「僕は――友だちでいれば、友だちとしてなら、僕は 氷河の前に綺麗なままでいられると思ったの。僕は、氷河の前で 清廉潔白な僕でいたかった……」
二人がやっと自分を取り戻すことができたのは、これだけ恋人の熱をもらえれば、少なくとも明日一日は生きていられるだろうと――今すぐ死んでしまうようなことにはならないだろうと思えるほど、互いを奪い合い、与え尽くしたあとだった。
正気に戻った瞬が、今更――氷河の前で悲しい懺悔を始める。
まだ熱の残っている瞬の身体――その熱は氷河から奪ったもの、あるいは氷河によって与えられたものかもしれなかったが――を抱き寄せ抱きしめ、氷河は僅かに からかいの響きを帯びた声で、
「たった今も、おまえは清廉潔白だと思うが」
と応じた。
もちろん、全く本気で。

「おまえなしでは生きていけないほど おまえに恋焦がれている男に抱きしめられるのも、そう悪くはなかっただろう? お友だちごっこは もうやめよう。俺には無理だ。俺はおまえを愛して――」
「僕……何度も稔さんの言いなりになりました」
互いに すべてを さらけだし、あれほど幾度も一つになることを繰り返し、もはや離れて生きることは無理だということを確かめ合ったあとだというのに――だからこそ? ――瞬は、恋人の前で自分が清廉潔白であることを望んでいるらしい。
それが、瞬に恋焦がれている男を苦しめるだけの行為だということも知らずに。

だが、瞬のために――氷河は、その懺悔を聞く覚悟を決めたのである。
自分が生きていくために、どうしても必要な大切な人。
多少つらい思いをさせられても、耐えるしかないではないか。
瞬なしではもう一瞬たりとも生きられないと、一片の疑いもなく思ってしまえる自分が ここにいるのだから。
「そうか」
瞬の唇は甘いのに、語る言葉は苦い。

「僕はあの人が嫌いでした。兄を捜し出すことを交換条件に僕を自分のものにしたいと稔さんが言ってきた時には、本当にぞっとしました。でも、僕はどうしても……どうしてももう一度兄に会いたかった」
「ああ」
氷河の指に 優しく やわらかく絡みついていた瞬の髪が、今は悲しげに揺れている。
「そのうちに気付いたんです。稔さんが兄を捜し出してきてくれるのは 彼が僕に飽きた時で、それまでは──彼が僕のことを良い玩具だと思っているうちは、決して彼は兄を見付け出してきてはくれない。たとえ見付け出すことができたとしても、そのことを撲には知らせてくれない──と。それがわかっていて、でも、僕は……」
すべて、城戸の男が悪い。
「僕は一人になるのが恐かったんです」
もっと早くに瞬を見付けてやれなかった自分が悪いのだ。
氷河は瞬を責める気にはなれなかった。

「だが、離れようとしたんだろう?」
「あれ以上 彼に情人扱いされることに耐えられなかっただけです!」
氷河の兄に身を任せずにいられない弱さを克服して彼から離れようとしたのではなく、そういう事態に甘んじていることを 自分のプライドが許してくれなかっただけなのだと、瞬は言い募る。
それは、つまり、たとえ兄のためにでも、どれほど孤独に苛まれていても、瞬が城戸稔を愛せなかったということで、氷河には瞬の告白は快いものだったのである。
氷河は、むしろ、
「僕は兄を待たなければなりません」
という瞬の言葉にこそ、より苦いものを感じた。
瞬のために、もちろん氷河は、
「一緒に待つ」
と言ってやらなければならなかったのだが。

「僕は永宮の庶子です。母を亡くして行き場がなくなりこの家に引き取られた僕を、兄だけが庇い愛してくれました。それでも僕は庶子だということで、理不尽な扱いをされることがあって──父が僕を認知せずに他界してしまった時、兄は、永宮の血を引く者が僕ひとりになれば、この世界にも僕の居場所ができるだろうと考えて、ある日、この邸から姿を消してしまったんです。でも、正当な永宮の後継者は兄だけなんです。だから──」
「待ち続けるのか」
「……」

瞬はそれには答えず、ただ切なそうに眉を曇らせた。
「氷河だけがいればいい……と、僕は氷河に言うことはできません。氷河に会うまでずっと、僕は兄だけを支えにして生きてきました。その思いが消えることはないと思います」
「構わない」
それでも、そう言い切るのは氷河には つらいことだった。
恋する者の常として、瞬には自分だけを見ていて欲しいと、本当は氷河も望んでいた。
「それでもいい。おまえを見ていられるのなら」
今は瞬は自分の腕の中にいるのだ。
どうやら瞬の懺悔と告白はそれですべて終わったらしいことを見てとって、氷河は瞬に再び身体を重ねていった。

「俺はおまえを慰めてやれる」
「慰めて……?」
秘密を秘密のままにして 恋人を騙し続けることもできない、残酷で正直な恋人。
瞬は、その肌や肉の方が ずっと正直だった。
恋人の指や唇に触れられるだけで すぐに熱を持ち、潤み、指や唇だけでは足りないと、それらは正直に氷河に訴えてくる。
「そうだ」
甘い言葉、愛と欲望をたたえた眼差し、二人が もう離れることはないのだという証。
それが欲しいと、今すぐ欲しいと、瞬の正直な肌が訴えてくるのだ。
「かわいそうな瞬。だが、これからは俺がずっと側についていてやるから、もう大丈夫──と、な」
もちろん、氷河は、瞬が求めるものを瞬に与えてやった。

「もっと言って……」
瞬の唇が正直になる。
「みんな忘れるんだ。俺がおまえを守ってやる」
「もっと……氷河……」
「俺はおまえを愛しているんだ」
「氷河……」
本当に正直になった瞬が、その唇に甘さを取り戻し、その髪に やわらかさを取り戻す。
心と身体の両方が同時に満たされる経験を、瞬はこれまでしたことがなかったのだろう。
瞬は驚くほど正直に、悲しいほど正直に、それを氷河に求め続けた。
そんな瞬が、氷河をも満たしてくれる。

母を失ったその時から、決して満たされることのなかった喪失感を、瞬を手に入れることで、氷河は初めて忘れ去ることができた。
そうして彼は、そんなふうな瞬との時がこれからも──少なくとも瞬の兄が瞬の許に帰ってくるその時までは──続くだろうと思っていたのである。
よもや、初めて瞬の心と身体を確かめ得たその翌朝に、瞬の兄が自分の前に姿を現わすことになろうとは、氷河は思ってもいなかった。






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