200年間 続いていると思われている、北の大国ヒュペルボレイオスと 南の大国エティオピアの戦い。 実は それは、190年も前に終わっているのだ。 少なくとも両国の公式文書上では、そういうことになっているのだそうだった。 190年前、両国は終戦を宣言し、両国の間で、終戦の条件も戦後の対応も取り決められた。 だが、戦争が終わったからといって、容易に 昨日までの敵と友になることなどできるわけがない――できないのが、人の心。 昨日 ヒュペルボレイオス兵に家族を殺されたエティオピアの人間は、終戦宣言発布の当日、ヒュペルボレイオスの兵を不意打ちして恨みを晴らした。 同じように、昨日 エティオピアの兵に戦友を殺されたヒュペルボレイオスの兵士たちは、終戦宣言発布の翌日、エティオピアの軍を襲撃して恨みを晴らした。 そういったことが、あちこちの戦地で起こった。 そして、190年前の終戦宣言は、実質的に無効となり、戦争は続いたのである。 この200年の間に、ヒュペルボレイオスとエティオピアは 7回 終戦宣言を出し、和平条約を結んだ。 だが、戦争は終わらなかった。 だから、いつからか、両国の戦争を終わらせることが、ヒュペルボレイオスとエティオピアの歴代国王の最終目的にして至上義務となったのである。 現ヒュペルボレイオス国王とエティオピア国王が秘密裏に面会し、一つの計画を立てたのは 今から5年前。 ちょうど、中立地帯で町の体裁が整い、仮の政府ができ、戦火で すべてを失った者たちが“致し方なく逃げ込む”ではなく、“進んで移住する”ようになった頃だった。 北と南の大国が戦争をやめないのなら、北と南の国をなくしてしまおうと、二人の王は考えたのである。 北と南、二つの国が存在するから、戦争は終わらない。 王たちが いくら戦いをやめろと命じても、愛する者を 敵国の人間に殺された者たちの憎しみや恨みは消えないのだ。 国の王ではなく、国の民全員が『戦いは嫌だ』と思うようにならない限り、戦いはなくならない――終わらない。 誰かがヒュペルボレイオスの民で、誰かがエティオピアの民でいる限り、戦いはなくならない。 ヒュペルボレイオスの民がいて、エティオピアの民がいる限り、それは終わらないのだ。 国同士の戦いというものは、国が二つあるせいで起きる。 二つの国が一つになったら、憎むべき敵がいなくなって、戦は終わる。 だから、民が自主的に 国が一つになることを願うようにし、そうなるよう行動するようにさせる。 そのために、ヒュペルボレイオスの国王とエティオピアの国王は、第三の国を作ることにしたのだった。 中立地帯という、第三の国を。 戦争を厭う者、何を捨ててでも平和を求める者は、中立地帯に行く。 南北の国には、戦争をしたい者、戦いを許容する者だけが残る。 そういう状態が続けば、いつか きっと、いつか必ず、南北の国はなくなり、複数の国は一つになる。 それが、南北 大国の王たちの壮大すぎ 遠大すぎる計画だった。 「この中立地帯は、ヒュペルボレイオスとエティオピアの二人の国王が、ヒュペルボレイオスでもエティオピアでもない第三の国を築こうとして準備した土地です。南北の国から資金、物資、食糧等の援助を受けています」 壮大すぎ、遠大すぎると思われた計画は、実現しつつある。 「自分は 戦を続けたい者だけが残るエティオピアと運命を共にする。おまえは兄の代わりに、新しい国を見守ってくれ――と、兄は僕に言いました。だから、僕は、この国に来たんです。ちょうど、あの力で――敵軍の襲撃を受けて、力の制御ができず、敵味方 合わせて多くの死傷者を出し、戦うことが怖くなっていた時だった……」 瞬が人を傷付けることを 極端に恐れるのには、そういう事情があったからだったらしい。 誰かを傷付けようとする意思なく、多くの人を傷付けてしまった過去。 瞬は、自分の強さを恐れていたのだ。 両の肩を落とし、力なく項垂れる瞬の肩に、氷河が手を置く。 「民の自主性尊重のために極秘で、そんな途轍もない計画を立てたわけか。は。さすが 王たる者は、考えることの桁が違うな。戦争を終わらせるために、戦争している国を二つ共、この地上から消し去ってしまおうとは」 感心しているのか、呆れているのか、どちらとも言い難い――どちらでもあり、どちらでもないような声音で、氷河は そうぼやいた。 実際 それは どちらでもなく――それは 瞬を慰撫するための言葉だった。 氷河同様、何も知らされていなかったヒュペルボレイオスの兵たちは、息をすることすら忘れたように沈黙を守っている。 同じように戦争の終結を望みながら、そのために採った手段、思い描いた戦後の世界の姿が、国王たちと自分たちとでは あまりに違い過ぎて、溜め息も出ない――というのが、彼等の正直なところだったろう。 どちらかといえば、誘拐団の計画の方が現実的で即効性もあるのだが、彼等の計画では、おそらく戦は真の意味では終わらない。 一方の無条件降伏は、新たな憎しみと恨みを生み、結局 戦いは続くのだ。 彼等は、彼等なりに 故国と故国の民のためを思って 実行に移した計画ではあったのだろうが。 中立地帯は、今では、北のヒュペルボレイオスより 南のエティオピアより多くの人口を抱えた、地上で最も勢いのある国になっている。 これから本当に南北の国は消え、二つの国は 一つの国になることができるのだろうか。 大勢は その方向に向かって動いているが、予断は許されない。 この地上世界に生きている大部分の人間が平和を望んでいるのは事実だろうが、少数ではあっても、戦いを望む者が存在し、その少数派の人間が これまで世界を動かしてきたのも また、紛う方なき事実なのだ。 「でも、僕は、兄さんとヒュペルボレイオス国王陛下の思い描く未来を信じて、ここで生きていきます。いつか きっと、エティオピアだけでなくヒュペルボレイオスも、僕の故国だと言えるようになる日が来ると、僕は信じているんです」 一つの故国の実現の時が 1年後なのか100年後なのか、それは瞬にもわかっていないのだろう。 氷河にもわからなかったし、ヒュペルボレイオス国王にもエティオピア国王にも、おそらく わかっていない。 それでも、その時の到来を信じるから、人は生きていられるのだ。 むしろ問題は、 「にしても、氷河殿。いったい どうやって これほどの力を持つ人 相手に 思いを遂げる おつもりなんです。美貌と戦闘力の両方で負けていたら、氷河殿に勝てる要素は何一つないではありませんか」 という、誘拐団首領が口にした辛辣な懸念の方だった。 これまでは、“誰かと戦うことができない瞬の身を守るため”という、瞬の側にいるための実に立派な大義名分があったのに、実はそれは全く無用の気遣いだったのだ。 「? 氷河は とても優しい人ですよ」 誘拐団の首領が表明した懸念の意味が わかっていないらしい瞬の優しい一言が、氷河の前途の多難を一層 鮮明にする。 希望は 天や周囲から与えられるものではなく、人が自らの力で見い出し、作り、守り続けるものである。 希望を失わない限り、人は平和を願い続けることができる。 希望を失わない限り、人は生きていられるし、人を恋し続けることもできるのだ。 おそらく、氷河も、多分。 Fin.
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