「おい、ガキ。いつまで、そこに ぼーっと突っ立ってる気だ? そんなことをしても、死んだ者は帰ってこない。おまえまで凍死するだけだ」 全然 優しい口調じゃなかったし、お世辞にも 綺麗な声じゃなかったし、どういう聞き方をしたって 敬意のかけらも感じられない言い方、取るに足りない ちっぽけな子供に対する乱暴な口調だったけど、それでも もしかしたら、そのおっさんが俺を怒鳴りつけた主たる動機は、同情心ってやつだったのかもしれない。 母親を亡くしたばかりの孤児が、その孤独や悲しみの中で凍死するのは、いくら何でも哀れすぎると、おっさんは思ったのかもしれない。 俺のマーマを乗せた船が沈んだ海を遠くに望む埠頭の端に、俺は もう1時間以上、たった一人で立ち尽くしていた。 海に浮かぶ氷に冷やされた冷たい風が、ナイフを突き立てるみたいに まっすぐに、何度も俺に襲い掛かってきて、あと10分も そこに立ってたら、寒風の剣で満身創痍の俺は 冷たい海の中に倒れ込んでしまっていただろう。 おっさんは、わざわざ埠頭の端まで来て、俺を怒鳴りつけてくれたんだ。 これが同情心から出た親切でなかったら、いったい 何だというんだろう。 「死んだ者は帰ってこない?」 親切で柄の悪いおっさんの言葉を、俺は ぼんやり 反復した。 俺は ほんとは、『マーマの乗った船が海に沈んでいくのは見たけど、俺は マーマが死ぬところは見ていない』って言いたかったんだ。 けど、天然の冷凍庫の中で1時間も冷やされた直後だった俺は、目も口も脳みそも凍りついていて、そういう文章を新しく組み立てる気力さえ なくしてて――だから、芸もなく おっさんが言った言葉を そのまま繰り返すことしかできなかった。 俺が口をきけることに安心したのか、おっさんは俺の上着の襟首を掴んで、俺を陸の方に引きずり運びながら、冷たい海風に向かって胴間声を吐き出した。 「ああ。死んだ者は帰ってこない。悪魔に魂を売り飛ばしでもすれば、生き返らせてもらえるかもしれないが、悪魔も おまえみたいな阿呆なガキのところには 来てくれないだろうからな!」 おっさんは、つまり、『諦めろ』と言ってた。 俺は、でも、その時、脳みそも 心も凍りついてて―― おっさんが 『諦めろ』って言ってるんだって、理解することも気付くこともできなかったんだ。 『悪魔に魂を売り飛ばせば、マーマを生き返らせてもらえる』 俺の凍った脳みそは、そう考えた。 悪魔に魂を売れば、どんな願いも叶えてもらえるんだ――と。 俺の命を守るために――俺を救命ボートに乗せるために――自分は沈みかけた船に残り、冷たい海の底で死の眠りに就いてしまったマーマ。 俺を凍死させないために 乱暴な言葉を吐く、親切で柄の悪いおっさん。 大人は どうして、俺を死なせまいとするんだろう? 生きていたって、俺は 世の中のためになることは何一つできないし、誰かを幸せにしてやることもできない。 俺自身だって、もう二度と幸せな子供には戻れないって、わかってるのに。 でも、少なくとも、俺を凍死させないっていう おっさんの目的は果たされたんだ。 俺の魂を買い取ってくれる優しい悪魔を探すために、俺は 冷酷な海の側を離れる気になったんだから。 悪魔はどこにいるのか――それを知っているのは、普通の労働者じゃなく、悪魔と戦うことを仕事にしている教会の司祭だろう。 凍った脳みそで そう考えた俺は、港町の教会を探した――ような気がする。 凍えて ろくに動かなくなった手足を懸命に励まして 教会を探し、すごく立派な教会を見付けて、俺は、その聖堂の中に ふらふらと倒れ込んだ。 |