「おまえ……あの部屋で兄に何かされたのか…?」
銀と白の月光の中で、シュンの身体が一瞬強張る。
シュンは、怯える子供からカタリ派完徳者に戻った――戻ろうとしたようだった。
「兄上が僕に何をするというんです」
戻りきれずに、シュンの声は微かに震えていたが。
「……」
ユーグはそれには何も答えなかった。
彼自身口にしたくない推測ではあったし、こういう場合、審問官は何も言わないでいる方が相手の心を引き出しやすい。
「兄上が何をするっていうの。何もしません。何もなかった。ただ僕が――」
ユーグの思惑通り、シュンは沈黙を恐れたようだった。
月の光の当たらない場所に立つユーグに、震える声で、言わずにいればいいことを言い募り始める。
「僕が勝手に怖がって、怖かったのに――毎日兄さまの目が怖かったのに、いつのまにか兄さまの部屋に行く夢を見るようになって、兄さまの……う…」
嗚咽に、シュンの告白が途絶えた。
「――」
ユーグは――そして、ユーグも、思いもよらないシュンの告白に声を失ったのである。
おそらくは、夜の闇と月の光、多くの同胞の血を吸った土の香り、何よりも兄その人の死が、シュンの心を乱し、その胸につかえていたものを吐き出させているのだ。
それは、夜の薄闇の中、判然と姿の見えない人間が相手だったから言葉にできた、シュンの告解だったのかもしれない。
何もかも知っている神に罪を打ち明けたところで、その罪は軽くならない。
人は、人に罪を打ち明けることで罪を贖う――贖ったような錯覚を得るのだ。
「僕は兄さまのためにカタリ派の慰藉式を受けたの。兄さまに罪を犯させたくなかったの。でも兄さまはそのために死んでしまった……。僕、わかってたのに……兄さまが僕にそんなことするはずないって、僕が望まない限りそんなことするはずないって――僕が……望まない限り――」
望みそうになっていたのか? ――と、尋ねることはユーグにはできなかった。
もし、その答えが肯定のそれだったとしたら、その答えによって苦しむことになるのは自分自身だということが、もうユーグにはわかっていた。
(兄の目に悩まされて、その目から逃れるために自分から兄の腕に飛び込みそうになって、あの部屋で、あの寝台で、兄に犯される場面を幾度も思い描いたのか……? この天使が……?)
「野の百合より清純そうな顔をして、毎晩兄に汚される夢に苦しみ悶えていたというわけか」
否定の言葉を期待して、ユーグはわざと嘲るような口調でそう言った。
だが、シュンは何も答えてはくれなかった。
告解を聞いてくれた男の影を見上げるその瞳は、涙と月の光で潤んでいる。
それ以上尋ねたくはなかった。追い詰めたくもなかった。だがユーグは、確かめずにいることもできなかったのである。
「おまえは兄を愛していたのか」
――と。
ユーグの声は乾いていた。
シュンの返答如何では、ユーグは嫉妬にかられてシュンに何をしていたかわからなかっただろう。
だが、シュンの答えは、信じられないほど意外だった。
「――愛が何なのか、僕にはわからない」
「……」
シュンの唇から零れ落ちた言葉に、ユーグは息を飲んだ。何と言えばいいのかがわからなかった。
この天使のような瞳をした子供は妙に複雑にできている――と、そう思った。
神に至上の愛を注がれて、同時に悪魔にもこの上なく愛されている――ような存在。
清純と汚濁、老成と未熟、神聖と冒涜、そして、光と闇。一人の人間の中に混合されて存在するはずのそれらのものが、シュンの中では、それぞれの概念そのままに、厳しいほど対立し合って存在している――。
この子供を愛するのは、この魂を抱きしめるのは、ひどく危険なことだと思わずにはいられない。
だが、だからこそどうしようもなく引き付けられて――。
(自分の中の闇を恐れて、戒律の厳しいカタリ派に入信したのか、この子供は……)
光の中にいたいと、汚れなきものでいたいと、シュンはあまりにも強く望みすぎたのかもしれない――。
「あ……あなたにはわかるの? これまでたくさんの人の命を奪ってきたんでしょう? それでも誰かを愛する術を知っているの? それでも神の愛を信じていられる? 僕は――僕には……」
わからない――と告げる代わりに、シュンは月の光の下で俯いた。
罪を犯すまいと努め、願い、そう思うほどに自分の穢れに気付いて、シュンは傷付いてきたのだろう。
この子供が何を求めているのか、ユーグにはやっとわかった。
他のどんな不純物も含まない、愛の概念そのままの愛。
自分の中に罪と闇を感じるからこそ、なお一層、シュンは絶対の愛を求めずにはいられなかったのだ。
――そうして、ユーグは覚悟を決めたのである。
どれほどの危険と苦しみが待ち受けているのかはわからない。
だが、抑えられそうになかった。
この子供の心と身体を抱きしめて、求められる限りの愛を与え、そして、人がどこまで行けるものなのかを見届ける――見届けたいと、ユーグは思った。
「あなたは知ってるの。愛がどんなものなのか」
「……ああ。わかるような気がする」
ユーグは低い声で囁くようにそう言うなり、シュンを引き寄せ、抱きしめ、その唇を奪った。
驚きに、シュンの瞳が大きく見開かれるのが、視界の端に映った。






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