死んだと思われていた一輝が再び俺たちの前に姿を現わすまでの数ヶ月間、俺と瞬は、結構うまくやっていたと思う。 本当は自分の方がそれを求めているくせに、瞬は何も言わずに黙って俺の側に来て、俺が話をもちかけるのを待っているのが常だった。 気は乗らないのだが仕方なくそれに応じるのだという顔をして、瞬は俺を受け入れる。 だから、自分では何もしない。 ただただ 俺の愛撫を受け、喘ぎ、瞳を潤ませ、そして泣くだけ。 それでも俺は構わなかったんだ。 結局 瞬を自分の支配下に置くのは俺の方だったし、その際の快感には得難いものがあったし、瞬が変な真似を覚えて売女みたいなことをする様は、俺も見たくなかったから。 ただ一つ口惜しいことがあるとすれば、俺が瞬を俺のものにして、その時俺が手にする快感より、瞬が俺に奪われて、その時 瞬が感じている歓びの方が、ずっと深そうなものだったということくらい。 瞬はどこか普通ではないのじゃないかと、俺はしばしば思ったものだった。 が、それは、ある意味では より一層の満足を俺に もたらすものだったから、俺は大抵 機嫌よく瞬の細い肩を抱き寄せて眠りに就いた。 「……でも、それでもどうしても耐えられないような悲しいことが起こった時には、すぐにそれを忘れてしまえるようにできていればいいのにね、人間の心とか記憶の中枢とか、が」 「忘れて?」 そんな夜のうちのどれか──いつのことだったかは正確に憶えていないが、ふいに瞬が俺の腕の中で呟いたことがあった。 「そう。脳の記憶系のどこかにセンサーがついててね、そのセンサーに『あ、これは自分には耐えられない』っていうくらいの値が測定されたら、人はその悲しい出来事とか苦しいこととかを、すっぱり忘れちゃうわけ」 「──」 多分──兄を失ってしまったというのに、自らを保つことができている自分自身を、瞬は不思議に思っていたのかもしれない。 瞬が突然そんな話を持ち出したことを、俺はあまり妙なことだとは思わなかった。 「……狂ってしまう奴はいるな」 「あ、それでもいい」 瞬は、俺の腕に頬を押しつけて、声をたてずに微笑った。 「そういう自己防衛機能っていうのも、人が生きていくのには必要なものだし、人間のたくましさの現われでもあるよね」 「かもしれん」 あの頃 瞬は、本当に色々なことを一人で考えていたのだと思う。 そんな自分の思考を整理するために、俺を話相手にしているようなところが瞬にはあった。 「兄さんは僕を憎んでいたかもしれないね。もとはといえば、すべてが僕のせいなんだし」 「そんなことはない」 「どうして?」 「おまえは、おまえの兄が、そんなみっともないことをすると思うのか」 「……しません。……思わないよ」 それで瞬が楽になるのならと、俺も結構いろんなことを瞬に言ってやったものだった。 それで実際に瞬が楽になれたのかどうかはともかく、それだけのことをしてやってもいいと俺に思わせるだけのものを、瞬は俺に与えてくれた。 ろくに話をしたこともない男に突然身を任せてくるような奴なんだから、そちらの方面の経験が豊富なのかと思いきや(もっとも、あの時 瞬はまだ16歳だったから、“豊富”といってもたかが知れているとは思っていたのだが)、実際のところ、瞬は、メンタルな面・フィジカルな面で、恋愛に関して、まるで よく理解できないところや我儘に思えるようなところもあるにはあったが、なにしろ俺は、瞬に輪をかけて我儘な男だったから、瞬がたまに口にする我儘など可愛いものだと思っていた。 俺はあまり人間の容貌や身体の美醜にはこだわらない方だと思うんだが、その俺がつい言及したくなるほどに、瞬は何もかもが綺麗で、散々目の保養もさせてもらった。 死んだはずの瞬の兄がふいに瞬の前に姿を現わし、瞬がその幸運に狂喜して、それまでのようには俺を顧みてくれなくなったからといって、俺は文句を言える立場じゃなかったのかもしれない。 瞬は一度も俺に『好きだ』なんて言葉を言ってくれたことはなかったし、俺もそんな言葉は口にしなかった。 面倒だとか照れくさいとかいうのではなく──俺はどこかで信じていたのだ──と思う。 瞬は、一輝を失ったから俺を求めているのではない。俺は一輝の代用品ではないし、瞬が俺の後ろに兄の姿を見ているはずはない──と。 たとえば、瞬が、後ろめたさのために俺から視線を逸らすようなことは一度もなかった。 瞬は、いつでも真っすぐに俺を見ていた。 一輝がいてもいなくても、俺に向けられる瞬の あの眼差しが変わることはないと、俺は信じていた。 確かに それは 一輝が帰ってきた後も変わらなかった。 ただ、それまで俺ひとりに向けられていた瞬の眼差しが、俺だけのものではなくなったというだけで。 今 思えば、あれはただの嫉妬だった。 瞬が俺をないがしろにしたわけでも、俺と寝てくれなくなったわけでもない。 だが、俺はひどく我儘で、独占欲が強くて、そして不様なことが嫌いな男だったんだ。 俺は瞬にとってただ一人の、そして、第一番目の存在でありたかった。 俺と同程度、もしくは それ以上に、瞬が心を傾けている人間の存在が、たとえ瞬の実の兄といえど許せなかったんだ。 瞬に未練がなかったと言えば嘘になるが、俺といる時と違って、一輝の前では 驚くほど素直な いい子でいる瞬の様子を見せられて、俺はさっさと自分の恋を見切ってしまったのかもしれない。 他人同士の恋が 肉親同士の血の繋がりに敵うはずがない──と。 |