「兄さん……。兄さんは最初から知ってたの?」
「ん? ああ、いや、俺もおまえの歳にここに家出してきたクチだ。おまえやふーやはながヒョーガとシュンの子だってことはわかってたが、俺自身はシュンに似たところを自分のどこにも見つけられなかったもんでな」
「なに……?」
初めて知る長男の家出の事実に、そろそろ氷河は疲労を覚え始めていた。
雪人は、自分の息子にしては適度に分別のある出来のいい子だと思っていただけになおさら、である。

「俺がもし、シュンとは血のつながりがないんなら、俺がシュンを好きになったって何の問題もないよなー……なんて思ったもんでさ」
「なんだとぉーっっ !! 」
これは疲労になど支配されていていい事態ではない。
雪人の告白に、氷河は我を失った。
顔がそっくりなのはともかくも、男の(!)趣味まで似ることはないではないか。

雪人の襟首に伸ばされかけた氷河の腕を、双子にまとわりつかれた一輝の手がふいに掴みあげる。
「家庭内暴力はやめておけ、氷河。雪人は、3年前に俺が殴っておいた」
「なにっ!」
「殴りやすいツラだったもんでな」
風人を肩車し、花香を右腕にぶら下げた一輝は、『おまえに雪人を殴る権利があるか』と言わんばかりの態度で、氷河を睨みつけた。

「暴力はだめー。そんなことしちゃだめだって、シュンちゃんがいつも言ってるー」
「痛いのはだめー。自分だって痛かったら嫌でしょって、シュンちゃんがいつも言ってるー」
一輝に止められたからではなく、躾の行き届いた双子にデュエットで咎められたせいで、氷河は不承不承振りあげかけていた腕をおろした。

「に……兄さん……」
戸惑ったような弟の視線を受け止めて、一輝がほんの少し目を細め微笑する。
「話はついたんだろう? そろそろ帰った方がいい。DNAより愛情の方が、より強く人を結びつけるものだってことは、月香もわかってるさ。おまえたち家族がそういうものだってことも、な。それに……双子はおねむだそうだ」

風体に似つかわしくない単語を使って、一輝は右腕にぶらさがっていた花香を、瞬の前にぬっと差し出した。
「はい、兄さん……」
DNAより愛情の方が、より強く人と人を結びつける――。
瞬は、初めて雪人をその腕に抱いた時、その事実に気付いたのだった。
そして、DNAに取り憑かれ、遺伝子研究に没頭していた自分を恥じた。
自分の手の中にある、愛しい小さな命。
だが、その命を瞬に与えてくれた氷河との間に、瞬は愛情以外のどんな絆も持ってはいなかった。氷河と瞬の間には、愛しかなかったのだ。

多分、氷河は最初からわかっていたのだろう。
瞬が気付いていなかっただけで、おそらく氷河は心の中で、『それだけでは駄目なのか』と、いつも瞬に訴えていたのだ。
自分にそっくりな金髪の赤ん坊を抱きしめて微笑む瞬を見詰める氷河の眼差しは、ひどく寂しげで悲しげだった。
それでも、瞬が望むように、瞬のために、自らのDNAを提供までしてくれた氷河の苦しみを、15年前のあの日、瞬は初めて知った。
『ごめんなさい、氷河……! ごめんなさい……!』
謝ったりしなくても、氷河は最初から瞬を許してくれていた。
それがわかっていたからなおさら、瞬の涙は止まらなかった。

氷河と自分を出会わせてくれたのは、DNAではない。
氷河がこれほどに深い思いで自分を包んでくれるのも、DNAの力ではない。
そして、自分がこれほど氷河を恋しているのも、DNAの魔力のせいなどではないのだ――。
多分、その瞬間に、瞬はDNAの呪縛から解放された。
そして――氷河の愛情という別の呪縛に絡みとられてしまったのである。

逃れようとしてもがいても、決して逃れることのできない罠にも似た呪縛。
それは、これ以上の充足も幸福も歓びも他の場所では見い出せないと瞬に信じさせてしまうほど、優しく甘やかな呪縛だった。
それからずっと――そして今でも――瞬はその甘い罠の中にいる――。

「……シュンちゃん、そんなにヒョーガが好きなの……」
瞬の腕の中でまどろみかけていた花香が、半ば寝言のように呟く。
「……ヒョーガ、そんなにシュンちゃんが好きなんだね……」
一輝から奪い取るようにされて氷河の腕の中に収まった風人のそれも、ほとんど寝言に近かった。

「あー、ほんとにおねむなんだ。ごめんね、ふーちゃん、はなちゃん。私のせいで……」
月香と雪人が、すーすーと寝息を立て始めた双子の顔を覗き込み、その可愛らしい寝顔に我知らず微笑みを洩らす。
DNAの呪縛から解放された瞬が、それでも次の子を欲しがったのは、氷河が意外なほど雪人を可愛がってくれたからだった。
瞬がDNAなどに囚われていないのであれば、氷河にとって雪人は、自分と瞬の幸福を倍増しにしてくれる愛すべき子供であったらしい。
『瞬の子でなかったら、誰がこんなこと!』
そう言いながら、雪人のおしめを取り替えてくれる氷河が、瞬は微笑ましくて愛しくて仕方がなかったのだ。


「じゃ、兄さん、僕たち、これで……。夜中に大勢で押しかけてきてごめんなさい」
「ん」
本当は、氷河も瞬も一輝も、言いたいことはまだ山ほどあったのだが、眠りに落ちた双子を気遣って、それ以上は口を開かなかった。
囁くように『おやすみ』と『さよなら』を告げて、氷河と瞬とその子供たちは一輝の部屋を辞したのである。
一輝のマンションの駐車場の上には、やはり囁くようにきらめく秋の星座が横たわっていた。






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