そんな瞬を、
「あの……すみません」
津島さんが呼び止めてきた。
氷河の予言 兼 警告に、より迅速に反応し 行動に出たのは、氷河に警告された三人組ではなく津島さんの方だったらしい。
瞬が歩を止め、津島さんを見やると、彼女は 一瞬 気後れしたように息を吞み、それから意を決したように、彼女の知りたいことを瞬に問うてきた。
「私、ほんとに綺麗になれるんですか?」
と。

瞬は つい、口許が ほころんでしまったのである。
思春期という時季は、それが最も気になる年頃なのかもしれない。
だが、思春期の少女は 誰にも その問いを問いかけられないのだ。
誰も確かな未来を知らないことを 知っているから。
そして、誰も 本当のことを答えてはくれないと思うから。
瞬は、だが、その答えを知っていた。

「氷河に綺麗と言われて、綺麗にならない人はいないと思いますよ。僕、小さな頃は、とっても地味で 泣き虫なだけの みそっかすの子供だったんです。でも、氷河に綺麗だ可愛いと言われているうちに、本当に そうなんじゃないかという気になってしまって……」
「今はとても 綺麗です。あ……子供の頃も、ほんとはすごく可愛かったんだろうと思うけど」
「ありがとう」
津島さんに礼を言いながら、彼女は親切で優しいだけでなく、頭の回転も速そうだと思う。
三人組が太刀打ちできるだろうかと、瞬は少し心配になってきた。

「あのネ。お姉ちゃん、あのネ。ナターシャが可愛いのも、毎日、ナターシャのことを パパが可愛いって言ってくれるからダヨ!」
ナターシャは自信満々。
ナターシャの中には、津島さんのような不安や迷いはない。

大事なのは、可愛いと思ってほしい人に『可愛い』と思ってもらえること。
綺麗だと思ってほしい人に『綺麗だ』と思ってもらえること。
その願いが間違いなく叶っているナターシャは、だから、自信満々でいていいのだ。
「うん。ナターシャちゃんは すごく可愛い」
それが、津島さんはわかっているようだった。
彼女がナターシャに向ける笑顔は、分別のない幼児をあしらうためのものではなく、望みが完全に叶っているナターシャへの羨望と憧憬でできていた。

「あなたは、以前、娘の解けたリボンを拾って結んでくれた。新しい結び方も教えてくれた。娘は、親切で優しい お姉ちゃんのことを憶えていました。あなたは、その心の通りに 綺麗で優しい人になりますよ。僕と氷河が請け負います」
「あ……ありがとうございます!」
彼女は氷河と瞬に向かって、きっちり60度 腰を折って礼を言った。
それから180度 身体の向きを変え、芸もなく ぽかんと突っ立っているだけの三人組の前に、赤と紺色のリボンが飾られたチョコレートの箱を差し出す。

「このチョコ、あんたたちにあげる」
「へっ。なんで」
と、少々 間の抜けた反問をしたのは、打西くん。
「余ったのよ。私はダイエット中だし」
そして、
「あ、俺、俺さ。中身は おまえらにくれてやるから、箱と包装紙とリボンは俺にくれ」
と、言い出したのは、茂才くんだった。
「なんだよ、それ」
という物言いをつけたのは、無斉くんである。
「チョコは食ったら終わりだけど、箱やリボンはいつまでも残るじゃん」
「てめー、抜け駆けする気かーっ」
吠えて、茂才くんに突っかかっていったのは打西くんで、それで どうやら三人組の これからの進行方向は決まったようだった。
“人生の損になることはしない”という方向に。

津島さんは、用意していたチョコレートを、三人のうちの誰か一人に渡すつもりだったろう。
おそらく、それを、今 咄嗟に『あんたたち』宛てに変更したのだ。
氷河は、彼女の突然の路線変更の訳がわからないようだった。
実を言えば、瞬も、確信を持って正答と言い切れる答えに行き着いていたわけではない。
が、それが複雑で繊細な思春期の乙女心恋心に、三人組の暴言によって生じた傷心と、氷河と瞬の予言によって持つことができるようになった少しばかりの自信が作用した結果なのだということには、おぼろげながら察しがついていた。

彼女は、なかなか手強い美人になりそうだと、瞬は我知らず微苦笑を浮かべることになったのである。
三人組は、今のままでは 彼女に全く歯が立たない。
彼等の これからの変化成長に期待するしかないようだった。

「瞬?」
「マーマ、楽しそう。何か いいことあった?」
ナターシャが、小さな手を瞬の頬に置いて尋ねてくる。
それを“いいこと”と言ってしまうのは、三人組に気の毒な気がしたので、瞬は微苦笑を 明瞭な微笑に変えて、首を横に振った。

「ナターシャちゃんが、あのお姉ちゃんや お兄ちゃんたちくらいの歳になって、急に『パパなんか嫌い』って言い出したら、氷河はどうするのかなあって思ったら、ちょっと楽しくなっちゃったんだよ」
アテナの聖闘士たちには縁のなかった思春期という季節。
その季節が、いつかナターシャの上に訪れるのだろうか。
その時、氷河はどうするのか。
そんな想像ができるだけでも、嬉しく楽しい。
瞬には嬉しく楽しいことが、氷河とナターシャには、それほどでもないようだったが。
むしろ、全く楽しくなさそうだったが。

「ナターシャはパパのこと嫌いになったりしないヨ! そんなこと、あるはずないヨ!
ナターシャの断言にもかかわらず、氷河の顔は引きつったまま。
思春期三人組に対峙した時の余裕は、今の氷河には 全くない。
瞬も、それが自分のことではなく、公園で偶然 出会った中学生たちのことでもなく、家族のこと――それも 血の繋がらない娘のこととなると、冷静に対処できる自信は あまりなかった。
発達心理学の講義で学んだことが、はたして どこまで役に立つものかと不安にもなる。

だが、だからこそ、その時の到来が楽しみで、待ち遠しい。
自分が 経験できなかった季節だからこそ、思春期は 瞬には憧れの季節だった。






Fin.






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