パパのお嫁さんはシャッキンを憎む。






「ドーシテ? ドーシテ、ナターシャはパパのお嫁さんになれないの?」
ナターシャが その素朴な疑問について納得のいく答えを求め始めたのは、最近 光が丘公園でできた新しいお友達リコちゃんのせいだった。

リコちゃんは、以前は、ムサシノ市というところにパパとママと三人で暮らしていたのだが、先月 ママと二人で光が丘に引っ越してきた、ナターシャより1つだけ お姉さんの女の子である。
リコちゃんのパパがフドーサントーシに失敗して、タガクのシャッキンを抱え込んでしまったため、リコちゃんのパパとママはケッコンをやめた。
そして、リコちゃんのパパは、リコちゃんとリコちゃんのママを守るため、一人でシャッキントリと対決。
リコちゃんは、怖い借金取りを逃れて、ママと二人で(パパとは離れて)光が丘の小さな賃貸マンションで暮らすことになったらしい。

リコちゃんのパパとママがケッコンをやめる前、ママの機嫌が悪い時には、リコちゃんはいつも パパと一緒に 大きな池のある公園に 散歩に行っていた。
ママより優しくて、滅多に怒らないパパが大好きで、パパとお散歩するのも大好きだったリコちゃんは、以前のように パパと一緒に暮らしたくて、そのためには自分がパパのお嫁さんになればいいと考えた。
ママにそう言ったら、リコちゃんのママは また機嫌が悪くなり、パパの娘はパパのお嫁さんにはなれないのだと、リコちゃんを怒鳴りつけた――のだそうだった。

「そんなの、おかしいと思うでしょ、ナターシャちゃん」
と、リコちゃんに言われたナターシャは、言われてみれば 少し おかしいのかもしれないと思った。
より正確に言うなら、リコちゃんのために、『おかしくない』と思わずにいた。
「パパのお嫁さんっていうのは、パパが大好きで、パパと仲良しで、いつもパパと一緒にいる人のことでしょ。私はパパが大好きで、いつもパパと一緒にいたいのに」
リコちゃんに そう言われるまで、ママの機嫌が悪くなる おうちがあるということの方に気を取られて びっくりしていたナターシャは、その時は あまり深く考えず、ほとんど弾みで リコちゃんに頷いた。
だが、あとになってから、パパの娘がパパのお嫁さんになれないのは 確かにおかしいと思うようになった――のだそうだった。

「だって、ナターシャは、パパが大好きで、パパとずっと一緒にいたいのに。なのに、ドーシテ、ナターシャはパパのお嫁さんになれないの?」
ナターシャが これまで、自分はパパのお嫁さんになれないと言われても、その事実(?)を素直に受け入れていたのは、パパの娘は いつまでもパパと一緒にいられると思っていたからだったのだ、おそらく。
だが、リコちゃんのように、パパの娘がパパと一緒にいられなくなることもあると知って、ナターシャは不安になってしまったらしい。

「ドーシテと言われても、俺には瞬がいるから」
「マーマは、ナターシャのマーマで、パパの瞬だけど、パパのお嫁さんじゃないって、星矢ちゃんが言ってたヨ」
「まあ、それはそうなんだが」
「パパの娘はパパのお嫁さんになれないって、ホーリツで決まってるの?」
「ああ、そうなんだ、困ったなあ」
「そんなホーリツ、なくしちゃえばイイヨ!」

「こればかりは、法律と戦って倒すわけにもいかないから……。日本の法律は 日本中の人たちが守らなければならないルールだから、法律を変えるには、日本中の人たちの賛成が必要なんだ。どうしても法律を変えたいなら、ナターシャが偉い大人になって、日本人の半分以上の人の賛成を集めてまわるしかない」
「むー」
腕をいっぱいに伸ばしてもベランダの手擦りに手が届かないくらい小さいナターシャが、偉い大人になるには どれくらい時間がかかるのだろう。
“偉い大人”になれる自信はあるが、大人になるには長い時間がかかる。
ナターシャは、唇を真一文字に引き結んで、自分の思い通りにならない世界を睨みつけることになってしまったのだった。

その世界の中に、ココアのカップの載ったトレイが入り込んでくる。
「小さなマシュマロを よけながら、ゆっくり飲んでね」
瞬が リビングルームのローテーブルの右側中央にカップを置くと、ナターシャは 甘い香りに誘導されるように、そのカップの前――長ソファの氷河の隣りの席――に移動した。
そして、引き結んでいた唇を緩め、左右の手で 両手マグを しっかり掴む。
ナターシャの手にしているカップが傾かないように、右手の人差し指でカップの底を指で支えてやる氷河の様子を見やりながら、瞬は ナターシャの向かい側の席に腰を下ろした。

「リコちゃんが、リコちゃんのパパを大好きで、パパに会いたいと思っているのなら、リコちゃんは きっとパパに会えるようになると思うよ。子供が 自分のパパとママに会えなくなるのは、パパとママが暴れん坊で、側にいるのが危ない時だけだから」
「エ……」
ナターシャの頬が緩んだのは、ココアの甘さも さることながら、それ以上に瞬の言葉が甘く感じられたからだったに違いない。
ナターシャは、大好きなパパに会えないリコちゃんに自分を重ねて 不安になっていた(だけ)なのだ。
リコちゃんがパパに会えれば、ナターシャの不安も消える。

「マーマ、ほんと?」
「もちろん、ほんと。今は お引越しをして生活が変わったばかりで、リコちゃんのパパもママも それぞれ毎日 忙しいだろうけど、暮らしが落ち着いてきたら、きっとパパが リコちゃんに会いに来てくれると思うよ。パパを大好きでパパに会いたい女の子は、優しくて娘が大好きなパパに会える。それは法律で決められているルールなんだよ」
「そっか。そうなんだ、よかっター」
法律で そう決まっていて、マーマが保証してくれるなら、リコちゃんは もうすぐパパに会えるに違いない。
ナターシャも もちろん、パパに会えなくなることはない。

ナターシャは、マーマの確約を聞いて すっかり安心したようだった。
そして、
「デモ、ナターシャ、やっぱり パパのお嫁さんになりたいナー」
という、ささやかな願いだけが残ったのである。






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