事の起こりは、『光が丘公園の中心でマツリカダンスを みんなで踊ろう!』コンクール。
チーム・ジャスミンのメンバーとして知り合い、お友だちになった鳩子ちゃん――だった。
心臓外科医長の一人娘である鳩子ちゃんは 深刻な悩みを抱えていて、その悩みというのは、
「パパは私のこと、嫌いなの。私は、1週間に1回も パパに会わないこともあるの。パパは それでも平気なの」
ということ。
鳩子ちゃんの悩みを聞いて、ナターシャは、
「そんなパパがいるはずないヨ!」
と、彼女に会うたび、励ましていたのだそうだった。

ナターシャが、今回の誘拐劇を計画したのは、マツリカダンス・コンクールの前日。
「私、今日、パパが大切にしていた すごく高いお酒の瓶を壊しちゃったの。どうしよう、ナターシャちゃん」
と、彼女から相談を受けたからだった――らしい。

それは、人生の重大時にしか封を切ってはならない大事な酒(と、鳩子ちゃんのパパは言っていたらしい)。
赤い立派な箱に入っているのだが、箱の中は ふかふかのベッドのようになっていて、そこに お酒の瓶が寝かせられている。
彼女は、それが彼女の気に入りの人形のベッドにいいと思って、試してみた。
パパのサイドボードから箱を持ち出し、パパにもママにも見付からないように、2階のベランダで、酒の瓶を箱の外に出して、代わりにそこに人形を寝かせてみた。
それは思った通り、女王様のベッドのようで、とても素敵だったのだが、夢中になって遊んでいるうちに、酒の瓶がベランダから庭に落下。
運悪く 庭石に当たって、割れはしなかったがヒビが入り、中身が ほとんど流れ出てしまった。
――のだそうだった。

「それでなくても パパに嫌われてるのに、パパが大切にしていた高価なお酒を庭に流しちゃったことがパパに知れたら、きっと私、パパに一生 許してもらえない。よそのおうちにやられちゃう」
と怯えて、鳩子ちゃんはダンスどころではなくなってしまっていたらしい。
そこで、ナターシャは考えた。

箱に入っている 高い お酒なら、ナターシャのパパも持ってる。
パパは それを、ナターシャのために買ったと言っていた。
ナターシャのパパは、ナターシャを大好きだから、そのお酒を ナターシャが お友だちにあげても、きっと許してくれるだろう。
鳩子ちゃんは、それで鳩子ちゃんのパパに叱られたり、嫌われたりせずに済む。
マツリカダンス・コンクールでも心配を忘れて、楽しく踊ることができるだろう。

とはいえ。
『あのお酒を鳩子ちゃんにあげて』と お願いすると、鳩子ちゃんが 鳩子ちゃんのパパのお酒の瓶を壊してしまったことが、鳩子ちゃんのパパにばれてしまうかもしれない。
だから パパに『あのお酒を鳩子ちゃんにあげて』と お願いすることはできない。
パパの高いお酒が 鳩子ちゃんのパパのお酒の箱の中に移動することが、ナターシャのパパにも鳩子ちゃんのパパにも わからないようにしなければならない。

では、どうすればいいか。
それで思いついたのが、パパの高いお酒を誘拐の身代金にする方法だった。
『ナターシャの将来のために、高い酒を買ったんだ』
と言った時、パパは、
『とても高い酒だから、なくしたり盗まれたりした時に 困らないように、ウィスキー保険にも入っている』
と教えてくれた。
そして、
『ナターシャは 世界一可愛いから、ナターシャが誰かに盗まれた時、すぐに取り戻せるように 誘拐保険にも入っておかなくては』
と言ったのだ。

それを憶えていたナターシャは、自分が正体不明の誘拐犯に誘拐されて 身代金を お酒にする方法を思いついたのだそうだった。
大人の協力者は、デスマスクにすることにした。
誘拐は、マツリカダンス・コンクールのどさくさに紛れて決行。
そうすれば、失敗の可能性が減る。
計画は万全。
心配事の消えた鳩子ちゃんは、安心して、マツリカダンスを踊ることができるだろう。
――そういったことを、ナターシャは、マツリカダンス・コンクールの前日、ほぼ一瞬で思いついたのだそうだった。


『話を聞いたところじゃ、ナターシャの友だちが瓶を壊した高い酒ってのは、レミーのルイ13世だ。赤い箱なら、価格は せいぜい 2、30万。ナターシャが身代金にしようとしているマッカラン50年は、2、3000万で、桁が2つも違う。酒の価値がわかっていない子供には、2、30万のブランデーも2、3000万円のウィスキーも 同じ酒でしかないんだなーと、思ってな』
というのが、まるで罪悪感のないデスマスクのコメント。
『金だから青銅より強いと決めつけて、手痛い敗北を喫したことがある俺としては、子供の素朴な価値観に思うところがあって、ナターシャに協力しないわけにはいかなかったんだ』
と、まるで弁解になっていない弁解を口にして、デスマスクは笑った。

『酒の値段以前に、レミーのルイ13世とマッカランじゃ、瓶の大きさや形が全く違うから入れ替えは不可能だと、なぜナターシャに教えてやらなかったんだ!』
と、氷河に怒鳴りつけられても、全く悪びれないデスマスクの返答は、
『決行したら、面白そうだったから』
だった。
彼が、ナターシャの誘拐計画に協力した真の理由は、それだったのだろう。
『面白そうだったから』
それで、氷河は、デスマスクを殴る気力も失ってしまったようだった。


瞬に事情を聞いた鳩子ちゃんのパパは、瞬に平謝りで、鳩子ちゃんを叱らないことと、一日に一回は 鳩子ちゃんに『大好き』と言うことを ナターシャに約束してくれた。
『パパは病気の人のために一生懸命 働いていて、毎日とても忙しいが、鳩子のピンチには必ず助けに行く』と、鳩子ちゃんにも約束したらしい。

『もともと レミーのルイ13世は、鳩子の結婚式の夜の やけ酒用として買ったものだったから』
半べそ泣き笑いとしか言いようのない複雑な笑いを作って、彼は 瞬たちに そう言った。
氷河とは少々 方向性が異なるが、彼もまた、娘溺愛の親馬鹿パパではあったのだ。

もう一人の親馬鹿氷河は、
「窮地に陥った友だちを救うため、ごく短時間で あれほどの計画を思いつくナターシャは、国や軍隊の指揮官に向いていないか? その才能を育てて、日本初の女性内閣総理大臣か 統合幕僚長になるというのは どうだろう。聖域の女教皇というのもいいな」
などということを言い出して、可愛い お洋服屋さんになりたいナターシャと、日々 激論を交わしている。

そうして、瞬は。
あまりに頭がまわりすぎる娘の将来に、最近 不安を覚え始めている。






Fin.






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