかっていた。
チーム・ジャスミンの登場は、25組中13番目。ちょうど真ん中
もちろん、ナターシャたちのダンスは可愛かった。
ダンス終了後、観客たちの大きな拍手と大歓声を受けて、ステージ上の子供たちも皆、明るい笑顔。
踊り終わった子供たちが、頬を紅潮させ、嬉しそうにお辞儀をし、観客席の後ろの方にいる氷河と瞬を見付けたナターシャは、彼女のパパとマーマに大きく手を振ってきた。
その様子も、星矢はちゃんとビデオカメラに収めている。

「光が丘病院 チーム・ジャスミンの皆さんの可愛らしいダンスでした。マツリカというのは、ジャスミンの花のことなんですよ。今日のコンクールのために 急遽 結成されたチームだそうですが、チームワーク抜群でしたね。さて、次は、光が丘 歌う老人会の皆さんのマツリカダンスです。盛大な拍手で お迎えくださいー!」
コンクールの進行案内役は、練馬区ではなく東京都の職員。
光が丘公園は、都立公園なのだ。

ところで、『光が丘公園の中心でマツリカダンスを みんなで踊ろう!』コンクールは、参加者数も 観客者数も、主催者の想定を大きくオーバーしていたらしく、公園のイベント広場周辺は、コンクール参加者、観客、イベント関係者、通りすがりの野次馬等が雑然と入り乱れ、朝の通勤ラッシュ時の光が丘駅並みに混雑していた。
出番が終わったナターシャたちが、応援団のいる客席の方に戻ってこないのは、チームの子供たちが この人の波に吞まれてしまったからではないのか。
ナターシャを褒めてやりたくて うずうずしていた瞬が、その懸念を口にすると、氷河からは、
「きっと、ナターシャのチームが入賞するから、成績発表までステージの近くにいるよう、引き止められているんだろう」
という答えが返ってきた。

表情も変えずに そう言ってのける氷河に、
「しょってる。親馬鹿なんだから」
瞬は苦笑したのである。
ナターシャの入賞は、どうやら 氷河の中では 既に決定事項になっているようだった。
「でも、イベントスタッフに引き止められているのは、当たっているかもしれないね。この混雑じゃ、客席の親のところに戻ろうとするだけでも、子供たちが迷子になりそうだもの。ナターシャちゃんたち、とても上手に踊れてたし、すごく可愛かったから、入賞はするだろうけど」
どっちが親馬鹿なのかと呆れた顔を ビデオカメラの陰に隠し、氷河と瞬の親馬鹿な やり取りも、星矢は しっかりカメラに収めていた。

星矢は、もし ナターシャのチームが入賞しなかったら、その結果に激怒する氷河たちの図も撮影するつもりでいたのだが、黄金聖闘士二人を怒らせる事態を避けようとしたのか、親馬鹿たちの期待通り(?)、ナターシャたちのチーム・ジャスミンは、見事入賞を果たした。
『光が丘公園の中心でマツリカダンスを みんなで踊ろう!』コンクールの優勝チームは、光が丘ラジオ体操愛好会老人の部チーム、2位に 光が丘病院 チーム・ジャスミンが入り、3位が練馬区交番見守りおっさんズ。
バランスの取れた入賞者の顔ぶれは、コンクール参加者全体の上位3組が選ばれたというより、老人の部、成人の部、子供の部で、それぞれ最も人気を博したチームを選んだから――と、察せられた。
入賞者の表彰セレモニーも ちゃんとビデオに収めるように、氷河に言われ、星矢は すぐさまステージの方にカメラを向けたのである。
――のであるが。

「あれ? ナターシャがいないぞ」
チーム・ジャスミンのメンバーがステージ上に登場したのに、なぜか その中にナターシャの姿がなかったのだ。
ナターシャの身に何かあったのではないかと案じた氷河と瞬は、すぐに人混みを縫って、ステージ脇に移動した。
星矢も、もちろん二人のあとを追う。
そうして 三人が イベント広場のステージ脇に着いた時、彼等は そこに、ナターシャの姿ではなく、
「ナターシャちゃんがいない!」
消えたナターシャを 真っ青になって探している、チーム・ジャスミンの まとめ役をしていた二人の看護師の姿を見い出すことになったのだった。

「ナターシャちゃんがいない?」
チーム・ジャスミンの まとめ役をしていた看護師たちは、瞬が そこにやってきたことに気付くと、すぐに駆け寄ってきて、救急外来看護も こなす看護師らしい、きびきびした所作と早口で、瞬に現況報告をしてきた。
「楽屋、道具置き場、ロッカーまで、ステージ周辺は みんな探したんですけど、ナターシャちゃんが どこにもいないんです。瞬先生のところにも戻っていませんか? 上手に踊れたことを 氷河さんに報告したくて、表彰式にも出ずに 抜け出したのかとも思ったんですが……」

その可能性は皆無ではないし、もしナターシャが この混雑しているイベント広場を突っ切って氷河の許に移動しようとしたのであれば、小さなナターシャは人の波に呑み込まれて、思う通りに動けずにいることだろう。
その可能性は、確かに皆無ではない。
だが、ナターシャは子供だけで構成される集団の中では、大抵 子供たちの統率者になる子だった。
ナターシャは常に、正義の味方であるパパとマーマに恥じない立派な いい子でいようとする子なのだ。
そんなナターシャが、付き添いの大人に断りもなく、一人で ふらふら どこかに行ったりすることは まず 考えられないことだった。

「僕たちのところには来ていないんです」
瞬が首を横に振ると、看護師たちは顔を強張らせた。
彼女たちのために、瞬が すぐに微笑を作る。
複数の子供たちに何かあったというのなら ともかく、ナターシャ一人だけの姿が消えたのなら、それを彼女等の監督不行き届きのせいと断じるのは厳しすぎる。
ナターシャが自分の意思で 脱走を図ったか、未知の何者かが関与したか。
いずれであっても、看護師たちのせいにすべきではない。

「あの子は、あの年頃の他の子よりずっと しっかりしていますから、大丈夫です。広場から人がいなくれば、探すのも簡単になるでしょう。ナターシャちゃんは、僕と氷河で探します。お二人は、他の子供たちをお願いします」
看護師たちには別の仕事を与えて、
「氷河」
瞬は、小声で氷河の名を呼んだ。
氷河は既に、ナターシャ捜索に取り掛かっている。
「ナターシャの気配を探ったが、公園内にはいないようだ」
小宇宙なら、何百キロ離れていても追うことができるのだが、ナターシャは よほどのピンチに見舞われない限り、小宇宙を燃やさない――燃やせないのだ。
今、ナターシャのパパとマーマが 彼女の小宇宙を感じ取れないことは、よいことなのか、よくないことなのか。
その判断は、なかなか悩ましくも難しい作業だった。

入賞者の表彰セレモニーが終わり コンクールの終了が宣言されると、観客たちが席を立ち始め、イベント広場から徐々に人の数が減っていく。
朝の通勤ラッシュ時の光が丘駅レベルだったイベント広場の混雑が、平日10時過ぎレベルの人口密度になるまでに、15分ほど。
その15分が過ぎると、イベント広場周辺にナターシャがいないことが はっきりした。

「誘拐……ということも あり得るのでは……」
誰もが口にすることを避けていた その言葉を口にしたのは、子供たちのまとめ役を任されていた看護師の一人だった。
他の子供たちを それぞれの保護者の許に届けて、チームのまとめ役の仕事を終えたあとも、彼女たちは責任を感じて 公園に残っていてくれたのだ。
「でも、そんな、まさか……。コンクールで3位に入賞したのが 交番見守りおっさんズで、ずっと うちのチームの すぐ横にいたのよ? お巡りさんたちの目の前で子供を誘拐するなんて……」
と、誘拐説を否定してきたのは、もう一人の まとめ役の看護師。
どちらの意見にも、一理ある。

ナターシャは、光が丘病院関係者の親族で結成されたチーム・ジャスミンの一員として、ステージでダンスを踊った。
それは、医者は金持ちと思い込んでいる犯罪者予備軍に、『私は医者の娘です』と自己紹介をすることだったのかもしれない。
もちろん、マツリカダンス・コンクールの参加チームの中に、交番見守りおっさんズがいたことは、犯罪の抑止力になっていたに違いない。
とはいえ、交番見守りおっさんズは全員 非番だったろうし、朝の通勤ラッシュの満員電車の中に警官が何人いても、彼等に何ができるというわけでもないのだ。

「医者なら裕福だろうと短絡的に決めつけた人が、身代金目的の誘拐を働いた――ということなのかな……」
「ナターシャの可愛らしさに目が眩んだ変質者の仕業ということもあり得る」
「瞬先生も 氷河さんも、悪い方に考えすぎですよ。ただ 迷子になっているだけっていうことも あり得るんですから――」
「ええ、そうですね」
看護師たちを安心させるために、瞬は頷いた。
この光が丘公園は、ナターシャにとって、自分の家の庭のようなもの。
この公園で ナターシャが迷子になることは ほぼ考えられない――と、瞬は心中では思っていたのだが。

いずれにしても、誘拐なら誘拐犯から、迷子なら警察署から、保護者の許に連絡がくるはずである。
瞬たちは、光が丘公園地域安全センターの顔馴染みの警官に、(非公式に)連絡先を告げて、いったん帰宅することにした。
マツリカダンス・コンクール終了後、1時間以上 公園内を探しまわって、時刻は午後3時半過ぎ。
正式に捜索願いを出すには、少々 気がひける時刻だったのだ。

誘拐なのか、迷子なのか、それ以外の事故の類なのか――は、夕方には判明するはず。
そう、瞬たちは考えていた。
だが、その予想は見事に外れた。
夕方はおろか、夜と言っていい時刻になっても、誰からも どこからも、瞬たちの許に ナターシャに関する情報は もたらされなかったのである。

迷子ではなく 誘拐だったとしても――誘拐犯から連絡が入らないということは、この誘拐が身代金目的の誘拐ではないということになる。
つまり、誘拐犯の目的は、身代金ではなく ナターシャ自身。
これは 身代金目的の誘拐ではなく、ナターシャの心身への加害を目的とした誘拐なのかもしれない――のだ。
時間の経過と共に 氷河の苛立ちが激しくなっていくことが わかって、瞬は、ナターシャの身だけではなく、氷河の暴走・爆発の心配もしなければならなくなってしまったのだった。






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