「おねーちゃん、おねーちゃん、僕とはなちゃん、ここだよー」
「おねーちゃん、おねーちゃん、私とふーちゃん、今日駆けっこで年長さんの誰より速く走ったのー」
二人の弟妹を幼稚園まで迎えに行く仕事は、月香と雪人が一日交代で受け持っていた。
本当は園児は3時までには全員帰宅させる規則になっているのだが、そこは氷河と瞬のコネがきいているらしく、風人と花香は何時まででも預かっていてもらえる。
保母たちは、だが、むしろ、その“上からの圧力”を喜んでいるところがあった。
他の園児がいなければ、依怙贔屓と思われることなしに、世にも可愛らしい二人の子供を思う存分可愛がることができるのだから。

今日も二人は五、六人の保母たちに囲まれて、公園で拾ってきたモミジの品評会を開いていた。
門前に姉の姿を認めた二人が、揃って月香に向かってぱたぱた大きく腕を振る。
どちらかといえば、人に遠巻きに畏怖されるタイプの雪人と月香、誰に対しても親しみを感じさせ、いつのまにか多くの人に囲まれている風人と花香。
もし“母親”が違っていたなら、この愛くるしい二粒の砂糖菓子は自分とは全くの他人なのだ――そう思うと月香は喉の奥に熱い痛みを覚えた。


「ふーちゃんとはなちゃんは、おねーちゃんのこと好き?」
自宅に向かう道すがら、月香は双子に尋ねてみた。
しっかりと手をつないで、月香の前の遊歩道を飛び跳ねるように歩いていた双子が、くるりと後ろを振り向いて即座に答えを返す。
「僕、おねーちゃん、大好きー。はなちゃんもだよ」
「私もおねーちゃん、大好きー。ふーちゃんもよね」
「どうして?」
(実の兄弟じゃなくても?)

「だって、いつも一緒にいるんだもん」
「いつも一緒にいて嬉しいのは、大好きだからだよねー」
二人は同じ顔を見合わせて互いの答えを確認し合うと、揃って春の陽射しのような笑顔を月香に向けた。
思わず目を細めた月香に、双子が屈託なく続ける。
「ヒョーガとシュンちゃんもそうなんだって。大好きだからずっと一緒にいるんだって。ヒョーガが言ってたよ」
「シュンちゃんも言ってた。大好きな人と一緒にいられるから、シュンちゃんは毎日とっても幸せなんだって」

「そりゃ、ヒョーガとシュンはそうでしょうよ」
風人と花香の言葉には素直に頷けた月香が、それが氷河と瞬の言葉だとなると素直に頷けない。
思わず洩れ出た呟きに、双子は木漏れ日の中で怪訝そうに首をかしげた。


「兄さん、なんでウチにはママがいないの」
瞬が、朝、家族全員が顔を合わせることにこだわるのには訳がある。
氷河も瞬も仕事の都合で帰宅時刻が不規則だから、なのだ。
帰宅が遅くなる日には、夕食は宅配される。
四人の子供と多忙な仕事を抱えながら、広い家の維持管理のためにハウスキーパーを雇い入れないのは、瞬のポリシーのようだった。
そして、当然、氷河が瞬に異議を申し立てるはずがない。

その日は、瞬の帰宅は10時過ぎ、氷河の帰宅は11時過ぎになると、瞬の助手及び氷河のセクレタリーから連絡が入っていた。
ダイニングでの夕食は、兄弟姉妹四人だけということになる。
が、氷河と瞬がいなくても、風人と花香の二重奏のおしゃべりのおかげで、いつも食卓は賑やかだった。
もっとも今現在に限って言うなら、双子はデザートのココナツプリンに夢中になっていたが。

「ヒョーガとシュンがいるだろ。どうしたんだ、急に」
夕食にほとんど手をつけずにいた月香の口からぽろりと零れ落ちた言葉に、雪人が微かに眉をひそめる。
「変だと思わないの」
「何が」
「何が……って――」

まさかそういうふうに反問されるとは思ってもいなかった月香が、返事に窮する。
雪人は、一生懸命ココナツプリンと格闘している風人と花香を見やりながら、月香に言った。
「言い方を間違えた。確かに変なんだろう、俺たちのウチは。他の家庭と違うという意味で。だが、ウチに、父親と母親がいて、変な家庭でなくなったとしても、俺たちが今より幸せになれるとは思えない」
「そういう意味じゃないのよ……! それくらい私だってわかるもん。私が知りたいのは……」

月香が知りたいのは、“このウチ”の外に自分たちの母親がいるのではないか――ということだった。
だが、訊けない――のだ、氷河と瞬には。
氷河にそんなことを訊いたら、氷河は不快に思うだろう。
瞬にそんなことを訊いたら、瞬を困らせることになるかもしれない。
そして、瞬を困らせることで、氷河の不快は怒りに変わる――。

普段はだらしがないほど瞬に甘い氷河が、いったん本気で怒ったらどれほど恐ろしいかを、月香はよく知っていた。
小学生の頃、出来の悪いクラスメイトを蔑むようなことを口にして瞬を悲しませた時、自分に向けられた氷のように冷たい氷河の視線を、月香はいまだに憶えていた。
『おまえのその綺麗な顔も、回転の早い頭も、優れた運動神経も、おまえの努力ではなく遺伝子の気まぐれで偶然もたらされたものだということを忘れるなよ。瞬と一緒に暮らしていながら、優しさも思いやりの気持ちも持てない人間に育ったのだとしたら、おまえは学習能力も洞察力もないただの馬鹿だ』

小学生の子供を叱るにしては難解に過ぎる物言いだったが、あいにく同年代の子供に倍する理解力を持っていた月香には、氷河の言葉の意味を理解するのは実に容易なことだった。
以来、その優れた学習能力をフルに活用して、月香は氷河の逆鱗に触れることだけは注意深く避けてきた。
何が瞬を悲しませるか――ひいては氷河を怒らせるか――を、明敏な頭脳と研ぎ澄まされた感性とで、月香は素早く判断できるようになっていったのである。

その鍛えぬかれた(?)判断力が、月香に警告音を発し続けているのだ。
『これは瞬に訊いてはいけないことだ』――と。
だが、知りたい。
月香は、自分の母親が誰なのかを、どうしても知りたかった。
何も知らないまま、氷河と瞬の子供でいた方が幸福でいられることはわかっていたのだけれども。






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