瞬ちゃんを寂しそうにさせている“そいつ”に会う機会は、氷河オオカミさんが瞬ちゃんに一目惚れしてから半年も経った頃に巡ってきました。 もっとも、氷河オオカミさんは、それが瞬ちゃんがずっと待っていた相手だとすぐには気付かなかったので、『ぜったい“そいつ”に噛みついてやる!』という決意を実行に移す機会を失ってしまったのですが。 だって、氷河オオカミさんはてっきり、瞬ちゃんが待っているのは瞬ちゃんと同じきつねだろうと思っていたのです。 可愛い瞬ちゃんに恋したのに、自分はオオカミだから瞬ちゃんに近付けません。 瞬ちゃんはきっと食べられてしまうと思って、オオカミを恐がるでしょう。 たまたま瞬ちゃんと同じきつねに生れただけで、瞬ちゃんにあんなに思われて、しかも瞬ちゃんに気軽に近付ける“そいつ”が、氷河オオカミさんは憎かったのです. だからこそ、“そいつ”が現れたら、鋭いツメや牙でズタズタに引き裂いてやろうと、氷河オオカミさんは思っていたのです。 相手は、可愛い瞬ちゃんを悲しませている悪い奴。 殺されたって当たり前です。 報われぬ恋の恨みも手伝って、氷河オオカミさんの“そいつ”への憎しみは、それはもう大変なものだったのです。 ところが、やってきたのは、金色の髪をした人間でした。 ですから、氷河オオカミさんは、まさかそれが瞬ちゃんの待ちこがれていた相手だとは気付かなかったのです。 厳しい冬の終りかけた、ある晴れた日の夕方、“そいつ”はやってきました。 どんぐり集めを終えて、いつものように小屋の入口の前で丸くなっていた瞬ちゃんが、急に鼻をくんくんさせて顔をあげたのを、氷河オオカミさんは森の木の影から見ていました。 何かあったのかな? と、氷河オオカミさんが首をかしげた時、 『こんっ !! 』 ひどく嬉しそうな声をあげて、瞬ちゃんは、その人影の方に駆け出していました。 そして、 「ポチ、元気でいたか?」 と言ってその人間が差し出した腕の中にぴょんっ! と飛び込んで、瞬ちゃんはこんこん声をあげて泣き出したのです。 その人間が瞬ちゃんの頭を撫でてやると、瞬ちゃんは、それはもう嬉しそうにくんくん甘える仕草を見せるのです。 氷河オオカミさんは、ものすごい嫉妬の気持ちにかられてしまいました。 自分はオオカミだから、きつねじゃないからと考えて、氷河オオカミさんはずっとずっと我慢してきたのです。 だというのに、瞬ちゃんと同じきつねでもなく、それどころか尻尾もなくて、四ツ足で速く走ることもできない人間ごときが、瞬ちゃんを抱きしめ、瞬ちゃんに頬を舐めてもらっているのです。 あんまり悔しくて、氷河オオカミさんはギリギリ歯噛みをしてしまいました. おまけに、その金髪男ときたら、オオカミの氷河の目から見ても可愛いと思えるような人間の連れがいたのです。 「わあ、可愛い! これが氷河の言ってたポチ? すごーい、尻尾がふわふわしてるー !! 」 “連れ”というのは、当然、人間の瞬でした。 人間の瞬の手で頭を撫でられた瞬ぎつねは、『こん?』と鳴いて、その手の主の顔を上目使いに見あげました。 「はじめまして、ポチ。僕、瞬だよ。仲良くしてね」 人間の瞬の笑顔を、つぶらな瞳で見やりながら、瞬ぎつねは、 (この人が、僕と同じ名前の人間なんだ……。僕に似てるって、氷河は言ってたけど、どこが似てるのかな。この人には、ふわふわの尻尾も、氷河にお布団を作ってあげる毛皮もないのに……) と、そう思って、首をかくんと右にかしげました。 そして、その時、人間の瞬も、 (これが僕に似ているポチなんだ……。でも、どこが似てるんだろ。まさか外見──じゃないよね……?) そう思いながら瞬ぎつねを見おろし、かくんと首を右にかしげたのです。 そんな二人── 一人と一匹──を見て、人間の氷河は、 (やっぱり、そっくりだな) と思っていたのでした。 「さ、瞬。家の中に入ろう。早いとこ掃除をしちまわないと、今夜俺たちの眠るところもないぞ」 ほんとにそっくりな二人を交互に見比べて苦笑していた氷河は、しばらくするとそう言って、人間の瞬の肩を抱き、瞬ぎつねが一人で守ってきた小屋の方に歩き出しました。 そうして氷河は、何年か振りで帰ってきた小屋の入口や庭、部屋の中までがどんぐりで埋まっているのを知ることになったのです。 「うわ……」 山のようなどんぐりに驚き、そして半ばあきれて、氷河は、自分の足元を走りまわっている瞬ぎつねをまじまじと見おろしたのです。 「もう集めなくていいって言っといたのに……」 よくよく見ると、山と積まれたどんぐりの中には、既に芽を出しているものまでありました。 氷河が自分を見おろしているのに気付いた瞬ぎつねは、氷河の前にぺたりと座り込み、ぱたばた元気よく尻尾を振り始めました。 きっと氷河は、うんと自分のことを褒めてくれるだろう──瞬ぎつねはそう思って、えっへんと胸を張って、氷河の言葉を待ったのです。 ですが、氷河はもう、どんぐりでパチンコ遊びをしていた子供の氷河ではありません。 こんな何の役にも立たないどんぐりを山積みされても困るだけでした。 「氷河……これって、いったい、どういうこと?」 人間の瞬に尋ねられ、氷河は頭をがりがりかきながら、瞬ぎつねと自分とどんぐりの関わりを、かくかくしかじかと説明してやったのです。 その話を聞いた人間の瞬は、瞬ぎつねの健気さに、ほろりと感動の貰い泣きをすることになったのでした。 そして、人間の瞬は、思いきり氷河をなじったのです。 「ポチってば、なんて健気で可愛いんだろ。それに比べて、氷河ってば、なんていーかげんなの! 僕、あきれて物も言えないよっ!」 「しかしだな。こんなにたくさんのどんぐり、いったいどーしろっていうんだ」 困ってしまって わんわんわわん状態の氷河を、瞬ぎつねは相変わらずつぶらな瞳で、相変わらず小首をかしげて 見あげています。 人間の瞬は、それに気付いて、氷河の脇腹を肘でつつきました。 「氷河! そんな顔しちゃ駄目だよ! ポチを褒めてあげて! どんぐりなら、氷河が死ぬ気で食べればいいじゃない!」 人間の瞬にそう言われ、氷河は改めて瞬ぎつねを見おろしました。 一人ぽっちで置き去りにされたことを恨む素振りも見せず、瞬ぎつねは、ひたすら期待に満ち満ちた眼差しで氷河を見あげています。 氷河は、そんな瞬ぎつねにそっと手を差しのべ、抱きあげて言いました。 「そうか……。おまえは、ずっと俺の帰りを待ってたんだな。これは、おまえが俺のために一生懸命集めてくれたどんぐりなんだな……」 人間の瞬に夢中になって、瞬ぎつねのことをすっかり忘れてしまっていた自分を、氷河はとても恥ずかしく思いました。 ちょっとした話のはずみで、人間の瞬に瞬ぎつねのことを話したところ、人間の瞬が瞬ぎつねに会いたいと言い出したので、氷河は久し振りにシベリアに帰ってきたのです。 けれど、氷河は、本当は、二人で暮らしていた家に瞬ぎつねがまだいるとは思ってはいませんでした。 いくら仲良くしていたとはいえ、瞬ぎつねは人間ではなく、きつねです。 共に暮らす人間がいなければ、すぐに野生にかえり、二人で暮らしていた時のことも忘れてしまっているに違いないと、氷河は思っていました。 たとえ、シベリアの雪原のどこかで、偶然二人が顔を合わせる機会に恵まれたとしても、瞬ぎつねには、それが昔の友だちだとわかりはしないだろう──氷河は、そう思っていたのです。 だというのに……。 だというのに、瞬ぎつねはたった一人で、広いシベリアで、氷河を待っていてくれたのです。 「ポチ……。待たせて悪かったな。本当に悪かった……」 氷河に優しく背中を撫でてもらって、瞬ぎつねはとても幸せでした。 懐かしい氷河の匂いが、瞬ぎつねをとても安らかな気持ちにしてくれました。 そして、氷河と人間の瞬も、広大な雪のシベリアに自分をたった一人置き去りにしていった氷河を責めることなど思いもしないでいるらしい瞬ぎつねのつぶらな瞳と、そのいじらしさに、強く胸を打たれたのです。 ただ一人、そんな三人の様子を森の陰から眺めていた氷河オオカミさんだけが、激しい嫉妬とやり場のない怒りに身を震わせていたのでした。 |