「じゃあ、ナターシャちゃんは これから一生 おうちで引きこもりすることにして、今日は お留守番を お願いしていいかな。僕と氷河は お出掛けするから」 「エ? オデカケ……? ナターシャを置いて……?」 ソファの上に座らされたナターシャが、驚いたように瞬の顔を見上げる。 瞬は にっこり笑って頷いた。 「僕と氷河は、こんなにいいお天気の日に、おうちに引きこもってなんかいられないからね。それに、お買い物に行かなくちゃ。ご飯の材料を買ってこないと、ナターシャちゃんだって、おなかがすいて、飢え死にしちゃうでしょう?」 マーマの“にっこり”と“理路整然”に、ナターシャは大慌てである。 ナターシャは、自分から離れていこうとする瞬の服の袖を ぎゅっと強く握りしめた。 「お……お買い物は、パパとマーマのどっちかが行って、お買い物に行かない方がナターシャと一緒にお留守番してればいいんダヨ!」 いいアイディアである。 自分のアイディアに、ナターシャの唇は ほころんだ。 「そうすれば、ナターシャは飢え死にしないし、置いてけぼりにされなくて、寂しくもないヨ」 だが、もちろん、ナターシャのマーマはナターシャより一枚も二枚も上手なのだ。 「でも、僕と氷河は仲良しだから、一緒にお買い物に行きたいんだよ」 瞬の後ろに立って、瞬とナターシャの引きこもり論争を傍聴していた氷河が、『僕と氷河は仲良しだから』に、瞳を輝かせる。 『仲良し』などという言葉を 瞬に言ってもらえることは滅多にないので、嬉しくて、氷河は つい相好が崩れてしまったのだ。 「そうだな、二人で一緒に買い物に行こう。買い物には荷物持ちが必要だ」 「パパ……」 ファザコンの娘は、クールでカッコいい(と彼女は思っている)パパが いつになく うきうきしていることを敏感に感じ取る。 ナターシャ抜きのオデカケを、パパは喜んでいるのだ。 これは捨て置ける事態ではなかった。 「ナ……ナターシャも、パパとマーマと仲良しだもん! それに、ナターシャみたいに小さな子が、一人でお留守番するのは危ないんダヨ!」 「だが、三人全員が飢え死にするよりはいいだろう」 「パパ、ナターシャと一緒に お留守番して!」 「ナターシャを飢え死にさせるわけにはいかん。俺には、ナターシャのパパとしての責任がある」 「パパ、パパ……! 今日、お外に出たら、ナターシャは、きっと 死んじゃうヨ。きっと嵐になって、ナターシャはどこかに飛ばされちゃう……!」 買ってもらったばかりのワンピースに みっともないシミを作ることより、ぴかぴかの靴に 無残な擦り傷ができることより、パパとマーマに置いてけぼりにされることの方が つらい。 ナターシャは、今、その事実を実感しているようだった。 声が 涙を帯び濡れているのに、同時に震え乾き かすれ始めている。 氷河は大真面目な顔で(笑いを こらえているわけではなく、いつも通りの顔で)すがりついてくるナターシャの頭を撫で、言った。 「大丈夫だ。嵐が来ようが、日照りになろうが、俺と瞬が必ずナターシャを守るから」 「ほんと? ナターシャ、お洋服とお靴が駄目駄目になるだけでなく、おリボンをなくしたり、びしょ濡れになって、どこかに飛ばされたりするのは嫌ダヨ」 「リボンもナターシャも、どこかに飛ばされそうになったら、すぐに瞬がチェーンでキャッチする。何の心配もない」 「あ……ソッカ……」 言われてみれば、その通りである。 ナターシャのマーマは、地球すら ぐるぐる巻きにできるほど長く強いチェーンを持っている。 ナターシャが嵐で どこかに飛ばされることは、ほぼ不可能なことなのだ。 ナターシャは少し安心して――かなり安心して――すっかり安心して――笑顔になった。 いつもの前向きナターシャ。 上向いたナターシャの心を、瞬が すかさず捉える。 「うん。じゃあ、ナターシャちゃん。そのワンピースを脱いで、着替えよう。僕がジュースのシミの応急手当てをしておくから。ワンピースを着たまま、クリーニング屋さんに行ったら、ナターシャちゃんは裸んぼで帰ってこなきゃならなくなっちゃうでしょう」 「ソーダヨ! 危ないとこだったヨ!」 「ほんと、危なかったね。着替えて、顔を洗って、朝ご飯を食べて、歯を磨いて、髪を梳かして――すっかり綺麗にしてから、僕と氷河とナターシャちゃんと三人一緒にクリーニング屋さんに行こう。その方がクリーニング屋さんも、こんなに可愛いナターシャちゃんのためなら、絶対にワンピースを綺麗にしなきゃならないと思って、特に念入りにクリーニングしてくれるだろうから」 『こんなに可愛いナターシャちゃん』より『僕と氷河とナターシャちゃんと三人一緒に』のフレーズが、ナターシャを引きこもりのピンチから救う。 ナターシャは、引きこもりの扉を開けるのを、その直前で思いとどまってくれたようだった。 |