氷河と同じことを、グラード財団総帥の代理人を名乗る星矢という青年に言われた瞬は、その申し出を 二つ返事で快諾した
「僕、そういうリサイタルなら、童謡を弾きたいです。『ふるさと』とか『埴生の宿』とか。子供たちの合唱つきで。でも、そういうの、氷河さんは嫌がるかな……」
「うーん。沙織さんは、素敵なアイディアだって言って喜びそうだけど、あのチョーゼツギコーハピアニストは、チョーゼツなギコーじゃないと価値がないって思ってそうだよな。なんか、とっつきにくそうだし。俺、おまえと、あの氷河って奴の身上書見せられて、どっちか招請してこいって言われてさ。ソッコーで おまえの方を選んだんだ。あっちの方は、ちょっと機嫌 損ねると、意地でも話に乗ってくれなさそうだったから」

2時間のステージ演奏と、芸術ホールのPR活動協力込みで1000万の契約を結びに来た星矢は、どう見ても瞬と同年代で(つまりは十代で)、やたらと人懐こく、乗りが軽かった。
瞬は、ほとんど 彼の乗りの軽さに乗せられて、契約書にサインしたようなものだった。
グラードの企画の趣旨には賛同するし、協力したい。自分の出演料は無料でもいいと言ったのだが、
「契約金の中には、氷河の我儘の我慢料も入ってるから」
で、押し切られた。

「おまえと氷河って、全然タイプが違うだろ。あっちは顔と技巧だけの男。おまえは、洋の東西を問わず、老若男女も問わない、世界の人気者。おまえと氷河の間には、“目指す音楽性の相違”ってやつのせいで、絶対 一悶着起きる。その一悶着の解決料だと思って、受けとっとけ」
星矢にそう言われ、相応の覚悟をした瞬が、某県某市入りしたのは、リサイタル開催の3日前のことだった。

1000席ある席の3分の1はグラード財団の買い上げ、50席は某県某市の買い上げ。
とはいえ、他の席も売らねばならないのだから、事前にチケット販売機関で告知、販売する必要上、弾く予定の曲は互いに提出し合っていた。
グラードの社会貢献部は、氷河はリストの『ラ・カンパネラ』他、瞬はショパンの『ノクターン』他――という、実に大雑把な告知でチケット販売を開始。
リサイタル当日の2ヶ月前に販売開始という、クラシックコンサートとしては異例の緊急告知だったにもかかわらず、チケットは即日完売した。

右半分をピアノ演奏する瞬、左半分をピアノの横に立つ氷河で構成された販促用画像が(無許可で)ダウンロードされる回数が尋常でないというので、アナログ企業を目指すグラード財団社会貢献部がポスターを作製販売したところ、送料込み2000円の品が50万枚売れるという、あり得べからざる事態が現出。
「いろいろ正反対の おまえら二人が並んでるだけで芸術的だとかでさあ。アナログ全盛時代に カラヤンが いちばん男前だった時期のポスターでも、ここまで売れなかったとか」
ポスターの売り上げだけで 養護施設の建設費用を賄えたと 星矢に教えられ、瞬は驚きつつも、少し肩の荷を下ろした気分になったのである。
ポスターの売り上げの内の数億円分だけにでも、自分が寄与できたのなら、リサイタルで童謡を1曲 弾くくらいの我儘は許してもらえるのではないか。
そう期待して。

もちろん、それは、リサイタルのプロデューサーやディレクター、何より 氷河の了承を得られたら――の話である。
瞬の提案を聞いたグラード財団社会貢献部のプロデューサーやディレクターの返事は好感触だった。
無論、それも、『氷河が了承したら』の条件付きだったが。

そんな状況での某県某市入り。
瞬は、初めて、氷河に直接 会ったのだった。
噂通りの氷の美貌。
無表情、無口、不愛想。
あまり、好かれていないような気がした。

「はじめまして。僕、瞬です。光速で動く指の持ち主に お会いできて嬉しい。よろしく お願いします」
そう言って にっこり笑いかけたのに、氷像のように無反応の人間に、瞬は初めて出会った。
『ふるさと』の演奏は許してもらえないかもしれない。
そう考えて――瞬は、少なからず落胆したのである。






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