カナダグランプリ参戦のための移動は、プロジェクトHS、グラード・グランプリ共に、5月中旬に行なわれた。 氷河は、瞬や一輝の滞在ホテルをプロジェクトHSのスタッフに聞き出し、自らもそのホテルに乗りこんでいった。 とにかく氷河は、瞬と離れているのが不安だったのである。 プロスポーツ界と政界ほど風紀の乱れている世界はない。 瞬に妙な輩が手出しをするのではないかと思うだに、一輝ひとりに瞬のガードを任せておくのは、自らの精神衛生上、耐え難いものがあった。 もし一輝のガードが完壁なものだったとしても、それは自分が瞬の心を捉えることにはならず、となれば、この際多少の無理無謀を冒してでも、瞬の周りに攻防一体の陣を構えておいた方がいいだろうと、氷河は考えたのである。 氷河はこれまで“恋はされるもので、するものではない”的人生を送ってきていた。 他人の心を自分に向けるための苦労を知らずに、これまできたのである。 自分が瞬の心を捕えるために為していることが、正しく効果的なことなのかどうかということにさえ、氷河は自信を持てずにいた。 が、とにかく、マシンを操る際同様、 「瞬……!」 一輝と連れだってカナダ入りしてきた瞬を、氷河はホテルのロビーで出迎えた。 何故ここに氷河がいるのか合点できていないような顔をする瞬に何の説明もせず、氷河はまず瞬との再会を喜んだのだった。 「氷河……。どうしてここにいるんです? グラード・グランプリのチームのカナダ入りは確か明後日のはずですから、多分氷河はそれより遅くなると……」 「走るシケインを攻略するために、チームの奴等より先に来たんだ。調子はどうだ? 変な奴等に言い寄られたりなどしていないだろうな?」 「……走るシケインって、僕のことですか? 当たってますけど、言われて嬉しい言葉じゃありませんね」 氷河の失礼な言い草を適当に受け流しつつ、未だに氷河の出現の訳を瞬は理解しかねていた。 ライバルの気を散らそうというのなら レース直前が効果的であり、また、もし親交を深めるのが目的なのであれば、それはオフシーズンにでもまとめてすればいいこと。 氷河には こんなところまでライバルチームのドライバーを追いかけてくる必要などないはずなのだ。 「あの……僕、疲れているので、これで──」 触らぬ神に祟りなしを決め込もうとして、瞬は少し疲労を含んだ表情を作った。 それがわざとだということに気付いているのかいないのか、氷河はひたすらアグレッシブである。 「じゃあ、しばらく休んだら、そのあと、食事かお茶を一緒にしよう」 「……僕、ほんとに疲れているんです。眠りたいんです。ミーティングもありますし、いつ時間が空くかわかりません」 「俺は2、3日フリーだ。おまえが時間をとれるようになるまで待つ」 「ですから、いつどこでとお約束できないんですってば」 「呼んでくれれば、いつでも行く。いくら疲れていても、予定が詰まっていても、食事はとるだろう? その時、俺に連絡をくれれば、すぐに飛んで行くさ。そのために、同じホテルをとったんだ」 「は……あ……?」 氷河の意を汲みかねた瞬は、曖昧な返事をして、氷河をその場に残し、そそくさと兄と共にエレベーターに乗りこんだ。 「何を考えてい巻んでしょう……。変な人ですね。ドライバーとしては、さすがにトップクラスのドライバーだと思うし、時々感情的になることがないでもないけど、わりと論理的な走りをする人なのに……」 エレベーターのドアが閉じ氷河の姿が見えなくなると、瞬はおもむろに首をかしげ、兄に告げた。 「――」 一輝としては、瞬のその言葉に何のコメントをすることもできなかったのである。 マシンに乗っている時には、勘が良く、機転がきき、冷静かつ論理的なのは、瞬も氷河と同様であるが、マシンを降りると、その鋭敏さは今一つ鈍くなってしまうようだった。 氷河が何故ここにいるのか、その理由が全くわかっていないらしい弟を嘆くべきか安心するべきか――瞬の兄として、一輝は実に複雑な気分になった。 「星矢たちとおんなじで、氷河も日本語を喋りたいんでしょうか。ね、兄さん、どう思います?」 この見当違いなセリフを、氷河に聞かせてやりたいものである。 一抹の同情を氷河に感じつつ、かといって笑うも怒るもならなかった一輝は、素っ気なく弟に告げた。 「あまり気にするんじゃない。おまえは、金と兄の力でデビューしたという評判を覆すのが急務の新人で、他チームの者のことにかまけている余裕はないんだし、そのことは氷河もわかっているはずだ」 「はい、兄さん」 敬愛する兄の言葉に、瞬が素直に頷く。 氷河には悪いが、その手のことで、弟でもありチームメイトでもある瞬の心を、今、引っかきまわされるわけにはいかない。 一輝は、とりあえず、瞬の周りに防御壁を張ることにした。 |