19XX年。おそらく夏。 城戸邸を中心とした 半径約1キロ四方の地域は、人類の歴史上かつて例を見ないほど厳しい大寒波に襲われていた。 隣接した市との気温差が、およそ30度。 隣りが真夏なら、こちらは真冬、そのあまりの気温差に心臓を圧迫され、命を落とした小動物も少なくない。 原因は、1週間前、某保健所の門前で瞬が拾ってきた一匹の小さな猫だった。 「兄さん。そんなにまとわりつかないでください。お茶がこぼれます!」 「ンギャア」 「兄さん、そんなとこでツメを研がないで!」 「ンミー」 「兄さん、そんなにあせらなくても、ミルクは逃げませんよ」 「ンミャア」 紫龍によってイッキと命名されたその猫は、不幸な事故にでもあったらしく、びっこで片目でシッポのちょん切れた、お世辞にも可愛いとは言い難い小さな黒猫だった。 しかしながら、瞬には、彼(イッキはオス猫だった)の見た目が可愛いか可愛くないかなど二の次三の次の問題らしく、文字通りイッキを猫可愛がりし続けていたのである。 瞬の行くところになら どこにでもついてまわり、のたり、馴れつき、じゃれつくイッキが、瞬以外の人間には なぜか爪を出し牙を剥くせいで、氷河、紫龍、星矢の三人は 瞬との間に境界線を引かれたような状態になっていた。 その境界線を越えることは、氷河たちの力をもってすれば決して不可能なことではなかったのだが、それはすなわち、イッキの攻撃に対し何らかの反撃を返すことでもある。 そんな事態を瞬が喜ぶはずがないのだ。 瞬に目顔で『ごめんなさい』と謝られては、どれほど そのクソ生意気な猫が気に入らなくても、イッキを蹴飛ばしたり張り倒したりすることはできない。 つまり、そういうわけで、氷河は不機嫌の度合いを増し、城戸邸は寒さの度合いを増していたのだった。 「兄さん、ダメ! くすぐったい!」 「ミャー」 「やだ、舌、ざらざらしてる」 「ミギャア」 「兄さんってば、本当に僕の膝が好きなんですね」 「ミャオーン!」 城戸邸周辺には時ならぬ雪が舞い散り、中庭の噴水には氷が張り始めていた。 この事態を最も憂慮したのは、某龍座の聖闘士・紫龍だった。 彼自身はまだしも、南欧育ちの星矢や一般人であるところの城戸邸の住人たち(アテナ沙織は一般人から除くとしても、メイドやその他の使用人たち)の忍耐と体力には限界があるのだ。 氷河は毎日、瞬がイッキとじゃれ合っている様を、ほぼ5メートルの距離を置いて不機嫌そうに睨みつけ、小宇宙を燃やし続けている。 瞬の温かい小宇宙に守られているイッキは 平和で、のんきで、幸せそうだったが、瞬の側に近寄ることができない者たちは、氷河の小宇宙の直撃を受ける。 城戸邸に起居する人間たちは、既に生きているのが奇跡といっていい状態にあった。 (じょーだんではないぞ、ったく……!) イッキが城戸邸に住みついて一週間が過ぎたある日、煮詰まりきった紫龍は、解決策を摸索するために真冬の城戸邸を後にした。 |