「き…城戸くん……雪代くん…?」
 無人の町としか思えないのだが、崩れ落ちた瓦礫の陰から何が飛び出てくるかわからな い。小声で氷河と瞬の名を呼び、足を引きずりながら、絵梨衣は二人の姿を求めて歩きだした。
 30メートルほど石畳の道を進むと、右手の方から氷河の低い声が聞こえてきた。ほっと安堵の息をついて、絵梨衣は二人の方に歩み寄った――寄ろうとして、だが、その足を止めた。
 瞬が、崩れた瓦礫に腰を降ろしているのが見えた。靴を脱ぎ、パンツの右の裾を膝のあたりまでたくしあげている。氷河が瞬の前に片膝をつき、瞬の右の素足を手の平に載せていた。
「痛むか?」
「ううん。平気」
「水で冷やせればいいんだが…。豆が潰れるんならともかく、足の皮膚が破けるなんて、どういう歩き方をしてたんだ」
 責める口調にも関わらず、氷河が瞬を案じているのは、痛いほどはっきり感じとれる。
 足を傷付けていたのは自分だけではなかったのだと、絵梨衣は初めて知った。
 瞬の脚は白く細く、面差し同様柔らかい線で描かれていて、とても男の脚には見えなかった。足も小さく、氷河はまるで大切な宝石でも戴くように瞬の足に触れている。
「革靴じゃなくスニーカー履いてたら平気だったんだ」
「あの女みたいなことを言うな」
 にこりともせず、氷河が言う。
 瞬は小さく横に首を振った。
「彼女、氷河の背中でずっと泣きそうな顔してた。いじめちゃ駄目だよ」
「俺がいついじめたんだ。俺は、あの女には、自分に腹が立つくらい優しくしてやってるぞ。おまえの足が傷付いてるのがわかってるのに、あの女の方を優遇してやった。こんな優しい男がどこにいる」
「僕はわかってるけど、他の人には氷河のそれは伝わりにくいの」
「おまえがわかってくれてりゃいいんだ、俺は。そうすりゃ、おまえがいちいち説明してまわってくれるからな。お節介なことに」
 瞬の"お節介"を本心から余計なことと思っている口ぶりだった。
「僕、氷河が誤解されてるの、嫌なんだもの」
「させといた方がいい時もあるだろう。あの女なんか、怒らせておいた方が元気でいるタイプだ」
「そうかもしれないけど…」
 瞬が呟くように言って、目を伏せかけた時――
「あ…」
「どうした。痛いのか?」
「ううん。あっちで何か光った」
「なに?」

 瞬が指し示した方向を見ると、確かに瓦礫の脇に午後の強い陽差しを受け、きらりと輝くものがあった。
 氷河がその光の源に近付き、瞬が靴を履いてその後を追う。好奇心を抑えきれず、絵梨衣もその側に歩み寄った。
「何? 何かあったの?」
 氷河と瞬の後ろから彼らの視線の先を追った絵梨衣は、そこに思いがけないものを発見した。泥レンガで作られた町の廃墟にあるものにしては異質な、得体の知れない機械の残骸を、である。
 スチールやプラスチックではなく、プラチナのような輝きをもった素材でできた、角の丸い直方体のようなもの、透き通った蜘蛛の糸を縒り合わせて太いロープ状になっているコードのようなもの、更には、部品がガラスのような素材から成るコンピューターの成れの果てのような代物までが、打ち捨てられ山積みになって、そこにあった。
「液晶パネルならぬ水晶パネルだね」
 瞬がぽつりと呟く。
「やっぱ、ディスプレイ画面に見えるか?」
「透き通ったキャッシュディスペンサーの残骸みたい」
「言えてる」
 氷河はタッチパネルらしきものに手で触れてみたが、それは何の反応も示さなかった。見た目通り、この機械は死んでいるらしい。
 氷河と瞬が深刻そうに構えている横で、だが、絵梨衣はふっと身体が軽くなった。
「どっちにしても、これ、パソコンかテレビよね? てことは、今はやっぱり過去なんかじゃなく現代なのよ。ねっ、そういうことでしょ?」
 遺跡発掘の途中で放棄された場所に、どこかの電気メーカーが不要になった機械を遺棄していった――そう考えれば、辻褄は合う。実際にそんなことがありうるのかどうかということは、絵梨衣の中では問題ではなかった。現に目の前にそうとしか思えない光景が広がっているのだ。疑問の余地はない。
「おまえはどーしてそんなに単純なんだ!」
 氷河は呆れ果てたように――感嘆しているようにもとれる口調で、絵梨衣を怒鳴りつけた。
 どうでもいいが、どうして氷河はいつも怒った口調なのかと、絵梨衣は思った。さっきはとても優しそうに見えたのに、と。
「おまえん家にだってパソコンくらいあるだろ。俺たちの使ってるパソコンとは素材が全く違う。ICらしきものもない。コードが単純すぎる。ここにあるのは、俺たちの知っているコンピューターとは全く別の思想で作られた代物だ。これが本当にコンピューターなんだとしたら、俺たちの見知っているコンピューターとは似て非なるものなんだよ!」
 氷河のきつい口調に傷付いて、絵梨衣は瞬に救いを求めた。たとえ氷河と同じことを言うにしても、瞬ならもっと優しく、絵梨衣の神経を逆撫でしないように説明してくれるだろう。それで絵梨衣の傷心は癒されるはずだった。
 が、そこに、絵梨衣の期待した瞬のフォローは入らなかったのである。瞬は、氷河と絵梨衣に背を向けて、廃墟の町を貫く石畳の道の先の一点を見詰めていた。






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