ソラ町人命救助劇の第二幕は、ネット上で、匿名の誰かが、『ソラ町人命救助劇には、何者かによって仕組まれたことのように――不自然なまでに出来過ぎな点が多々ある』と言って、その不自然な点を一つ一つ 解説付きで問題提起したことから始まった。 提起された複数の不自然な点の内容が、日本中のミステリーファン、自称名探偵の謎解き心に火をつけることになったのである。 まず、継子を虐待して死なせた男(逆帯氏、35歳、無職)がソラ町ダイニングフロアのテナントの従業員でもないのに、一般客立ち位置禁止のバックヤード、ソラ町従業員専用通路に倒れていたこと。 彼はなぜ、そんな場所にいたのか。 なぜ、そこで倒れていたのか。 それとも、別の場所で倒れ(もしくは、倒され)、人目につかないバックヤードに運ばれてきたのではないかという問題。 ちなみに、逆帯氏に外傷は無し。 心肺停止の原因は心筋梗塞。 逆帯氏は、出所後の暴飲暴食のせいで、糖尿病を患っていたが、ソラ町での心配停止時、低血糖の状態にはなっていなかった。 つまり、彼の心肺が停止した 直接の原因は不明である。 その逆帯氏の命を救った男性(旧徐氏、28歳、大手ゼネコンの下請けである建設会社勤務)は、こちらも、ソラ町ダイニングフロアのテナントの従業員ではないのに、一般客立ち入り禁止のバックヤード従業員専用通路に倒れていた逆帯氏に気付き、AEDを使って、彼の蘇生処理を行なった。 その救命処置に、ソラ町の従業員は誰一人 関わっておらず、逆帯氏が息を吹き返した頃に初めて、従業員専用通路を通りかかった 食材納品業者が救助劇に気付いて、現場に人が集まり始めた。 つまり、旧徐氏が逆帯氏に対して行なった救命活動を 実際に目撃した第三者は一人もいないのだ。 これも不自然な出来過ぎである。 謎はまだある。 救命処置を受けた逆帯氏は 救急車で墨田区内の救急病院に運ばれた。 救急車を呼ぶ電話は、最初に人命救助劇に気付いた第三者――食材納品業者の配達員が掛けているのだが、その前に、逆帯氏の携帯電話からも、救急車の出動が要請されているのだ。 消防指令センターに記録されている その声は、その場にいなかった(はずの)幼い少女のものだった。 しかも、逆帯氏が救急隊員によってストレッチャーに載せられる際、その陰に小さな女の子の亡霊を見たと 証言する者たちまでが現れる始末。 一般客がいるはずのない場所にいた、逆帯氏と旧徐氏。 心肺停止状態になった逆帯氏は、なぜ、どこで、心肺停止状態になったのか。 心肺停止を引き起こした原因は、内因性のものか、外因性のもの(外部から何者かによって引き起こされたもの)か。 連れ子のいるシングルマザーとの再婚者という、二人の境遇の類似。 正体不明の幼女からの通報電話。 幼い少女の亡霊を見たという、複数の証言。 第一幕が、『ソラ町人命救助の光と影』なら、第二幕は、『ソラ町人命救助の謎』。 ちょうど他に、大衆が熱中できるような事件やスキャンダルがない時期だったため、国民の多くが探偵志願にでもなったかのように、ソラ町人命救助の謎の解明に取り組み始めたのである。 そういう意味では、この舞台劇の第二幕の主役は、全国の名探偵志望者たちだったろう。 彼等の推理は、ネットの専用掲示板で披露され、その内容は その日のうちにテレビ局のワイドショーに引用され、吟味、判定、批判、却下された。 最有力の説は、二人は 人目につかないところで 不法薬物の売買をしていたのではないかという、厚生労働省麻薬取締部 もしくは 警視庁組織犯罪対策第5課路線だった。 二人が以前から知り合いだった場合は仲間割れによるトラブル。 知り合いではなく赤の他人同士だったなら、取引決裂によるトラブル。 ――という、薬物犯罪説である。 それとは別に、救急車を呼んだのは、虐待されて死んだ少女の亡霊なのではないかという、オカルト路線もあった。 この場合、逆帯氏の死因(もとい、心肺停止の原因)は もちろん、亡霊による呪い もしくは 復讐ということになる。 日本中が――特に匿名ネット民とワイドショー関係者が、この謎解きに熱中した。 日々、多くの探偵によって、新推理が披露され、それが 他の探偵や犯罪評論家に矛盾を突かれ、論破される――ということを、彼等は 情熱的に 熱狂的に繰り返したのである。 もちろん、謎解きゲームと並行して、逆帯氏、旧徐氏への 非難、中傷攻撃も続いていた。 特に旧徐氏は、最初は善意の人として登場しただけに、その後 判明した情報と当初のイメージとのギャップが大きく、しかも初登場時の感謝状贈呈の時点で、本名や年齢、顔に勤務先といった個人情報が公開されていたため、より激しい非難を受け、具体的な攻撃の的になった。 後日、旧徐氏に関する児童相談所への通報は、近所の耳に障害のある老女が 猫の泣き声と少女の泣き声を聞き違えたための誤通報だったことが 報道されても、旧徐氏への疑いが晴れることはなかった。 自宅だけでなく勤務先にも嫌がらせの電話やメールが続き、優秀社員賞から一転、旧徐氏が勤め先を解雇されるのも間近という不確かな情報が まことしやかに囁かれるようになった。 視聴者に自制を促しながら、メディアはこの騒動に関する報道を続け、火に油を注ぐことをやめなかった。 やめられるわけがないのだ。 謎解きのための新情報を。 攻撃の対象を。その材料を。 鬱憤晴らしのために続報を。 大衆が、それを望んでいるのだから。 第一幕が、『ソラ町人命救助の光と影』なら、第二幕は、『ソラ町人命救助の謎』。 この舞台劇の第三幕が、まさか自分の家のリビングルームから始まるとは、氷河と瞬は考えてもいなかった。 氷河と瞬には、逆帯氏も旧徐氏も 見知らぬ他人、それまで会ったことすらない、真っ赤っ赤の赤の他人だったのだから、それは当然のことである。 しかし、『ソラ町人命救助事件』の第三幕は 確かに、間違いなく、練馬区光が丘にある 氷河と瞬とナターシャの家のリビングルームから始まったのだった。 |