オックスフォード・アンド・ケンブリッジ・クラブのクラブハウスは、バッキンガム宮殿から徒歩数分のところにある、バロック様式の石造りの建物である。
100部屋ほどの宿泊用の個室の他に、カフェ、レストラン、バー、ビジネスセンター、パーティ用ホール、会議室、図書室、談話室等の施設が揃った、一つのホテルのようなもの。
瞬が クラブを訪ねたのは、沙織から この任務を知らされた日の1週間後のことだった。
その日、シドニー子爵がクラブハウスを来訪するという情報が入ったのだ。

瞬は、オックスフォード大学の卒業生でもケンブリッジ大学の卒業生でもないが( =オックスフォード・アンド・ケンブリッジ・クラブへの入会資格はないが)、オックスフォード・アンド・ケンブリッジ・クラブの会長と副会長の推薦で( =沙織の強烈なコネクションと ごり押しで)、無事に(?)伝統あるクラブの会員になることができた。

「沙織嬢の紹介だから、凡庸な人間が来るとは思っていなかったが……実に美しい。これほど澄んで優しく、だが 力強い瞳の持ち主には初めて会った。いったい どういう方ですか」
オックスフォード・アンド・ケンブリッジ・クラブの会員証は、非接触ICカードの他に、仰々しい金箔押しの紙の証書もあるらしい。
そちらは 証書フォルダーに入れて郵送することになっているということで、瞬はクラブハウスの会長室では カードだけを受け取った。

「すみません。無理を言って入会させていただいたのに、何も言えなくて……」
英国のエリートしか入会できないジェントルメンズ・クラブの会長と副会長は、どちらも おそらく50代。
背が高く、体格もプロポーションもよく、身に着けているスーツはオーダーメイドの極上品。
学生としてはОBでも、英国のジェントルメンズ・クラブのトップとしては若手の部類らしかった。
瞬が へりくだった態度で、黙秘権の行使を願うと、二人は気を悪くした様子もなく、揃って 静かに頷いた。

「ああ、申し訳ありません。あなたの身の上については、決して詮索しないよう、沙織嬢には きつく言われているのですが」
「並みの貴族ではない。王族、皇族、政界、財界、学会……もしかすると、宗教界か?」
「僕は何ということもない、取るに足りない人間です」
謙遜しているわけでも、卑下しているわけでもない。
瞬には、他に答えようがなかったのだ。
瞬にとっては紛う方なき“ただの事実”を、しかし、二人の紳士は 信じてくれなかった。

「あの沙織嬢が、取るに足りない人間を、我がクラブのように伝統ある組織に、その規則を曲げてまでの対応を依頼してくるとは思えません。あなたの その瞳は、地上で唯一。姿も極上」
「我が国の女性陣も 美しいことは美しいのだが、どうも たおやかさに欠ける。アングロサクソンのたくましさというか、硬さがあるからね。沙織嬢はアングロサクソンではないが、彼女も やはり ある種のたくましさが感じられる女丈夫だ。しかし、あなたには人種を超越した やわらかい美しさがある。そもそも人種も民族も性別も特定できない」

ごり押し入会の新会員の身の上を詮索するなという指示は出ているらしい。
へたに言葉を重ねると、そこから あれこれ推察される懸念がある。
そして、彼等には その能力がありそうだった。
だから。
『性別を特定できない』は 褒め言葉ではないだろうと 指摘することもせず、瞬は にっこり笑って、すべてをごまかしたのである。
二人は、それで、瞬の正体を探り出すことを諦めてくれたようだった。






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