さて、そんなふうに長い聞の苦労が報われて、とても幸せな気持ちになることのできた瞬ぎつねでしたが、瞬ぎつねの人生は万事塞翁が丙馬。 幸せの後には、悲しい出来事が待っていたのです. 瞬ぎつねは、久し振りに灯りのついた部屋の中で氷河たちと楽しい夕食をとり、懐かしい思い出話に花を咲かせました。 やがて夜も深けてきて、そろそろベッドに入ろうかという時刻。 氷河と人間の瞬と瞬ぎつねの尻尾で綺麗に掃除をしたベッドの上に氷河がごろりと横になったのを見て、瞬ぎつねは、以前そうしていたように、ぴょん☆と元気良く氷河の隣りに飛びあがりました。 飛びあがって氷河の顔を覗き込んだ時、瞬ぎつねはそこに、ちょっと驚いたような、意外そうな、困ったような、なんだかとっても妙ちくりんな表情の氷河を見い出すことになってしまったのです。 以前のようにまた二人で寄りそって仲良く眠れると思ってわくわくしていた瞬ぎつねは、 『こん?』 と、小さな声で鳴いて、首をかしげました。 氷河は、そんな瞬ぎつねの襟首を右手でつまみ、すまなそうに言ったのです。 「ポチ。悪いが、おまえは居間の方で眠ってくれ。瞬がいやが……いや、瞬の眠るところがないだろう?」 『???』 このベッドは、氷河と瞬ぎつねのベッドです。 どうして自分がそこで眠れないのか、瞬ぎつねにはわかりませんでした。 訳がわからず心細そうな目をしている瞬ぎつねを見て、人間の瞬は、瞬ぎつねがかわいそうになってしまいました。 なので、人間の瞬は、氷河に提案してみたのです。 「いいじゃない、氷河。ちょっと狭いけど、ポチと一緒に寝ようよ」 「バカ。そんなことをしてみろ。ポチの奴、俺がおまえをいじめていると思い込むに決まってるだろーが!」 「……」 人間の瞬は、この恥知らずな氷河をどうにかしてやりたいと思ったのですが、氷河につまみあげられている瞬ぎつねのために、瞬ぎつねの親友を殴りつけるのは思いとどまることにしたのです。 「だからね、今夜はそれはお休みにして、ポチと三人で一緒に眠ろうよ」 「駄目だ! なにを言ってる! あれは、俺の……いや、その、俺たちの大切な日課だぞ!」 人間の瞬の提案は、思いやりのない氷河に、あっさり一蹴されてしまいました。 氷河は、つまみあげていた瞬ぎつねを居間の絨鍛の上に置くと、しっかり寝室のドアを閉じてしまったのです。 「氷河! かわいそうだよ、こんなの! ポチはずっと一人で氷河を待っててくれたのに!」 ドアの向こうで、人間の瞬が氷河を責めている声が響いています。 けれど、瞬ぎつねの耳には、その声は聞こえていませんでした。 目の前でバタンと閉じられてしまったドアに、瞬ぎつねは、ただ呆然とすることしかできずにいたのです。 瞬ぎつねは何度もこんこん鳴いて、寝室の中に入れてくれるよう氷河に訴えたのですが、閉じられたドアは再び開かれることはありませんでした。 瞬ぎつねは、ショックで目の前が真っ暗になってしまったのです。 (僕……僕……。氷河は僕が嫌いになったの? 僕は氷河に嫌われちゃったの? だから、氷河は、長いこと僕のところに帰ってきてくれなかったの?) お母さんもお兄さんも猟師さんに殺されてしまった瞬ぎつねの、氷河はたった一人の大事な友達だったのに……! 瞬ぎつねの瞳からは、ぽろぽろぽろぽろ涙がこぼれ落ちてきました。 たった一人の友達に嫌われてしまったら、瞬ぎつねにはもう生きている甲斐もありませんでした。 悲しくて悲しくて、けれど、氷河を恨むことで自分の心を保とうとすることも思いつかない瞬ぎつねは、悲しみに追いたてられるように、小屋の外に飛び出したのです。 そして、瞬ぎつねはそこで、ばったり氷河オオカミさんと出会うことになってしまったのでした。 恐い恐いオオカミさんに出会ってびっくりした瞬ぎつねは、急いで小屋の中に戻ろうとしました。 けれど、瞬ぎつねは、そこで はたと思いとどまったのです。 氷河に嫌われてしまったら、自分には生きている甲斐がないのです。 ここで恐いオオカミさんから逃げ出さずにいれば、きっとオオカミさんは自分を食べて、この命を奪ってくれるだろう──そう、瞬ぎつねは思ったのでした。 だから、瞬ぎつねは、覚悟を決めて、氷河オオカミさんの前にちょこんと座り込んだのです。 そんな瞬ぎつねにびっくりしたのは、今度は 氷河オオカミさんの方です。 自分に会ったら瞬ぎつねはきっと恐がって逃げてしまうだろうと思っていたのに、瞬ぎつねに逃げる気配がないのです。 なぜ瞬ぎつねが逃げ出さないのか、氷河オオカミさんにはまるでわかりませんでした。 けれどとにかく、長い間 大好きで大好きで仕方のなかった瞬ぎつねが、今、目の前にいるのです。 氷河オオカミさんは、ずうっと瞬ぎつねにしてみたかったことに、勇気を出して挑戦してみようと思ったのでした。 氷河オオカミさんは、ちょっとどきどきしながら、瞬ぎつねの鼻の頭をぺろっと舐めてみました。 瞬ぎつねは、きっとオオカミさんは味見をしているんだ──と思って、ぎゅっと目をつぶって、逃げ出したいのを我慢し続けました。 鼻の頭を舐められても逃げ出さない瞬ぎつねに、氷河オオカミさんの胸はますますどきどきしてきました。 だって、氷河オオカミさんは、本当にもうずっと長いこと、瞬ぎつねにこうしてあげたいと思い続けていたのです。 叶わないと思っていた夢が、現実のものとなったのです。 氷河オオカミさんは、もう夢中で、可愛い瞬ぎつねのほっぺや耳や脚や背中をぺろぺろ舐めてあげたのでした。 瞬ぎつねは、オオカミさんというのは、随分長い味見をするんだなと思いながら、ずっと恐いのを我慢していました。 けれど、氷河オオカミさんに味見をしてもらっているうちに、瞬ぎつねは、なんだか段々気持ちが良くなってきてしまったのです。 まるで、ずうっと昔、お母さんに優しく毛づくろいをしてもらっていた時のように、瞬ぎつねはふわふわした気分になり始めていました。 氷河オオカミさんは優しくて、温かくて、瞬ぎつねはいつのまにか恐いのも忘れ、氷河オオカミさんの胸の下でころんと丸くなって眠り込んでしまっていたのです。 そうして──その夜、人間の氷河と寄りそって眠るのと同じくらい暖かくて優しい夜を、瞬ぎつねは氷河オオカミさんと過ごすことができたのでした。 瞬ぎつねと氷河オオカミさんは、そんなふうに素敵な夜を過ごしたのですが、翌朝目覚めて小屋の外に瞬ぎつねを捜しに出てきた人間の氷河は、びっくり仰天。 居間の中に瞬ぎつねがいないのに慌てて小屋を飛び出した途端、大きなオオカミが小さな瞬ぎつねに覆いかぶさるようにして、そのほっぺをぺろぺろ舐めているのを見ることになってしまったのですから、人間の氷河の驚きも当然のことだったでしょう。 まさかオオカミがきつねに恋しているのだなどとは思いもしない人間の氷河は、 「こら、貴様っ! うちのポチに何をする !! 」 と、大声をあげて、氷河オオカミさんを追い払ってしまったのです。 人間の氷河の大声で目を覚ました瞬ぎつねは、まるで事情がのみこめずに、しばらく きょとんとしていました。 そして、はっと我にかえった時、瞬ぎつねが見たものは、人間の氷河に追い払われて、森の中に逃げ込んでいく氷河オオカミさんの後ろ姿だったのです。 「ポチ、ダメじゃないか。夜に外をひとりで出歩くのは感心しないぞ」 誰のせいで、瞬ぎつねが、危険な夜、安全な“家”の外に出ることになったのか、全くわかっていないくせに、勝手なことを言う氷河です。 けれど、瞬ぎつねは、人間の氷河の勝手な言い草が、とても嬉しかったのです。 それは、人間の氷河が自分を心配してくれているということでしたから。 それは、もしかしたら、自分は氷河にすっかり嫌われてしまったわけではないのかもしれないという希望を与えてくれる言葉でしたから。 ところが、氷河は、その日の朝ごはんを済ませると、すこおし希望を持ち始めた瞬ぎつねを放っぽって、人間の瞬だけを連れ、さっさと永久氷壁見物に出掛けていってしまったのです。 ひとりぽっちでお留守番を言いつけられてしまった瞬ぎつねは、ぽつんと小屋の前に座り込んで、氷河たちの帰りを待つことになりました。 瞬ぎつねには、よくわからなかったのです。 氷河が自分を嫌いになってしまったのか、それとも、以前と変わらず、氷河は自分を友達だと思ってくれているのかどうかが。 もし今でも氷河が自分を友達だと思ってくれているのなら、どうして氷河は人間の瞬ばかりを構うのでしょう。 瞬ぎつねの心は、千々に乱れまくっていました。 そんな瞬ぎつねの側に、ゆっくりと近寄ってくる白い影が一つ。 言わずと知れた、氷河オオカミさんです。 瞬ぎつねを驚かせないよう、もし瞬ぎつねが恐がる素振りを見せたら、すぐ森の中に戻っていけるよう、氷河オオカミさんは注意深く、瞬ぎつねの側に近付いていきました。 瞬ぎつねは氷河オオカミさんが側に来たのに気付いていたのですが、なぜだかあまり恐い気持ちにはなりませんでした。 人間の氷河に嫌われたのなら一人で死んでしまいたいという気持ちはもうなくなっていたのですが、氷河オオカミさんが夕べ優しくしてくれたことが、瞬ぎつねの心のどこかに小さな温かい灯をともしていたのです。 もしかしたら、あのオオカミさんは特別なオオカミさんで、自分を食べることなんか考えていないのかもしれない──と、瞬ぎつねは思ったのです。 瞬ぎつねが思った通り、氷河オオカミさんは瞬ぎつねのすぐ側に来ても、瞬ぎつねに噛みついたり、唸り声をあげたりはしませんでした。 瞬ぎつねが逃げ出さないのを、とても嬉しく思った様子で、氷河オオカミさんは、タベと同じように、瞬ぎつねのほっぺをぺろりと舐めてくれました。 ひとりぽっちで、寂しくて、悲しかった瞬ぎつねは、氷河オオカミさんがそうしてくれるのが、とても嬉しくて、慰められて、温かい気持ちになって、そして、夕べと同じように段々いい気持ちになっていったのです。 このオオカミさんは、自分にとって二番目の大事なお友達になってくれるかもしれない──と期待しながら、瞬ぎつねは くんくん鼻を鳴らしました。 けれど──。 そんなふうにいい気持ちになって、ちょっと頭の中がぼんやりしてきた瞬ぎつねは、それまでとっても優しかった氷河オオカミさんが、急に自分の背中に乗っかってきたのにびっくりしてしまったのです。 氷河オオカミさんは、瞬ぎつねに、何だかものすごく変なことをしようとするのです。 どうして氷河オオカミさんがそんなことをするのか、訳がわからなくて、瞬ぎつねは小屋の中に逃げ込もうとしました。 ところが、氷河オオカミさんは、瞬ぎつねの背中を前足で抑えつけて、瞬ぎつねを離そうとしません。 恐くてたまらなくなった瞬ぎつねは、きゃんきゃん泣き出してしまいました。 氷河オオカミさんが夕べとっても優しかったのは、自分を油断させて頭から食べるためだったのじゃないかしら……と、瞬ぎつねは思ったのです。 『恐くないから、ひどいことしないから、逃げないでくれ』 氷河オオカミさんは ぐるるるるる……と瞬ぎつねの耳許にそう囁いたのですが、瞬ぎつねは恐がってきゃんきゃん泣くばかり。 そこにやってきたのが、永久氷壁見物から帰ってきた人間の氷河と瞬です。 氷河オオカミさんが、きゃんきゃん泣いている瞬ぎつねの上に乗っかっているのを見て激怒した人間の氷河は、鬼のような顔をして、氷河オオカミさんを追い払ってしまったのです。 氷河オオカミさんは、慌てて森の中に逃げ込みました。 「オ……オオカミのくせにっ! オオカミのくせに、きつねに手を出そうとするなんて、なんて奴だっ !! 」 怒髪天をついている人間の氷河を、瞬ぎつねは、やっぱり何が何だかわからないまま、きょとんとして見あげたのです。 そんな氷河をなだめるように、人間の瞬は、瞬ぎつねを抱きあげながら言いました。 「ね、氷河。あのオオカミさん、ポチのこと、好きなんじゃないの?」 「なに、バカなこと言ってるっ!」 人間の氷河は、人間の瞬の言うことに、耳を貸そうともしません。 「オオカミがきつねに惚れるなんて、そんな自然の摂理を無視したようなことがありえるかっ!」 偉そうに人のことを批判できる立場でもないくせに、氷河は癇癪を起こして大声で怒鳴り散らします。 人間の瞬は、自分勝手な氷河に、思いきりあきれてしまったのでした。 すっかり怯えてぶるぶる震えている瞬ぎつねを抱きあげると、人間の瞬は、人間の氷河を放っぽって小屋の中に入りました。 そして、人間の瞬は、膝の上に小さな瞬ぎつねをのせて、瞬ぎつねが落ち着くまでずっと、その頭を撫でてあげたのでした。 |