だが、その日――星矢たちがハインシュタイン城に押しかけてきた その日、最も瞬を驚かせたのは、星矢たちが遠い日本に 沙織を一人残してハインシュタイン城に乗り込んできたことではなく、パンドラが もしかしたら寂しがりやなのかもしれないという疑いでもなく、接見とも謁見とも言い難いハーデスとの顔合わせを済ませた後、仲間たちだけになった際に、星矢が口にした一言だった。 「あのハーデスって奴、おまえの生き別れの兄貴か何かか?」 と、星矢は瞬に尋ねてきたのだ。 「沙織さんは、なんで 瞬を 瞬一人だけで、ドイツの僻地の城なんかに行かせたんだろうって思ってたんだけど、こういうことだったんだな」 と。 「こういうことって?」 訳がわからず、問い返した瞬に、 「だから、あのハーデスって奴の顔が、おまえと おんなじだってことだよ」 と、星矢が答えてくる。 「あいつが もう少し年上だったら、赤ん坊の時に 一輝と取り違えられたんだろうって思うとこだけど――」 「え……」 「一輝の取り違えはないだろう。一輝とは歳が違う。歳のことを考えれば、むしろ、瞬とハーデスが双子で その片割れが引き離された可能性の方が高い。同い年の跡継ぎ二人は お家騒動の元――という奴だ」 星矢だけでなく紫龍までが そう言うのなら、星矢の目が おかしいわけではないのだろうか――? 「瞬と おんなじ顔してるのに――だから 当然、綺麗なのに、あのハーデスって奴は、瞬と違って、全然 可愛くないな。すげー不思議」 「それは不思議でも何でもない。顔立ちが綺麗かどうかは 形の問題だが、可愛いかどうかは、表情や印象――つまりは、人格や性格の問題だからな」 「にしても、おんなじ顔で、ここまで印象が違うなんてさ」 それを証明不要の公理のように用いて、会話を組み立て続ける星矢と紫龍。 それ以上、二人の会話の静かな傍聴人でいられなくなって、瞬は、二人が交わしている言葉の間に割り込んでいったのである。 遠慮がちに、短く、 「似てる?」 と。 今度は星矢たちが、自分たちの会話の腰を折った短い一言の意味が わからない顔になる。 自分の投じた一言が短すぎ、不親切すぎたのだと反省して、瞬が言葉を追加。 「誰が、誰に?」 それで瞬の疑問文の意味がわかったらしい紫龍から、 「ハインシュタイン家の当主が、おまえに」 という答えが返ってくる。 やはり、そういうことらしい。 瞬は 再び、最初の疑問文を繰り返した。 「似てる?」 「そっくりだ」 「気付かなかった」 捉えどころがないと感じるほどに、努めて目を凝らして観察していたつもりだったのに。 そこまで来てやっと、星矢が瞬と紫龍の会話に理解が追いついたらしく、張り切って(?)呆れた声を、客用ラウンジに響かせた。 星矢らしく、元気に、大きく、明るく。 「気付くだろ、普通、一目で。あれ、ぱっと見、色違いの瞬だぞ。全然 優しくなさそうで、瞬みたいに可愛くもないし、全然 俺の好みじゃないけどさ」 『おまえの好みなど、誰も訊いとらん』の突っ込みくらいはあるかと思ったのに、氷河は そんな突っ込みを入れなかったし、そのついでに 星矢の頭を はたくようなこともしなかった。 せっかく身構えていたのに――と 不満顔の星矢を無視し、氷河は感情を抑えるのに苦労しているのが(彼の仲間たちには)わかる低い声で、 「似ていない」 とだけ言った。 自分への反論に、星矢が大きく頷く。 「まあ、瞬は この世に一人だけの特別な存在だって思いたい おまえの気持ちはわかるけど、俺が言ってるのは、顔立ちだけのことだ。物理的な、顔の話。形は そっくりだろ。おまえは、惚れた男の目で見てるから、俺たちとは見方が違うのかもしれないけど」 「あんなのが、俺の瞬に似ていると言われるのは不愉快だ」 「だから、その気持ちはわかるぜ。俺だって、瞬と違って可愛くないって感じるくらいだからな。けど、形は似てるだろ。ってか、おんなじだろ」 「……」 氷河が黙り込む。 氷河が『似ていない』と言い張らずに黙り込むほどなのだから、星矢の言う通り、形は同じなのだと、瞬は その事実を確信した。 『似ていない』と言い張れなかった腹いせか、氷河が突然、 「今すぐ、この城を出よう。今すぐ、日本に帰ろう」 と言い出す。 近所のコンビニや公園に遊びに来ているわけではない。 そんなことができるわけがない。 アテナが音を上げ、匙を投げるはずだと、妙なことを納得しながら、星矢は駄々っ子のような氷河を見やった。 そして、勝手に氷河の話の腰を折る。 「しかし、おまえって、瞬と同じ顔の奴にも焼きもち焼くのか」 「焼きもちじゃない。あの男は、暗くて好かない。人を不快にする暗さだ。そんな奴が 瞬と同じ顔をしているから、俺はますます気分が悪くなる。今すぐ帰れないのなら、瞬を守るために、俺は今夜は瞬と同じ部屋で寝る」 がつんと はっきり音を響かせて、氷河の頭を殴ったのは、それまで 静かなオブザーバー役に徹していた紫龍だった。 「ああ、すまん。こういう時は おまえの頭を殴ってもいいと、一輝に言われているんだ」 「貴様、一輝の味方について、俺の敵にまわるのか」 「俺は、瞬の身を案じているだけだ」 「俺だってそうだ」 「その言葉を信じられないのは、おまえの日頃の行ないのせいだろうか」 「貴様の目と心が汚れているからだっ」 「自信満々で そう言える おまえが、自分を知らなさすぎて、逆にすごい」 「なんだとっ」 「氷河……紫龍……」 今にも互いに拳を放ち合いそうな勢いで嫌味合戦を始めた氷河と紫龍の横で、瞬は おろおろすることになった。 おろおろすることしかできない。 「俺と氷河じゃなく、紫龍と氷河って、ちょっと珍しい対戦カードだな。場所が変わると、そういうのも変わっちまうのかあ」 いつもは なだめ役で いさめ役の紫龍が いさかいの当事者になっていることが興味深いらしく、星矢は 二人の脇で のんきに へらへら笑っている。 組み合わせは いつもと違うが、いつもの乗り。 角突き合わせている氷河と紫龍の横で、おろおろしながら、瞬は――瞬も――いつもの瞬に戻っていた。 いつもの瞬――仲間たちと共にある瞬。 この城に来てから ずっと感じていた、城内を覆い包む灰色の空気。 仲間と共にいると、あの空気を感じなくなる。 この城で過ごす8度目の夜。 結局 氷河は、瞬の寝室ではなく、彼のために用意された別の客用寝室で就寝することになったのだが、瞬は この城に来て初めて、あの灰色の空気に包まれていない、心身共に安らかな眠りを眠ることができたのだった。 夢の中で、ハーデスの声がした。 『瞬。予定より少し早いが、余と共に参らぬか』 「あなたと共に? どこへですか?」 『永遠の至福の園へ』 “永遠の”園など、死の世界にしか存在しないのではないか。 瞬が そう思ったところに、パンドラの声。 『いいえ。今は まだ、力が足りません。時が満ちていません。タナトス、ヒュプノスはまだ 冥界とエリシオンを設え中です』 パンドラは、 『今は影だけを お連れいたします』 抑揚のない声で 囁くように言い、瞬の夢の中からハーデスをどこかに連れていってしまったのだった。 |