「おはよ、シュン。兄さん、ふーちゃん、はなちゃ……えっ !? 」
翌朝、ダイニングで、ぐるりと見渡して視界に入った順に朝の挨拶を投げかけた月香は、そこに思いがけない人物の姿を見つけて目をむいた。
「ヒ……ヒョーガーっ !? 」
夕べあれから、ひどく満ち足りた気持ちで帰宅した月香は、短くはあったが心地良い眠りにおち、そして爽やかに目覚めた。
朝というのは昨日とは違う新しい一日の始まりなのだと、今朝ほど実感したことはなかった。
その新しい一日の新しい光の中に、月香は兄とは別の金色の髪を見い出したのである。

昨日までと変わりばえせず、愛想のない、どちらかといえば仏頂面。
しかし、月香には、自分より早く起きて身支度さえ済ませている氷河の姿は、晴天の霹靂以外の何物でもなかった。
「どっ……どーしたのーっ、ヒョーガがこんな時間にちゃんと起きてるなんてーっっ!」
月香の素っ頓狂な声に、爽やかな朝にふさわしくない不機嫌そうな氷河の答えが返ってくる。
「ふん。普段からおまえらをちゃんと監督していないと、トンマなガキ共が阿呆なことを思いつくということがわかったからな。今まで俺は、俺と瞬の子供が馬鹿のはずがないと決めつけて、間抜けなガキ共を信用しすぎていたと反省したんだ」
馬鹿の阿呆の間抜けのトンマのと、ひどい言葉を羅列する氷河に、瞬が困ったような顔をする。
だが、瞬は氷河を咎めはしなかった。
氷河の不器用な口の悪さは、素直でない愛情表現なのだということを、月香はわかってくれているということが見てとれたから。

「ヒョーガはねー、おにーちゃんとおねーちゃんが心配だから、早起きすることにしたんだよー」
両手で掴んだ水色のマグカップでホットミルクを飲みながら、風人が言う。
「ヒョーガはねー、シュンちゃんが泣くのを見るのがいやだから、早起きすることにしたのー」
同じくピンク色のマグカップでホットミルクを飲みながら、花香も言う。
氷河は幼い双子を見て、さも感心したように頷いた。
「ふーとはなは小さいのによくわかってるな。ヒョーガはいつも家族のことを考えているんだぞー」

氷河は、自分と瞬の子供なら、それくらい察することができて当たり前――という認識でいたが、瞬は双子の言葉に驚いた。
まだ4つになったばかりの双子に、瞬は氷河の早起きの理由を『お天気が良くて気持ちよかったからでしょ』としか説明していなかったのだ。
瞬の疑念を、これまた勘良く察したらしい二人が言う。
「僕、わかるもん。ヒョーガの周りの空気があったかく光るもん」
「私もわかるもん。シュンちゃんのはピンク色だもん。シュンちゃんがいる時は、家中が桜の花の色になるもん」

二人の言葉に、さすがの氷河も驚いて瞬と顔を見合わせる。
氷河と瞬は、子供たちに、自分たちが聖闘士などというモノをしていた(いる)ことを話したことはなかったし、小宇宙について教えたこともなかったのだ。
雪人と月香が、氷河と瞬の戸惑いをよそに、双子の言葉に興味を示して身を乗り出す。
「へえ。オーラとか気とか、そういうやつかな」
「ふーちゃん、はなちゃん、それって、その人の気持ちとか考えてることまでわかるの?」
兄と姉の問い掛けに、二人はこっくり頷いた。
「うん、わかる。月香おねーちゃんは、今、とっても幸せでうきうきしてる」
「ちょっとなら、離れててもわかるよね。雪人おにーちゃんは、今、ちょっと……え……っと、胸がきゅんってしてるの」

3年前こっそり家出した時に抱いていた瞬への切ない思いと共に目覚めていた雪人は、図星を突いた花香の言葉に瞳を見開いた。
が、すぐ気を取り直して、花香の頭をぽんぽんと叩く。
「へー、すごいな、ふー、はな」
「ほんとほんと、大当たり!」
風人と花香は、兄と姉に褒められて気を良くしたらしい。
ぱっと笑顔になって、更に言い募った。

「あのね、それからね、昨日、一輝おじちゃんのとこで、シュンちゃんが泣くの見て、ヒョーガがとっても辛い気持ちになったのもわかったよ」
「それからね、一輝おじちゃんとこ行くまで、ヒョーガが月香おねーちゃんのこと、とっても心配してたのもわかったの」
にこにこしながら告げる双子の言葉に、月香は思わず感動を覚えてしまったのである。
氷河は本当に、見かけによらず家族思いなのかもしれない。
瞬だけしか見ていないようでいて、ちゃんと子供たちのことを思っていてくれるのだ――と。
しかし。
月香の感動は長くは続かなかった。

「でも、変だよねえ、はなちゃん。ヒョーガは毎晩シュンちゃんを泣かせていい気持ちになってるのにね」
「うん、ふーちゃん。シュンちゃんも変だよね。いつもはヒョーガに泣かされて喜んでるのにね」
「…… !! 」
「…… !! 」
「…… !! 」
「…… !! 」
不思議そうに顔を見合わせる双子以外の家族が、揃ってピキン☆と凍りつく。
次の瞬間、瞬は真っ赤になってストロベリーソースのビンのフタを床に落とし、氷河は手にしていたカップのコーヒーをテーブル一面にぶちまけた。

「ふっ……ふーっっっ !! 」
「は……はなちゃんっ !! 」
ビンのフタも零れたコーヒーも、この際問題ではない。
氷河と瞬は光速を軽く超える素早さでもって、自分たちの為すべきことをした。
すなわち、氷河は風人の、瞬は花香の口をふさいだのである。
自分たちの口にしたことの意味が全くわかっていない風人と花香が、押しつけられた氷河と瞬の手にきょとんとする。

氷河と瞬は、とりあえず双子の口をふさいでから、恐る恐る雪人と月香の方に視線を向けた。
雪人と月香は――無言、だった。
月香はかじっていたパンを皿の上に戻し、布巾を取ってきて、氷河がぶちまけたコーヒーを黙って拭き、雪人は瞬の落としたビンのフタを拾いあげ、しっかり水洗いして元のビンに嵌めた。
そうしてから、再び自分の席に戻ると、もくもくと朝食をとり続け、やがて食べ終わり、席を立つ。
それから二人は、双子を取りおさえたままの氷河と瞬を、ちらりと一瞥した。

「ヒョーガもたまには親らしいこと考えるんだって見直しかけてたのに、ったく」
「これからはもう少しいい子になろうなんて、殊勝なこと考えてたのに、ヒョーガってサイテー」
当然というべきか、不思議なことにというべきか、雪人と月香の非難は氷河ひとりに向けられていた。
が、氷河には事情の説明も弁明の仕様もなかった。
へたに口を開けば、その先に待っているのはドロ沼である。
瞬の用意しておいたランチボックスを持って雪人と月香がダイニングを出ていくのを、氷河と瞬は全身を硬直させたまま見送った。

やっと氷河と瞬の腕から逃れ出た双子が、罪の意識のない声で、氷河と瞬に報告する。
「雪人おにーちゃん、すっごく怒ってたー」
「月香おねーちゃん、すっごくあきれてたよー」
それは、小宇宙を感じとることのできない人間にも容易にわかることだったろう。
「ふー、早く来い。置いてくぞー!」
「はなちゃん、幼稚園、遅れるわよー!」
玄関から、雪人と月香の声が響いてくる。
風人と花香は、弾けるようにダイニングを飛び出して、幼稚園バッグを肩にかけると、兄と姉の元にぱたぱたと駆けていった。

「ヒョーガ、シュンちゃん、行ってきまーす」
「ヒョーガ、シュンちゃん、行ってきまーす」
綺麗に重なった二つの声が、ダイニングにいる氷河と瞬の元に届けられ、
「おにーちゃん、待ってー」
「おねーちゃん、待ってー」
やがて、遠ざかっていった――。






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