氷河が、瞬の屋敷で城戸の後継ぎに会ったのは、瞬を知って半年ほどが経った頃。 季節は春になりかけていた。 「──客か?」 まるで打ち解ける様子はなかったが顔見知りになってしまっていた瞬の家の使用人の一人を捕まえて、氷河は尋ねた。 瞬の家に客が来ることは滅多になく──実際氷河は、これまで一度もそういうものに遭遇したことがなかった。 瞬の家を訪れる客は、氷河ひとりと決まっているようなものだった。 そのただ一人の客もまた客らしからぬ客で、大抵は案内も乞わずに勝手に瞬の居間に入り込み、主人よりも主人らしく横柄な態度をとっていたのであるが。 ともかく氷河は、瞬の屋敷の玄関先に停められているロールスロイスを見て、あまり良い気分にはならなかったのである。 瞬の許を訪れるのは自分ひとりきりだという一種の特権を、他人に侵害されたような気になったせいで。 おまけにその車は、いつも氷河が車を停めておく場所に停められていた。 大型車を10台は余裕で収容できる車庫にでも、むやみに広い庭園のどこにでも車を停めることはできるだろうに、なぜ よりにもよってそこなのかと、氷河は会う前からその客を嫌な奴だと決めつけていたのである。 「もうあなたにお会いする気はないのだと、幾度申しあげたら おわかりになるんです! お忙しいお体でしょう。こんな世捨て人の住まいのようなところにいらしている暇がおありなら、どこかの会社の一つでも買収していらした方が余程有意義ですよ」 「その世捨て人が魅力的なのでね」 「僕のような子供に、なぜ あなたほどの方が執着なさるんです!」 「『あなたほど』だなどと、本当は少しも思っていない高貴な 珍しく、瞬が声を荒げている。 客間の前を通り過ぎ 瞬の居間に向かおうとしていた氷河は、客間のドアの前でふと足を止めた。 「あなたには関係のないことでしょう!」 「妬いているんだ。君は悦に入っていればいい」 「わざと僕が嫌がることをして、楽しんでいらっしゃるのだとしか思えません!」 応対が、どこかいつもの瞬と違う──と、氷河は思った。 それは、普段の瞬なら軽く いなしてしまえるような会話だった。 氷河は、こんな切羽詰まったような瞬の声を聞くのは初めてだったし、兄のこと以外で声を荒げる瞬に遭うのもまた、これが初めてだった。 「友人が来ることになっておりますので、もうお帰りください」 「本当に、ただの友人なのか」 「お帰りくださいっ!」 半ば叫ぶように“友人ではない客”を怒鳴りつけ、瞬は、その男が自分の命令に従いやすいように、親切にも客間のドアを開けてやったものらしかった。 長い廊下に、ドアが壊れるのではないかと思えるほど大きな音が響き渡り、ちょうどその前にいた氷河の視界に客間の様子が飛びこんでくる。 「氷河……!」 立ち聞きの現場を押さえられて気まずい思いをすることになるのは氷河の方のはずだったのだが、先に彼から視線を逸らしたのは瞬の方だった。 さりげなさも装えずに、瞬は、そこに氷河がいることにひどく慌てていた。 「氷河……どうして……」 「どうしてと言われても……。約束通りだろう? 金曜の午後6時。そっちの客の方が飛び込みなんだ」 戸惑った色の瞬の瞳から視線を逸らし、氷河が不躾な客の方を見やる。 “不躾な客”は、その場に突然現れた瞬の“ただの友人”に目をとめ、そしておもむろに眉をひそめた。 「おまえ……まさか、氷河……?」 「貴様……!」 「氷河……?」 二人の客人が互いに知り合いらしいことを知った、この家の主人が、交互に二人を見詰める。 「氷河…… 「……」 氷河は何も答えなかった。 代わりに“不躾な客”の方が、突然大声で笑い出す。 笑いながら彼は、瞬の腕を乱暴に掴みあげ、その身体を引き寄せると、瞬の顔を上向かせ、ふいに険しい顔で彼を睨みつけた。 「こんな可愛い顔をして、城戸の男を二人も たぶらかしていたのか、瞬?」 それは、猫撫で声に近かった。 目許や唇に酷薄そうに皮肉めいた笑みを浮かべる“友人でない客”の表情に、ぞっとしたのだろう。瞬は、城戸稔の視線から逃れるように、その顔を背けた。 そうしてから、瞬が、かすれた声で 呪われた名を口にする。 「“城戸”の……?」 自分がその名に結びつけられること、城戸の男が瞬の身に触れていることの不快に我慢できなくなって、氷河は つかつかと室内に入り込み、客の手から瞬を奪い取った。 「汚い手で瞬に触るな! 俺は城戸とは何の関わりもない!」 「そうもいかんだろう。父はいまだにおまえを探させている」 「俺は城戸の雇われ管理職になどなるつもりはないし、自分が城戸の一員だと思ったこともない!」 どさくさに紛れてしっかりと瞬を抱きしめている氷河の顔を、瞬は そっと見あげてきた。 まもなく瞬は気付くだろう。 瞳の色、髪の色、そして、表情と印象を除けば、瓜二つと言っていいほど、瞬の友人と 瞬の友人でない二人の男の面立ちが似通っていることに。 氷河は、音がするほど強く奥歯を噛みしめた。 「血の繋がった兄弟という事実は否めないのではないか? 私とおまえは好みまで似ているらしい。面白い話だな。欲しいものは必ず手に入れる城戸の男が、同じ者を奪い合うことになるわけか」 「俺は母だけの子だ! 城戸の血など、俺の中には一滴も入っていない。欲しいものを手に入れるためには手段を選ばずの貴様たちとは違う!」 だからと言って瞬を渡すつもりはないのだと、言葉で告げる代わりに、氷河は更に強く瞬の肩を抱きしめた。 おそらく たった今、氷河の肩に顔を埋める格好で、懸命に、二人の城戸の男の会話の意味を考えているのだろう瞬の肩を。 「それに……俺と瞬はそんなものじゃない。ただの……友達だ」 氷河のその言葉に、瞬の肩が大きく びくりと震える。 城戸稔はそれを認めて、口元に含むような笑みを浮かべた。 「──瞬には気の毒だが、それは賢明なことだ」 「どういう意味だ」 「深い意味などないさ」 城戸稔の 意味ありげな口振りが、いちいち神経に障る。 人を不愉快にする技にかけては、彼は超一流のものを持っていた。 だから氷河は、それを いつもの彼のやり口――いかにも裏がありそうな素振りを見せることで 相手を苛立たせ、冷静な判断力を奪い、自分が優位に立つための手練――だと思っていた。 氷河は知らなかったのだ。 城戸稔が、事実、圧倒的に自分の優位にいることを。 一回りも歳が違うはずの二人は、一見対等に渡り合っているように見えた。 だが、城戸稔は圧倒的に氷河の優位に立っていたのだ。 彼は、氷河の知らないことを知っていた。 |