「おまえが子を残さなかったら、“世界”はどうなるんだ?」 神殿を出ると、東の空は既に白み始めていた。 氷河の問いに、瞬が僅かに顔を伏せる。 「“世界を破滅させる力を得る者”も“世界を破滅から救う力を持つ者”もいなくなるだけです。多分、こんな重荷を負った人間は、僕と氷河が最後でしょう。僕は──少女ではありませんから……」 「……」 初めて会った時、瞬が自分に「女性なのか」と尋ねてきた訳を、氷河はやっと理解した。 が、今更そんなことに言及しても、どうなるものでもない。 氷河はそれ以上は何も言わなかった。 王宮の入口に来ると、瞬はその場に立ち止まり、氷河を振り返った。 「ごめんなさい、氷河。結局一晩付き合わせてしまいました。あの……今からでも、少し 瞬が、いったん言葉を切り、唇を噛む。 「それで、その後、もし……もし、どうしても氷河がこの国を出たいというのなら、僕、あの気流を止めます……!」 瞬の両の瞳から、自覚していない涙の雫がこぼれ落ちる。 いくらこれまでの人生を戦さ三昧に過ごしてきたとはいえ、氷河にもその涙の意味くらいは理解できた。 氷河は、そして、別離を悲しむそんな涙とは別の涙を、瞬の頬に散らしてみたいと思ったのである。 「おまえの……おまえの部屋で 「氷河……」 氷河のその言葉に、瞬の心臓は大きく波打った。 そんなことが許されるのかという怖れと、氷河のこの国を出ないという決意──それは、瞬には夢のような幸福に思われた──のために。 だが、その前者を拒み、後者だけを望むのは、虫の良すぎる話なのだろう。 否、たとえ氷河の望みを拒んでも、氷河はこの国に残ってくれるのだろうことが推察できるが故に、瞬は氷河を拒絶できなかった。 「ぼ……僕……どうすればいいのか知らないんです…」 頬を薄紅に染め、瞬が蚊の鳴くような声で言う。 「俺だって、おまえをどう扱えばいいのか、わからん」 氷河は、抑揚のない声で告げた。 「……」 瞬は、氷河の“世界を破滅から救う力を持つ者”が少女でないことを言っているのだと思って、辛そうに眉を寄せ、顔を伏せた。 それを察して、氷河が言葉を補う。 「恭しくガラスの人形を扱うように愛すればいいのか、それとも俺の心と同じように、激しく乱暴にしてしまって構わないのか」 瞬は俯いたまま瞳を見開き、それからゆっくりと顔をあげた。 僅かにためらってから、唇を震わせ、小さな声で告げる。 「僕……氷河の“心”を知りたいです……」 そのための儀式だというのなら、怖れの感情を振り払うこともできる──そう、瞬は思った。 「……こっち……」 瞬は氷河の手を取り、王宮の一番奥にある自分の寝室へと彼を ドアの前に小さな気流を作る。 それで誰もその部屋には近付けなくなる。 近付かれたくない秘密が行なわれていることが、多分兄には知られてしまうだろうが、それは致し方のないことだった。 瞬のその様子を見て、氷河は微かなためらいを覚えていたのである。 瞬に――人間離れして無垢な瞳を持ったこの小妖精に――こんなことをさせて良いのだろうか、と。 もしかしたらそれは、瞬に失望と嫌悪をもたらすだけの行為なのかもしれないというのに。 「……瞬。もし、おまえがいやなのなら……」 氷河は、もう一度、それを拒否する機会を瞬に与えようとした。 瞬が、それを遮る。 「この部屋、岬の最先端にあるんです。窓の下は切り立った崖で、そのずっと下には海があって──だから、氷河は今、この部屋に閉じこめられてしまったことになります」 「瞬……」 「すっかり明るくなってしまいましたけど、いっそその方がいいのかもしれませんね。暗闇の中でどうやって、“心”を確かめあえるのか、僕、わかりません」 朝の光に溶け込んでしまいそうな微笑を、瞬が氷河のために形作る。 氷河のためらいは、それですぐに消えてしまった。 たとえば、無垢な心が何ものかに汚されることがあったとしても、それは、別の汚れた心の作用によってのみ可能なことだろう。 そして、氷河は自覚していた。 瞬を愛しいと思う自分の心には、何の打算もないという事実を。 綺麗だから、惹かれた。 人間と人間が傷付け合うことを素直に悲しみ、真っすぐに平和を望み、幸福の中で笑っていられる子供たちを翳りもなく見詰めていることのできる瞬に、氷河は憧れたのである。 「瞬、俺は乱暴にするかもしれない」 「え?」 「おまえが、この国にある他の何よりも綺麗に見えるから」 「……」 氷河はいたって真剣に言ったのだが、瞬は少しの間を置いてから、ぷっと吹き出した。 「氷河――って、意外に面白い人だったんですね。真面目な顔して、そんなこと言うなんて。僕の国には、美しいものがたくさんありますよ。氷河だって知っているでしょう?」 「おまえより美しいものは知らない」 「氷河、目が悪いんですか?」 「ちゃんと見えている。瞬がいちばん綺麗だ」 「……」 氷河が世辞など言えるタイプの人間でないことは、これまでの付き合いで、瞬もわかっていた。 どうやら氷河は本気でそう思っているらしいことを知って、瞬は不安そうに告げた。 「僕……ただの人間ですよ……?」 氷河に変に買いかぶられることが、瞬は恐かったのである。 それは大抵の場合、人に失望をもたらすものだということを、瞬は知っていた。 「信じられない」 氷河は、自分の認識を覆すつもりはないらしい。 「氷河、僕はほんとにただの──普通の人間です……!」 瞬は強く、氷河に訴えた。 氷河が、その手を取る。 「俺も、そういうものになりたい」 氷河は、そして、瞬の手首に唇を押しつけた。 「そうすれば俺は、いつまででもおまえの側にいる権利を手に入れることができるかもしれない」 そのままその唇を、手の平に――そして指先へと移動させる。 そんな愛撫をするのは、氷河自身初めてだった。 指の先まで、瞬がどうしようもなく愛しく思われたから、彼はそうした。 やわらかい髪、細い肩、滑らかな首筋、胸、唇、瞼、腕──。 「あ……」 氷河の唇の ことさらゆっくりとした動きに耐えられなくなって、瞬は部屋のドアに身をもたせかけた。 脚から力が抜けていき、それ以上立っていることが困難になって崩れ落ちかけた瞬の身体を、氷河の腕が抱きとめる。 固く目を閉じてしまった瞬を両腕で抱きあげ、寝台に運び、そうして、氷河は瞬に身体を重ねた。 二枚の白い布を交差させて身体を覆い それを幅広の帯で留めただけの瞬の衣類が、苦もなく氷河の手で取り除かれる。 朝の光にさらされた瞬の肢体に加えられる氷河の愛撫は、その宣言通り徐々に乱暴に強く激しく熱くなっていった。 瞬の唇から洩れていた吐息が、やがて狂おしげな声に変化する。 それまでは、それでもまだ瞬を傷付けないようにしたいという自制の心を幾らか自分の内に残していた氷河だったのだが、瞬のその声は氷河に火をつけてしまった。 “少女”以上に白く、手の平に受け止められ消えていく雪のように儚げな瞬の肌が薄紅に染まっていく様は、平和なこの国の清らかな統治者にそぐわないほど眩惑的で、刺激的だった。 羞恥心など感じていない振りをしょうとして、そして、あからさまな声を洩らすのを堪えようとして きつく噛みしめられている唇が、かえって嗜虐をそそるのである。 「氷河……?」 人が人を求めた時、表面に現れてくる獣性というものを、瞬は知らずにいたものらしい。 自らが“世界を破滅させる力”を与えた存在と一つになれるという、戸惑いの混じった期待にうっすらと染まっていた瞬の頬は、しばらくすると、怖れと怯えのために青ざめてきた。 それも束の間のこと、瞬はすぐに未知の感覚に惑い、さらわれ、陶然となっていったのだが。 無理な力によって身体を引き裂かれたその時にさえ、瞬の唇は自分に暴力を加えている男の名を呼び続け、瞬の指はその男の確かな存在を求め、さまよい、そして、瞬の身体は彼に最高の歓びを与えるために変化した。 熱を帯び、生気によって脈打ち、自分の内に受け入れたそれに歓喜を与えるために収縮を繰り返す。 自らの身体の変化が、氷河によって与えられた愛撫の故のものだということを知っているのかいないのか、瞬の胸は大きく波打ち続け、唇をついて洩れ出る瞬の声は、半ば喘ぎをのせた泣き声めいたものに変わっていった。 乱暴に激しく愛撫すればするほど、その内奥を抉れば抉るほどに、瞬が壊れてしまうのではないかという不安に捉われ、優しくしてやりたいとは思うのだが、少女のような面差しを苦しげに歪め、それでいて歓喜の色を漂わせている瞬を見ていると、氷河の気持ちは高ぶるばかりだった。 自分の意思で、この激しさを鎮めることはできそうにない。 (瞬……!) おそらくは瞬だけが、この朝の終わる頃に、穏やかに凪いだ時へと、氷河を連れていってくれるはずだった。 |