ナターシャが目覚めると、そこは いつもと変わらぬナターシャの子供部屋。
机の上に『にんぎょひめ』の絵本はあったが、魔法使いのおばあちゃんがいた気配はない。
「夢だったのかな……」
ベッドの上に身体を起こしたナターシャは、そう呟きながら 周囲を見回し、そして、自分の枕の横に、夕べはなかった珊瑚色の小さな珠があることに気付いたのである。
「ビー玉?」
ビー玉にしては、ちょっと小さい。
洋服の飾りボタンにありそうな珠だが、ナターシャは そんな色のボタンがついた服は持っていなかった。

それが何なのかを知りたかったので、ナターシャは、マーマが起こしにくる前に一人で起きて、一人で お着替えもして、マーマのいるリビングルームに急いだのである。
早起きマーマは 今日も既に起きていて、キッチンでサラダ用のドレッシングを作っていた。
夕べ遅く(“今朝早く”ともいう)帰ってきたパパは、まだ眠っているのだろう。
ナターシャが、
「おはよう」
と マーマに挨拶をすると、マーマは、ナターシャが一人で起きてきたことを『氷河にも見習わせたい』と言って褒めてくれた。

パパより立派な自分に ちょっと得意な気持ちになって、
「マーマ、これはナニー?」
ナターシャは、さきほど枕元で見付けた珊瑚色の珠を、マーマに指し示したのである。
マーマが それを摘まみ上げ、しげしげと見詰める。

「真珠みたいだけど、本物かな」
「エ? 真珠って、白い珠じゃないの?」
「真珠は、白だけじゃなく、いろんな色のがあるんだよ。黒い真珠や 黄色い真珠。ピンク色のコンクパールなんていうのもある。これは薄いオレンジ色――珊瑚の色だね。こういう色の真珠は メロパールっていわれる、とても珍しい真珠だよ」
マーマは、それをどこで手に入れてきたのかと、ナターシャに尋ねることはしなかった。
本物だからといって、ナターシャから取り上げることもしなかった。

「真珠は人魚の涙だと言われるけど、珊瑚の色の この真珠は、人魚の笑顔みたいだね。ナターシャちゃん、大切にとっておくといいよ。氷河に頼んで、髪飾りやブローチにしてもらうといいかもしれない」
そう言って、マーマが、人魚の笑顔のような真珠を ナターシャの手に返してくる。
それが確かにナターシャのものだということを、マーマは わかっているようだった。
「あれは 夢じゃなかったのかな……」
小さく呟いて、ナターシャは、珊瑚色の真珠を ぎゅっと握りしめたのである。


愛している人に、同じように愛し返されない人がいる。
かと思うと、愛していたことを忘れてしまう人もいる。
真珠に色々な色があるように、愛にも色々な形があるのだろう。

大好きな人に“大好き”を返してもらえることは、幸福なことである。
ナターシャは幸福だった。
だが、ナターシャは、大好きな人に“大好き”を返してもらえない人魚姫を悲しく不幸なだけの姫だと思うこともできなかったのである。
彼女は、珊瑚色の笑顔のような真珠をナターシャにくれた。
大好きだったことを忘れてしまった 魔法使いのおばあちゃんも、ナターシャに優しくしてくれた。
本当に悲しいのは、愛した人に愛を返してもらえない人や 愛していたことを忘れてしまった人できなく、優しい心や“大好き”の気持ちを知らない人だけなのかもしれない。

ナターシャは、人魚姫が大好きだった。
魔法使いのおばあちゃんも大好きだった。
そして、パパとマーマが大々々好きだった。






Fin.






【menu】