「私はナターシャです。ナターシャの話を聞いてください」
「あの紫色のダウンジャケットの太ったおじちゃんを、AEDで助けたのは、もふもふのおじちゃんじゃなく、ナターシャです。もふもふのおじちゃんはAEDの使い方を知らなくて、おろおろしてました。ナターシャは、マーマがお医者様だから、AEDの使い方も、どういう時に使うのかも ちゃんと知っていました」
「ナターシャは、AEDの使い方は知ってたけど、力がないから、もふもふのおじちゃんに、ナターシャが『助けなさい』って言って、紫のジャケットのおじちゃんを助けさせました。もふもふのおじちゃんは 恐がってたけど、ナターシャは、『心臓が止まってるなら、これ以上 悪くなりようがないから、勇気を出して心臓マッサージしなさい』って言ったんダヨ。もふもふのおじちゃんは、何もしてません。紫ダウンのおじちゃんを生き返らせたのはナターシャです!」

その告白動画データを、蘭子はネットに公開すると同時に、日本の民間放送全キー局と某公共放送局に送りつけたのだそうだった。
話題の事件の新情報に、各局アナウンサーは喜び勇んで 様々な解説を付した。
新情報の動画が全局 同じものなので、解説で局の特色を出そうとしたのである。

「ナターシャちゃんは、知人がソラ町テナントの関係者で、バックヤードにある従業員専用通路のことを知っていたそうです」
「我が局独自の取材で、旧徐さんに 指示を出しているナターシャちゃんを見ていた目撃者も複数名 確認することができました。ナターシャちゃんは、4歳。逆帯氏が死なせた連れ子の実亜ちゃんの享年と同い年。目撃者は、ナターシャちゃんを 実亜ちゃんの亡霊だと思っていたそうです」
「ナターシャちゃんは、もふもふのおじちゃん こと旧徐氏が、自分のせいで 多くの人に責められていることを知って、名乗り出たとか。本当に 優しくて、しっかりした お子さんです」

「もふもふのおじちゃんは、いい人です。ナターシャのパパとマーマは、ナターシャは悪いことをしてないって言ってました。もふもふのおじちゃんは ナターシャの言う通りにしただけだから、おじちゃんも悪いことはしてないと思います」
「紫ダウンのおじちゃんが生き返ってから、救急車が来るまで、ナターシャは もふもふのおじちゃんと お話をしてしました。おじちゃんは、ナターシャとおんなじくらいの歳の女の子のパパになったばかりで、いいパパになりたいって、張り切ってました。もふもふの縫いぐるみを買いに来たっていうから、ナターシャは、もふもふの おリボンの方がいいって、アドバイスしたんダヨ」
「可愛い おリボンをつけて、パパに可愛いって褒めてもらえると、ナターシャは すごく嬉しいから、おじちゃんも そうした方がいいに決まってるって、ナターシャは おじちゃんに言いました。縫いぐるみを 可愛いって褒めたって、何にもならないよって」
「もふもふのおじちゃんは、ナターシャのこと、すごく お利口だって褒めてくれました。ナターシャの言う通り、縫いぐるみはやめて、もふもふの おリボンをプレゼントするって言ってタヨ」


ナターシャの動画が公開されるや否や、世論は あっというまにコペルニクス的転回を見せた。
前日まで、違法薬物取引説を唱えて 旧徐氏を糾弾していた某インフルエンサーは、前日までの記事を全消しして、謝罪もせずに、『ナターシャちゃん、可愛い』『あのヘアリボンは、フェンディの今シーズンの新作』といったことを書き始め、『シングルマザーの再婚は 連れ子が思春期を過ぎてからにすべきだ』と主張していた教育評論家は、子供が幼児期に父親に愛されることの重要性を語り始めた。

勤め先のオフィスにまでクレーム電話やメールが殺到し、会社に迷惑をかけないために もはや会社を辞めるしかないと覚悟を決めていた旧徐氏は、『今、君に 辞められては困る』と逆に、会社への引き留め工作に会うことになった。
話題の旧徐氏の勤め先に、幼稚園の建設をお願いしたいという打診が 複数件あったらしい。

「妻と娘のために、頑張ります。仕事も 今の住まいも諦めるしかないと、妻と話し合っていたところだったんです。誤解が解けて、本当に嬉しい。娘には、ナターシャちゃんのように、優しくて強い子になってほしいと思う。名乗り出てくれたナターシャちゃんの勇気に感謝します」
というのが、物語の大団円にふさわしい旧徐氏のコメント。

逆帯氏と旧徐氏が ナターシャの導きで偶然出会った見知らぬ者同士だった事実が判明。
謎の幼女の声と亡霊の正体――という謎も解けた。
一般客である逆帯氏が なぜ あの場所に倒れていたのかという謎は残ったが、近道として 従業員専用通路を使っていた際に、糖尿病の合併症を発症したのだろうということで、『ソラ町人命救助事件』全三幕は 無事にその最後の幕を下ろしたのである。


逆帯氏は、もともと国民から憎まれ嫌われ蔑まされていた男で、今回の事件でも、ほとんど表舞台に登場しなかったが、そのこともひっくるめて、すべては事件以前に戻っただけ。
日本国民のほとんどが そう思っていた。
氷河も瞬もナターシャも蘭子も、そう思っていた。
名もない(あえて名乗らない)ネット民も、ワイドショー制作会社のスタッフも、そう思っていた。
『ソラ町人命救助事件』は、これで完結。
すべては元に戻ったのだと。

まさか、ナターシャの告白動画公開から1週間後、『ソラ町人命救助事件』第四幕の――四度目の幕開けがあろうとは、誰も思っていなかったに違いない。






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