超絶技巧を要する難曲と言えばこれ と言われる、リストの『ラ・カンパネラ』。
氷河の超絶技巧演奏によって聴衆の目と耳を奪うことで始まった某県某市芸術ホール こけら落としのリサイタルは、瞬が奏でる リストの『愛の夢 第3番』、メンデルスゾーンの『春の歌』、ショパンの『ノクターン』へと続いた。
その後、これも難曲として知られる プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番を、氷河が弾く。
ここまでは、ある意味 妥当。予想通りの選曲、演奏だった。
だが、続けて、瞬が、難曲として知られるショパンの『幻想ポロネーズ』を、氷河が、技巧の『ぎ』の字も要しないエルガーの『愛の挨拶』を弾いたのは、意外な展開だったかもしれない。

聴衆は、これまでクラシックに興味を抱いたこともないだろう養護施設の子供たちですら、二人の演奏に圧倒され、心を奪われていた。
最後は、瞬の『ふるさと』の演奏。
誘うようなピアノ演奏に、観客席のあちこちからハミングが聞こえ始め、瞬が、
「みんなで歌いましょうか」
と声をかけると、それは すぐに聴衆全員参加の大合唱になったのである。

某県某市の児童養護施設と芸術ホール再建を記念した、氷河と瞬による二人リサイタルは大成功。
後日、民放キー局が地上波で 国内クラシックコンサートを完全放映するという前代未聞の荒業を断行して、日本全国の話題をさらうという おまけまでがついたのだった。



星矢と紫龍が、『あの二人で、また イベントやりたいなー』と思うことになったのは、氷河と瞬の二人のコンサートなら、グラード財団社会貢献部のイベントに、いくらでも協賛がつくことが確実と思われたからだった。
技巧の天才と、愛と魂のピアニスト。容姿の秀逸も相まって、二人の演奏は人の心を掴む。
人の心に、愛と感動を生む。
社会貢献には 愛と金が必要で、氷河と瞬は その二つを生む、汲めども尽きぬ泉のようなものだったのだ。

「でもなー。瞬はともかく、氷河の方は その気になってくれそうにないよな。こないだのリサイタル後の打ち上げでも、誰に話しかけられてもむすっとして、場の空気を思いっきり悪くしてくれてたし」
「それは、おまえが、日本では20歳未満の人間に酒は飲ませられないことになっているなんて、硬いことを言うから、臍を曲げたんだ」
「でも、それは事実だろ。やっぱ、無理かなー。氷河の奴、妙に瞬に対して対抗意識を抱いてるみたいだったし。でも、氷河だけ、瞬だけじゃ、あん時ほどの成功は期待できないような気がするんだよなー……」

星矢と紫龍が、グラード財団総帥の執務室で そんな愚痴を口にするのは、某県某市の時同様、アジアに冠たるグラード財団総帥の大権で あの二人を動かすことはできないかと、婉曲的に助力を乞うてのことだった。
グラード財団の絶対権力者 城戸沙織から、そんな二人に、思いがけない情報が もたらされる。

「あら、あなたたち、知らないの? あの二人、先月から東京都内で一緒に暮らし始めたのよ。氷河は活動拠点をパリから東京に移したの」
「へっ?」
「は……?」

それは、星矢にも紫龍にも、寝耳に水の話だった。
三ヶ月前、某県某市の二人リサイタルは大成功だったが、だからといって、氷河と瞬が打ち解けた様子はなく、二人は、ステージ上でも、抱擁はおろか握手の一つも交わさなかったのだ。
あれほどの成功を二人で成し遂げたというのに、二人は 少しも親しむ様子を見せなかった。
打ち上げのパーティ会場でも ろくに口をきかず、口をきかないまま、二人は 某県某市で別れたはずだった。
星矢は瞬を新幹線の駅まで送り、紫龍は パリへの乗り継ぎ便に乗る氷河を空港まで送ったので、それは間違いない。
だというのに。

「だっていうのに、なんで、いつのまに」
驚きが大きすぎて、声に全く抑揚がない星矢に、沙織が 訳知り顔を向ける。
「それはまあ……。片や、超絶技巧の持ち主。片や、愛と魂のピアニスト。『愛してる』の言葉なんかなくても、互いの演奏を聞いただけで、互いの気持ちを わかり合えてしまったんでしょ。なにしろ、天才同士だそうだから」
「……」

そうなのだろうか。
そういうものなのだろうか。
あの二人が、都内で――同国内で一緒に暮らし始めたというのなら、日本でのイベント企画への参加は、格段に依頼しやすくなるし、スケジュール調整も容易になる。
氷河が渋っても、瞬が説得してくれるだろう。

グラード財団 社会貢献部門にとっては いいこと尽くめなのだが、それにしても。
「あの二人が好き合ってるなんて、そんな気配、針の先ほどにも感じなかったのに……」
それは悪いことではないのだが、それにしても。
凡人には到底 ついていけない超絶技巧駆使の展開に、星矢は ただただ唖然呆然とするばかりだった。






Fin.






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