さて、その訳のわからない変なおじさんは、雪人の推察通り、年に一度寄りつけばいい方の某マンションの一室で、月香を相手に辟易しまくっていた。 「俺が言っていいことじゃない。氷河か瞬に聞け」 「ひどい、一輝おじさん……! 思春期で感じやすい歳頃の可愛い姪が、こんなに悩んでるのにーっ!」 「ふん。おまえが、氷河とどこぞの女の子供なら、俺はおまえとは何の関係もない赤の他人だ。泣こうがわめこうが知ったことか」 「たとえそうだったとしても! 一輝おじさんが私にそんな冷たいこと言ったなんて知ったら、きっとシュンが悲しむんだからっ!」 中学にあがって間もない子供の小生意気な言動に、一輝はうんざりしかけていた。 いったい何がどうなれば、あの瞬が育ててこんなこまっしゃくれた子供ができあがるのか、一輝には理解できなかった。 『シュンを困らせたくないから、シュンには訊けない』という言葉を最初に聞いていなかったら、短気な“一輝おじさん”は、とっととこの姪を部屋の外に叩き出してしまっていたかもしれない。 その言葉が最初にあったからこそ、続く『ヒョーガより一輝おじさんの方が全然恐くないからここに訊きにきたの』のセリフにブチ切れそうになった自分を何とか抑えることができた一輝だったのだ。 何か妙な胸騒ぎを覚えた一輝が、9ヵ月ぶりに自分のマンションに寄りついてみると、そこには、彼の最も嫌いな顔を首の上に乗せた少女が、所在無げに佇んでいた。 顔は氷河でも中身は違うだろうと、仏心を起こして部屋の中に入れたのがそもそも間違いだったのだ。 自分の最も嫌いな顔で、瞬と同じように涙をにじませて迫ってくる月香に、一輝はどう対応すればいいのかが全くわからなかったのである。 いずれにしても、月香の知りたいことは、一輝が彼女に告げていいことではない。 『ヒョーガより全然恐くない』などという不本意な月香の認識を覆したいという思いもあって、一輝は月香を怒鳴りつけた。 「帰らないというのなら、殴り倒してでも帰らせるぞ!」 一輝は、月香の襟首をつまみあげ、そのまま月香を玄関まで引きずっていった。 こういう時、月香の顔が氷河に似ているのは有り難いことだった。 瞬に似ていたら、こうはいかない。 「ったく。自分ひとりで食っていくくらいの覚悟もないガキが、一丁前に家出なんかするんじゃない!」 一輝にそんなふうに怒鳴りつけられた時、もしそれが瞬であったなら、瞳にじわりと涙をにじませて、『でも兄さん……』と一輝にすがっていただろう。 だが、月香は違った。 「だってっ! だって、私は、私のママがどんな人なのか知りたいんだものっ! 人間ってそういうものでしょう! 自分がどこから来てどこへ行くのかって、誰だって知りたいことじゃない! それくらい教えてくれたっていいでしょ! 私、自分の母親が何者だって嘆いたり恨んだりしないわよ! 泣きもしなけりゃ、怒りもしない。私はただ、私の母親が誰なのかを知りたいだけなの! 私のママが、ヒョーガにとって、シュンにとって何者だったのかを知っておきたいだけなんだからっ !! 」 知ったら、今よりも瞬の愛情に感謝できるようになるかもしれない。 今より風人や花香の良い姉になろうと思えるようになるかもしれない。 月香はもとより、今の家族と距離を置くために真実を知りたいと思ったわけではなかったのだ。 「だからといって、瞬に心配をかけるような馬鹿娘は――」 「一輝っ! 貴様、うちの娘に何をする気だーっっ !! 」 一輝とて、いくら顔が氷河に似ているとはいえ、本気で月香を殴りつけるような真似をするつもりはなかった。 強面で脅して、月香をエレベーターに乗せ帰宅させようと通路を引きずっていっただけなのだ。 が、その目的地であるエレベーターのドアが開いた途端に辺りに響いた氷河の怒声は、既に一輝を犯罪者扱いしきっている声だった。 怒髪天を突いている氷河をなだめにかかった雪人の横で、瞬が切なそうな目を月香に向けている。 「月香おねーちゃん、いいなー。一輝おじちゃんに遊んでもらってるー」 「月香おねーちゃん、いいなー。私とふーちゃんも一輝おじちゃんに遊んでもらいたーい」 ほぼ深夜に近い時刻。 いつもなら眠っていなければならない時刻のお出掛けというので、双子はいつにも増してハイテンションである。 二人は、久し振りに会った“一輝おじちゃん”の腕に向かって、塀を駆け登ろうとする猫のように飛びついていった。 「い……家出娘の迎えはわかるが、なんでチビたちまで連れてきたんだ」 突然飛びついてきた二匹の仔猫に面食らいつつ、それでも両腕で軽々と二匹を抱きあげて、一輝が瞬に尋ねる。 瞬は、月香を見詰めたまま、だった。 「お姉ちゃんが泣いてるから、早く迎えに行こうって、風人と花香が夜中にベッドから起きだしてきたんです」 「ほう。さすがは兄弟だな。姉の苦衷を感じとったか」 「あのねぇ。僕とはなちゃん、一輝おじちゃんが困ってるのもわかったよ」 「だからねぇ。私とふーちゃん、早く行って助けてあげなきゃって思ったの」 双子は、自分たちの救援の手が間に合ったのが嬉しいのか、しきりに一輝の頬や髪をつまんではしゃいでいる。 「そうか。チビたちは利口な上に優しいな。訳も聞かずに怒鳴りつけてくる、どっかの金髪男とは大違いだ」 まとわりつく双子の小さな手を払いもせず、ちらりと厭味な視線を氷河に投げてから、一輝はそのまま通路から室内に逆戻りした。 氷河の怒りと瞬のすがるような視線から逃れるように、月香が慌ててその後を追う。 そうして結局、氷河とその一家は、全員が一輝のマンションの内に収まることになったのだった。 |