深い眠りには夢もない。
そんな眠りは、シュンには数年振りのことだった。
目覚めると、そこは、十字架のある部屋ではなく、兄の寝台のある部屋でもなかった。
兄の寝室の続き部屋――昨夜ユーグが使っていた部屋の寝台の上に、シュンはいた。
以前並べられていた甲冑や武具の類はどこかへ運び出され、代わりに質素な寝台と木の卓が収まっている。
昨夜シュンが使っていた主寝室の方は、漆喰の壁も高価なタペストリーで覆われていたが、こちらの部屋はそれもない。
ユーグは、自分自身は簡素な部屋での寝起きを選び、既に死んだことになっているトランカヴェル家の生き残りには豪奢な部屋をあてがってくれていたことを――その豪奢な部屋の寝台の上等の絹の敷き布がシュンに悪夢をもたらすことも知らずに――シュンは初めて気付いた。
南西に向いた窓からは、少しばかりの陽光が室内に忍び込み始めている。
まだ時刻は朝早い。温まりきっていない夏の朝の空気が室内に満ちていた。
(あれは……夏の夜が見せた夢――?)
シュンはだるいばかりの身体を寝台の上に起こした。
夢だと思いたい記憶が夢ではないことは、シュンには最初からわかっていた。
あの生々しい狂気のような夢は、いつもシュンを悩ませていた夢とはあまりに違いすぎたのだ。
抱きしめられ、身体を愛撫されるだけの夢とは。
薄布を一枚だけ掛けられていたシュンの身体は他に何も着けておらず、その胸元や腕には鬱血に似た薔薇色の跡が残っている。
それが、自分の腹部や内腿にまであることに気付いて、シュンはかっと頬に血をのぼらせた。
「夢じゃない……」
夢のはずがなかった。
夢に見ようにも、シュンは、人と人との間にあんな交わり方があることさえ知らなかったのだから。
途端に、シュンの脳裏に、昨夜のユーグの唇や指や髪の感触が蘇ってくる。
それだけでまたシュンの身体は疼き出し、その疼きが、昨夜の自分自身の姿をもシュンに思い出させた。
「う……」
恥ずかしさより惨めさが、シュンに涙を運んでくる。
兄の城、兄の領地、兄の民、何よりも兄自身を自分の手から奪った男の胸の下で、夕べ自分がしたこと――喘ぎ、泣き、叫び、求め、あまつさえ――。
(僕は悦んでた……)
嫌悪をしか抱かずに昨夜のことを思い起こせていたら、どれほど自分に誇りを感じていられただろう。
そうすることができていたら、自分はまだ完徳者のままなのだと、汚れた行為に心まで委ねはしなかったのだと、胸を張ることもできていたに違いない。
だが――。
まさか、神の創造した魂が、あそこまで簡単に、悪魔の作った肉体の歓喜に引きずられるものだったとは――。
シュンは恐ろしかった。
自分が悪魔に魅入られているようで。
(僕が弱い人間だから…僕の魂が脆弱すぎたから……そのせいで兄さままで……)
「う……」
涙の雫が、掛け布を握りしめた手の甲に幾つも零れ落ちる。
どうしたら自分の弱さが招いた悲劇を贖うことができるのか、シュンにはわからなかった。
いつでもない、たった今、命を断ち、悪魔の作った器を壊してしまう以外、自分にできることが思い浮かばない。
だが、禁忌を犯して汚れてしまった魂を、神が快く天の国に受け入れてくれるとも思えなかった。
(どうすれば……どうすればいいの……)
すがれるものを全て失って、シュンは打ちのめされていた。
その時ふいに、兄の寝室につながる扉が微かな軋みと共に開かれた。






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