「また……シベリアに行くの、氷河」 「ああ、しばらく帰ってくる」 「そう……」 彼はおそらく他の誰よりも自分に近しい人間だろう──他の誰よりも近しい存在になるだろう──。 そんな予感を否定されるのは、こういう時である。 「シベリアって、雪と氷しかないとこってイメージがあるんだけど、氷河、そんなとこに一人でいて楽しい?」 「故郷だからな、それでも。落ち着く」 「そう……なんだろうね。行ってらっしゃい……」 側にいる時には何を話すでもなく、触れ合うわけでもなく、だが、ただ側にいるというだけで、仲間としてであれ、そうでないものとしてであれ、通い合うものを感じるというのに、遠く、互いの間に長い物理的な隔たりがある時には、言葉も何もない仲間という繋がりがひどく頼りない。 言葉がなくてもいいのは、側にいる時だけだ──と、思う。 自分に向けられる氷河の視線に、温かさや熱っぽさ、切なさを感じ取ることができるからこそ、言葉がなくても彼の好意を確信できるのであって、一人遠くシベリアの地にいる氷河が、そこで誰を思っているのか、誰を見詰めているのかということは、瞬には察する術もない。 手を伸ばしても届かない場所にいる氷河の視線を追うことは、瞬にはできなかった。 「──帰れるところがあるって、いいね」 シベリアの白い大地は失った人の思い出に直結し、氷河が一定の期間を置いてシベリアに帰郷する事実は、彼がその思い出を求めていることを示している。 瞬は、氷河の故郷が嫌いだった。 |