「イケメンでハンサムで男前なパパなんて、ナターシャのパパは最高ダヨ!」
就寝時刻になっても 興奮冷めやらず、その夜、幸せなナターシャは、なかなか寝就くことができなかった。
昨夜は――昨夜も、“男前”が よくない意味の言葉なのではないかという不安のせいで、ベッドに横になり目を閉じても なかなか眠りの中に落ちていくことができなかったのだが、今夜は嬉しすぎて、そもそも目を閉じることができない。

「ほんとだね」
パジャマに着替えてベッドに横になっても、ナターシャが ぱっちり目を開けているせいで、瞬は部屋の灯りを消すタイミングを掴めずにいた。
ナターシャの喜びに同意して頷く微笑に困惑の色が混じる。

「こういう時、大抵は、パパが親切にしてあげた おばあちゃんが いい魔法使いで、お礼に願いを叶えてに来てくれるんだけど……」
魔法使いが おとぎの世界から出てくることは、滅多にない。
その事実は、ナターシャも ちゃんと知っていた。
ただ、昨日会った おばあちゃんが、ナターシャが知っている他の老人たちとは どこか様子が違っていて――彼女は 不思議な魔法の気配を漂わせていたのだ。
ある種の期待と、ある種の不安と―― ナターシャの揺れる心を察しているのだろうマーマが微笑んで、ナターシャの頬をそっと撫でてくれた。

「いい魔法使いが来てくれるのは、ナターシャちゃんがピンチに陥っている時でしょう。ナターシャちゃんはピンチに陥ってないから、今日はいい子でおねむしようね。明日、寝不足の顔のナターシャちゃんを見たら、ナターシャちゃんのイケメンでハンサムで男前のパパが心配しちゃうから」
「はーい。おやすみなさいー」
いい子のナターシャは、マーマの言うことを聞く。
パパに、寝不足で ふにゃふにゃの顔を見せることもしたくない。
ナターシャは、マーマに よい子のお返事をした。
そんなナターシャに微笑んで『おやすみ』を言い、電気を消して、マーマはナターシャの部屋を出ていったのである。



部屋の灯りを消しても、ナターシャの部屋は真っ暗にはならなかった。
部屋の四隅に、室内が真の闇にならないように小さなセーフライトがあるからだが、それに加えて、今夜は月が とても明るいのだ。
魔法使いが現われても不思議ではないような、明るい夜。
カーテンの隙間から入ってくる月の光を見詰めながら、ナターシャは呟いたのである。
「ピンチでなくても、魔法使いに叶えてほしい願い事はあるんダヨ」
と。

「どんな願い事だい?」
ナターシャ以外 誰もいない部屋に、ナターシャ以外の誰かの声が響く。
それは、もちろん、
「ティッシュペーパーのおばあちゃん!」
だった。

ティッシュペーパーの箱こそ持っていないが、間違いなく、昨日のおばあちゃんである。
歩くのが遅く、他の動作も 同じくらい遅かった おばあちゃんが宙に浮かんでいるのは、魔法で身体の重さや不自由を消し去ったからなのか。
ナターシャの部屋に現れたティッシュペーパーのおばあちゃんは、昨日とは打って変わって 表情が明るく、生き生きしていた。

「男前のパパさんの願い事を叶えてやりに行ったら、パパさんは、自分の望みは自分で叶えるから、魔法なんていらないと言うんだよ。そして、もしかしたらナターシャには何か叶えてほしい願い事があるかもしれないから行ってみろと言われた。それで、こっちに来たんだよ。お嬢ちゃんには、何か願い事があるのかい?」
「願い事、あるあるあるダヨ! 待ってましたダヨ!」

イケメンでハンサムで男前のナターシャのパパは、やはり最高のパパである。
いつも ナターシャのことを考えていてくれて、魔法使いまで派遣してくれた。
『パパ、ありがとう』と、心の中でお礼を言ってから、ナターシャは ベッドの上に撥ね起きたのである。
魔法使いのおばあちゃんも驚くほど勢いよく。
願い事があるから、魔法使いを欲するのだ。
ナターシャの願い事は、
「ナターシャは、おばあちゃんが2冊も買った絵本を読んダヨ。ナターシャは、人魚姫を王子様とケッコンさせてあげたいヨ!」
だった。

「おやおや。自分のお洋服やおやつはいいのかい」
魔法使いのおばあちゃんが、魔法使いの三角帽子を少し右側に傾けて尋ねてくる。
昨日は茶色のチョッキを着て、同系色のワイドパンツを穿いていたのに、今日は黒の魔法使いルック。
それだけで、頼りになる感 満載である。
ナターシャは 力強く頷いた。

「ナターシャのお洋服やおやつは、ナターシャのパパとマーマが ナターシャにくれるから、魔法の力に頼らなくても大丈夫なんダヨ。でも、海の魔女の魔法で、海の泡になった人魚姫を幸せにするには魔法の力が必要なんダヨ」
だから、ナターシャは、魔法使いの登場を切望していたのだ。
おばあちゃんから貰った絵本がハッピーエンドの『白雪姫』や『シンデレラ姫』だったら、その必要はなかった。

「なるほど。筋が通ってる。お嬢ちゃんは賢いねえ」
ナターシャの願い事を聞いて、魔法使いのおばあちゃんが感心したように言う。
ナターシャは鼻高々で、顎をしゃくった。
「みんな、そう言うヨ!」
「そうかい。みんな、そう言うのか」
「ウン。ナターシャはマーマの娘だから、カシコイのは当たり前なんダヨ。でも、パパの娘でもあるから、カシコイのは すごく立派なことなんだって」

それは どちらもナターシャにとっては誉め言葉だった。
『ナターシャは賢い』ではなく、『ナターシャはパパの娘』『ナターシャはマーマの娘』が。
ナターシャには、自分がパパの娘だということと、マーマの娘だということは、どちらも素晴らしい賛辞なのだった。
嬉しさ全開で笑ったナターシャより楽しそうに、おばあちゃんが けらけら笑う。

「で、私に どうしてほしいんだい?」
「王子様と隣りの国の王女様の結婚式の日に、ナターシャを連れてってほしいんダヨ。ナターシャが、王子様にほんとのことを教えてあげるヨ!」
自分の命を救ってくれたのが 隣りの国の王女様ではなく、人魚姫だということを知った王子様は、当然、命の恩人の人魚姫と結婚するはず。
そうすれば、人魚姫は、恋が実り、努力が報われ、幸せになる。
それこそが“筋の通った”展開と結末だろう。
大好きな王子様のために頑張った人魚姫の努力が報われ、人魚姫が幸せになること。
それが、ナターシャの望みだった。

「よろしい。では、お嬢ちゃんの望みを叶えてやろう」
「エ」
行く先は、王子様と隣りの国の王女様の結婚式の日、結婚式の場である。
ナターシャは もちろん、よそ行きのお洋服に着替えてから行くつもりだった。
だというのに、次の瞬間(お着替え前に)、ナターシャはもう、王子様と隣りの国の王女様の婚礼の宴が催されている船の上にいたのである。
文字通り、船の“上”に。






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