氷河は、確かに最初のうちは瞬を気に入っていたのである。 瞬の造り主は気に食わなかったが、瞬は確かに出来のいいロボットだと、氷河は認めざるを得なかった。 自分よりはるかに年下の少年の姿をした瞬を母親と思うことは到底無理な話だったが、瞬との生活は実に心地良いものだった。 だがそのうちに――氷河は瞬に苛立ちを覚えるようになってきたのである。 原因は瞬の口癖――『氷河がそう望むなら』――だった。 瞬はロボットである。 その愛情もプログラミングされたものなのだから、人間に逆らわないというのは当然のことなのだろう。 しかし、瞬はロボットなのだという意識が希薄だった氷河に、それはひどく不愉快な言葉として響いてきたのである。 その日、氷河は以前2、3度会ったことのある女からの恋人口調の電話を受けて機嫌が悪かった。 こちらが必要としていない時に連絡を入れてくる女の図々しさに苛立っていた。 その会話をちょうど部屋に居合わせた瞬に聞かれることになったのが、氷河の不機嫌に拍車をかけた。 だから、目の前にいる瞬に、完璧に掃除された部屋を指し示して、 「掃除をしなおせ」 と言ってしまったのである。 馬鹿げた命令だという自覚はあったし、当然、瞬は渋ってみせるものだと思ってもいた。 だが、瞬は、 「……氷河が望むなら」 と言って、不満の表情ひとつ浮かべずに、ぴかぴかに磨きあげられた床を磨きだしたのである。 「……」 氷河は、一瞬呆けてしまった。 これは母親ではない――と思った。 こんなことをするのは人間ではないとも思った。 最初からわかっていたはずの事実に、氷河は強いショックを受けたのである。 それまで、瞬との生活が心地良かっただけになおさら、その衝撃は大きかった。 瞬の眼差しの優しさを、ロボットのそれだと思ったことがなかった氷河に、瞬がロボットだという事実はひどく苦いものに感じられたのだった。 それから、氷河は瞬に理不尽な命令を繰り返すようになった。 そのたび、瞬は戸惑いを見せたり、悲しそうな目をすることはあっても、結局はその理不尽な命令に従ってしまう。 瞬は、氷河にとって、気に入りの同居人から、不可解な“もの”に変わっていった。 それでも、氷河が瞬との生活を続けていたある日――氷河が瞬と暮らし始めて半月も経った頃――のことだった。 氷河の家に一人の客人があった。 一言で言うなら、“暴漢”という類の人間である。 氷河の仕事は、いわゆる経営コンサルタントと呼ばれる種類のものだったのだが、そのやり方は強引かつ容赦がないので有名だった。 氷河と契約を結んでいる企業に、自分の会社を吸収合併という形で乗っ取られた経営者が、そのプランニングをしたのが氷河と知って、怒りに身を任せ乗り込んできたのである。 いきりたつ男を見下して、氷河は、 「このネットワーク時代に、俺のシステムやデータベースを破壊しようとするならともかく、こんなアナログな方法で報復を企むあたり、貴様の経営方針は時代遅れなんだ」 と、罵倒した。 氷河には腕に覚えがあったし、それ故、震える手でナイフを握りしめている五十絡みの男など、氷河は全く問題にしていなかったのである。 男が飛びかかってきたとしても、数秒で事は終わっていたはずだった。 「僕の氷河に何をするのっ!」 瞬が、そう叫んで、氷河の暴言に我を失った暴漢と氷河の間に入ってさえこなかったら。 「ば……馬鹿、どけ、瞬、邪魔だっ!」 飛びかかってくる男の腕を掴み捉えようとしていた氷河の腕は、瞬を庇うために動く羽目になった。 タイミングを狂わされ、自分の身だけでなく、瞬の身も庇わなけれはならなくなった氷河は、思わぬ劣勢を強いられることになったのである。 無論、足手まといが一つ二つ増えたところで、結果に変わりはなかった。 しかし、そのことがあってから、氷河は、瞬に――代償を求めず、我が子のために、ためらいもせずその身を投げ出し、決して我が子に逆らうことのないロボットに――愛憎半ばした思いを抱くことになったのだった。 |