「瞬。国境の気流を止めてくれ。俺はもう“世界を破滅させる力”を望まない。俺は、この国を出ようと思う」
実際、この世界に幸福な生活を営んでいる人間が存在しているかもしれないなどということを、氷河は、この国に来るまでは考えてみたこともなかった。
それゆえ、世界を滅するという自分の望みを否定する人間はいないだろうと彼は確信し、だからこそ 彼はその力を手に入れたいと希求したのだ。

「氷河……ど……どうして……?」
だが、“世界を破滅から救う力を持つ者”は“世界を破滅させる力を得る者”よりも強大な力を持っていたものらしい。
“世界を破滅させる力”を手に入れる前に、氷河は“世界を破滅から救う力を持つ者”に屈してしまったのだった。
「氷河、この国が嫌になったの? 戦さがしたいの? “世界を破滅させる力”が欲しかったんでしょう?」
「――おまえをも消してしまうような力なら、いらない」
「でも、氷河、ここが気に入ってるみたいで……。そ……それに、外の国に待っている人はいないって、氷河、言っていたじゃない……!」

戦さの中での身の処し方なら、知識も経験もあり余るほどに持ちあわせていたが、瞬が自分を引き止めようとする理由を察するだけの才覚の持ち合わせは、氷河にはなかった。
そして、戦さに関すること以外で人に嘘をつく術も知らなかった氷河は、いたって朴訥に、そして正直に、瞬に告げたのである。
「待っている人間などいなくても、戻らなければならない。ここにはもういられない」
「な……何か気に入らないことがあったの? 僕に? この城に? それともこの国に…… !? 」
暮れなずみ、城の中庭に斜めに差し込む陽の光のように、氷河は言葉をためらった。
それが、口にしてしまって良いことなのかどうかが、彼にはわからなかったのだ。

「――欲しいものを手に入れることができない」
薄暮に反応して、中庭の灯石が輝きを発し始めている。
「欲しいものって !? 僕、取ってくるよ! 外の国にしかないのなら外の国から、僕、取ってくるから……!」
まだ弱々しい灯石の光、いよいよ微弱になっていく暮れの陽光。
瞬の瞳は、そのどちらよりも輝いている。
引き込まれそうな錯覚に、氷河は襲われた。

「この国にしかない。だが、俺のものにすることはできない。見ているのが……つらいんだ」
「あげるよ、氷河! この国のものなら、僕、なんだって氷河にあげるから!」
それが──氷河の欲しているものが何なのかも知らずに、必死に訴える瞬が可愛くてならない。
その人間離れして曇りのない瞳や細い肩を、もしただの一日でも自分のものにすることができるのなら、その代償として何を失っても構わないとさえ、氷河は思った。

「無理だ」
だが、それを我がものとしてしまうには、あまりにも──あまりにも何もかもが、この小妖精と自分とでは違いすぎる。
戦さの中に生れ、戦さの中で日々を過ごし、それゆえ血にまみれている自分の手の中で、瞬が息付けることがあろうとは、氷河にはどうしても思えなかった。
「何なの? 氷河の欲しいものって何なの? 何だってあげるよ! ほんとだよ、氷河……!」
瞬が必死になって訴えるのは、それが何なのかを知らないからである。
知ってしまったら、瞬はいったい何と言うのだろう――?
氷河は、瞬を落ち着かせるために、それを口にした。
透き通った緑の瞳を見詰めながら、多分に自虐的な気分で。

「──おまえだ」
「……え?」
瞬の反応は、なかなか可愛らしいものだった。
瞳を大きく見開いて、とんでもないものを欲しいと告げた男を、ぽかんと見詰める。
「それを俺に差し出すのは、無理……だろう?」
否とも応とも答えを返してくれない小妖精に微苦笑を投げ、氷河は踵を返した。






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