「マーマ! お迎えに来たヨ! 桜餅作りの準備万端ダヨ。みんなで春をお迎えするヨ!」
「ナターシャちゃん。氷河」
春の明るさに包まれたナターシャが 春の風を髪に絡ませながら 駆けてきて、瞬の膝に飛びつく。
その後ろから、もしブリザードが人間の姿を持ったなら こんなふうな姿を持つだろうと思えるような男が一人、ブリザードらしくなく無音で現れた。

「不快な気配を感じた」
『ので、心配になって迎えに来た』は省略。
アフロディーテに一瞥をくれ、
「ろくでなしの相手はするな」
どうして、省略してほしい言葉に限って、氷河は省略してくれないのか。
「おまえが、こんな奴に負い目を抱く必要はない。おまえは、ナターシャのために、明るく、前向きに、建設的かつ健康的に生きていていいんだ。ナターシャのために、おまえは幸せな おまえでいていい」
「うん」

氷河も、カミュの命を奪っている。
自分が倒した黄金聖闘士の前で、彼を倒した者が どんな思いを抱くのかは、氷河が誰より よく知っている。
氷河自身も抱く自責の念を、氷河は 瞬に『忘れろ』と言っていた。
ナターシャのために――生きている者たちのために――明るく、前向きに、生きていく。
それもまた、一つの贖罪の方法かもしれない。

「ありがとう、氷河」
日頃から、絶対に省略しないと決めている言葉を 氷河に告げ、瞬はアフロディーテに向き直った。
「僕たち、これから、家で桜餅を作ろうと思っているんです。よろしければ、ご一緒に いかがです? 桜は もう少し待たなければならないので、お菓子で季節を先取りしようと――」
“お客様”が大好きなナターシャが、瞬の言葉に瞳を輝かせ、基本的に来客嫌いの氷河が、“客が嫌いだから”ではなく“招こうとしている客がアフロディーテだから”嫌そうな顔になる。

「私は、桜は――」
『待っても、見ることはできそうにない』
「え?」
アフロディーテが声にしなかった言葉が、瞬には聞こえた。ような気がした。
そして、瞬は、アフロディーテが なぜ 今日、彼に似つかわしくない この場所にやってきたのかが わかった。ような気がしたのである。

アンドロメダ座の青銅聖闘士によって命を絶たれた魚座の黄金聖闘士。
束の間 蘇った、その命。
彼の“束の間”が終わるのではないか。
だから 彼は、彼が瞬に与えてから ずっと気になっていた“許し”の是非を確かめるために――彼の“束の間”が終わる前に 確かめようとして、今日、ここにやってきた。
生きている人間は、まもなく 彼に会うことができなくなるのだ。
瞬の推察は当たっていたようだった。


「君は、君の気が済むように――許しを求めず、許されることを期待せず、一生 罪を償い続ければいい。人のために戦い、人に尽くし、人を救うことに一生を捧げ、人のために生き続ければいい。苦しみながら、笑いながら、永遠に」
「アフロディーテ……」
「私は ずっと君を見ている。君に命を奪われた者たちも ずっと君を見ている。もし、君が挫けたら、アテナの聖闘士として戦い続けることができなくなったら、罪を償い続けることに耐えられず逃げてしまったら、『それ、見たことか』と嘲笑ってやる」

アフロディーテらしい激励。
瞬は、
「ありがとうございます。生きることの励みになります」
絶対に省略しないと決めている言葉を、彼に告げた。
アフロディーテが、瞬に背を向ける。
呼び戻そうとしたナターシャを、氷河が抱き上げて、止めた。


「アフロディーテ。これが最後ではありませんよ」
この公園に全く不似合いな後ろ姿に、瞬が告げる。
「これが最後だ」
もう二度と“束の間”はないと、アフロディーテは考えているらしい。
そうなのだろうと、瞬も思った。
だが、二人が 二度と会えないわけではない。

「いいえ。僕も いつかは死ぬ。冥界で、また会えます」
「なるほど。では、百年後の春に」
「ええ」
人の命を断ち切るという罪を、人は一生をかけて、命で償うしかない。
だから、アテナの聖闘士たちは誰もが、命の最後の瞬間まで戦い続けるのだろう。

百年の別れの始まり。
ここで桜の花びらが舞い散ったら、演出過多で、逆に滑稽である。
梅の季節は過ぎ、桃の節句は終わり、桜には まだ早い時季。
そんなふうにして、瞬は、華やかな美貌を誇った魚座の黄金聖闘士と別れたのだった。






Fin.






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