雪は一向に止む気配がなかった。 天気予報の自信に満ちた断言通り、夜半過ぎに降りだした雪は、関東には珍しく、あまり水分を含まない粉雪だった。 当然、気温は急激に降下する。 雪と氷の聖闘士の誕生日にはふさわしい夜――だったろう。 今日の主役であるはずの氷河が城戸邸に戻ってきた時、だが、彼の誕生日はとうの昔に終わってしまっていた。 その日の午後、兄の部屋から姿を消してしまった瞬を捜して、彼はずっと外を駆けずり回っていたのだ。 一輝と共に短い外出を終えて城戸邸に戻ってきた瞬が、一向に自室に戻る気配がないのに焦れた氷河が天敵の部屋を訪れた時、そこに瞬の姿はなかった。 時刻は3時をまわっていただろうか。 そこに目指す人がいないことを知って、さっさとその場から立ち去ろうとした氷河を、瞬の兄が呼び止める。 「氷河。おまえ、瞬に何を言ったんだ?」 「……」 問われて答えられるようなことを言ったのだったなら、瞬はとうの昔に氷河を許してくれていただろう。 それなりの時間を与えても返事を返す気配を見せない金髪の仲間に向けられる一輝の視線は、瞬へのそれと同質のものだった。 すなわち、親鳥のそれ、である。 「……瞬はああ見えて、恐ろしく強靭な心の持ち主なんだ。貴様や俺など足元にも及ばないほどに」 「知ってる」 そんなことは、今更言われるまでもないことである。 だからこそ、瞬は誰にでも優しい。 そして、その瞬がここまで頑なに氷河を許そうとしないことが、氷河に己れの失言の深刻さを訴えてくるのだ。 ともかく、今更教えられるまでもないことを、よりにもよって一輝に言われ、氷河は思いきり気分が悪くなった。 そんな氷河に、一輝が言葉を続ける。 「俺は、瞬があんなに傷ついた目をしているのを初めて見た」 「……!」 穏やかな口調で氷河の胸を抉るような言葉を口にした一輝は、それ以上言うことはないと言わんばかりの態度で、氷河の上から視線を逸らした。 一輝の部屋を出た氷河は、そして、その足で瞬の部屋に向かったのである。 自分が軽い気持ちで言った言葉――否、それは決して軽い気持ちで言った言葉ではなかった。 が、確かに、浅慮な言葉ではあった――に、瞬はそれほど傷ついた。 自分が、瞬にとって、瞬をそれほどまでに傷つける力を持った存在だということを、氷河は初めて、痛いほどに自覚した。 傷ついた瞬の心を少しでも癒すことができるのなら、土下座どころか、何回死んでも構わない! と、そんな思いで、氷河は瞬の部屋の扉を開けたのである。 「瞬!」 しかし。 そこに、求める人の姿はなかった。 一刻も早く瞬に謝りたかった氷河は、逸る気持ちを抑えきれずに、広い城戸邸を隅から隅まで捜しまわったのである。 そうして、彼が見付けることができたのは、瞬が今、邸内にはいないという事実だけ。 氷河はその結論に辿り着くと、蒼白になってしまったのだった。 瞬が強いことは知っている。 だが、その強さは、張り詰めた糸のようだったり、豊かさをたたえた海のようだったりと、その時々で異なるのだ。 海は果てることはないが、糸は切れることがある。 事実、以前、殺生谷で、仲間である星矢をB・アンドロメダに傷つけられた時、瞬の強さの糸は切れてしまったではないか。 あの時は幸いなことに(?)瞬の前にはB・アンドロメダという敵がいて、瞬は、表面化した自分の弱さを敵に向けることで、自分自身を保つことができた。 しかし、今は――。 今は、瞬の前に敵はいないのである。瞬が自らの心を守るため、自分自身を傷つけないと誰に言えるだろう。 その可能性に思い至った途端、氷河は、矢も楯も堪らず城戸邸を飛び出していた。 とにかく、一刻も早く瞬を見付けだし、浅はかな男のせいで傷ついてしまった瞬の心を抱きしめてやらなければならない。 瞬の許しを得ることができるのかどうかすら、今の氷河には大した問題ではなかった。 誰よりも強いくせに硝子よりも繊細な瞬の心を守りぬくことが、もし自分にできなかったとしたら、自分が瞬の側にいることに何の意味があるだろう。 何の意味もない。 何の意味もないのだと、氷河はそれだけを考えていた。 |