- 氷河と瞬 I -






「なあ、瞬。俺は絶対に そっちの方の趣味はなかったのに、どういう訳か、それが当然のことのように、おまえに惚れてしまったんだが──」
ラウンジから誰もいなくなると早速、氷河は瞬を振り返り、年中行事の“一方的な恋の語らい”を開始した。

瞬が『また始まった』という顔で、少々げんなりする。
「これはどう考えても、前世で俺たちが そうすることが当たり前のことのように迷いも ためらいもなく自然に愛し合っていて、それが現在の俺の心に作用しているのだとしか思えないんだが」
瞬が、読んでいた本のページから顔もあげず、答える。
「また、くだらないこと言い始めて……。僕は前世なんか信じてないんです。氷河もね! 生まれ変わりなんてものを信じるなんて、キリスト教徒にあるまじきことですよ。キリスト教には生まれ変わりの思想なんかないんでしょ。氷河のそのロザリオは ただの飾りですか」
「知らなかったのか? もちろん、ただの飾りだ」
「……」

あっさりと――あまりにも あっさりと そう言われて、瞬の肩からは がっくりと力が抜けていってしまった。
なんとか気を取り直し、仕方がないので、瞬は 氷河の相手をしてやることにした。
「百歩譲って、生まれ変わりなんてものがあると仮定しても、前世で僕と氷河が自然に愛し合ってたってことは、こうして生まれてくる前に、氷河が女だったってことですよ。スカートを穿いてる氷河なんて、僕、想像したくもありませんね!」
「……」
瞬がやっと自分の方を向いてくれたと喜んだのも束の間、瞬のとんでもない仮定文に、氷河は目を剥くことになった。

(フツー、そう考えるか?)
もちろん『自然に』などという言葉を不用意に使ってしまった自分が浅はかだったのだと思いはしたが、それにしても瞬の例え話はあまりに“不自然”にすぎる。
「あ、でも、絶対王政時代のフランスやオーストリアのきんきらきんのドレスとかなら、氷河、似合いそう」
「……」
が、瞬は、氷河のご意見ご感想には全くお構いなしで、どんどん話を進めていく。
「んー。でも、そしたら僕、きっと、氷河のツバメか何かですよね。やっぱりやだな、そーゆーの」
「うー……」
挫けそうになりながら、それでも氷河は懸命の抵抗を試みた。

「……瞬、その逆ってのは思いつかないのか」
「逆? 僕の方が歳上なんですか?」
瞬が、氷河の提案を、これまた氷河の望む方向とは逆の方向に解釈する。
「あ、そうですよね。その方が自然ですよね。やだなあ、僕、氷河は僕より歳上で背が高いって決めつけちゃってたんだ。生まれ変わりなら、氷河の方が僕より若い女の子で、それで身長も低いってこともありえますよね!」

ここまで言われれば、いくら瞬に首ったけになってしまっている氷河にも、瞬がわざと話の方向を氷河の望むそれからずらしているのだと気付く。
「んー、でも、やっぱり、それもいやだな。僕より若くて小さい女の子に迫り倒されるなんてカッコ悪いもの」
「瞬……」
無論、それがわかったからといって、瞬を責めることのできる氷河ではなかったのだが。
「そうだ、こうしましょう。僕はどっかの国のカッコいい王子様で、氷河はどっかの国の可愛いお姫様なんです。だけど氷河は茨で囲まれた高い塔の上に閉じこめられてて、僕に変なこと言えないし、できないんです。そうすれば、僕、平和にカッコいい王子様やってられるんですよね。やだな、どうして思いつかなかったんだろ」

「瞬〜……っ !! 」
情けなさも極まった氷河が、救いを求めて瞬の名を叫ぶ。
澄ました顔をゆっくり崩して、瞬は そんな氷河ににっこりと微笑いかけた。
「──って、そんな馬鹿な想像をされたくなかったらね、もうくだらない戯れ言を言うのはやめてください。生まれ変わりだの前世だの、そんなのを信じてるのは、今の自分の人生をより良く生きることの障害にしかなりませんよ」
「……」

瞬の主張が正論すぎて、氷河は不満を隠せなかった。
むすっとした顔になってしまった氷河を見て、瞬が溜め息を洩らす。
「たとえば……たとえばですよ。もし僕が氷河を好きになったとしても、それは今の氷河が好きだからで、こうして生まれる以前に氷河を好きだったからじゃないんです」
今度は、ちょっと嬉しい例え話である。
氷河はほんの少し気を良くした。

「『たとえば』なのか?」
「ええ。たとえば、です。僕、馬鹿なこと言う人は嫌いなんです。たとえ、それが事実だったとしてもね」
「事実が馬鹿なことなのか」
「そういうこともありえます。常識と事実が同一だったことなんて、稀にしかないでしょ。人類の歴史を振り返ってみても」
「それは確かに」
確かにそれは正しいものの見方である。
正しいものの見方ではあったが、しかし、氷河にとって嬉しいものの見方ではなかった。

「それにね。前世で恋人同士だったから、次の時にも当然 恋人になってくれるだろうって考えるのって、すごく図々しいことだと思いません?」
「……」
本当に、まったくもって、実に、非常に、嬉しくない考え方である。
「だからね、もうそんな話は無しにしましょう。僕だって、どうせ好きになってもらえるんだったら、前世からの惰性や延長で好きになってもらうより、今、ここにいる僕自身を好きになってもらった方が嬉しいもの」
「そんなことは言うまでもないことだろう。おまえは綺麗だし、頭もいいし、少々融通のきかないところはあるが、結局 他人に冷たくしきれない優しい心の持ち主だしな」
そう冷たくしないでほしいと暗に要求してくる氷河に、瞬は少しばかり口をとがらせた。
「それは僕が氷河に好かれていることの理由にはならないでしょ。誰にでも好かれる一般的な条件ではあるかもしれないけど」
「俺は至極一般的な男なんだ。あえて 不細工で馬鹿で冷徹な奴を好きになろうとは思わない」
「答えになってませんね」

瞬を理屈で納得させることは至難の技としか言いようがない。
氷河は、路線を変えることにした。
「──おまえ、俺が嫌いなのか?」
わざと落胆したような声を作り、瞬に尋ねる。
しかし氷河は、それで瞬の同情を引くことはできなかった。
瞬は、氷河の魂胆をしっかり見抜いていた。
「ですからね、馬鹿なこと言わないなら大好きですってば」
瞬が、これまた意識して作った天使のごとき笑みを浮かべ、氷河を見詰める。

そういう言い方はずるいと氷河は思ったし、実は瞬自身もそう思っていた。
受け入れることができないのなら、きっぱりと拒絶すればいいだけのことなのである。
そうすれば 氷河を中途半端な状態のままにしておくこともなくなるのだ。
だが、瞬にはどうしても、そのどちらかを選ぶことができなかった。
(僕、氷河を好きだよね……? きっと、絶対、本当に、氷河を好きだよね……?)
何かが瞬を引き止める。
何かが瞬をためらわせるのである。
それが何なのかは、瞬にもわからなかった。
そして、だからと言って、氷河を突き放してしまうことも、瞬にはできなかった。

「さ、そんな話はもういいでしょ。それより氷河、お茶でも飲みません? おいしいお茶いれてあげますよ。僕、最近やっと氷河の好みがわかってきたんです。甘い香りが駄目で、苦みのある方が好きなんですよね?」
「……ああ」
今日もどうやら自分が折れるしかないらしい。
氷河は瞬の腰掛けているソファの横の空間に身を沈め、肩をすくめるようにして頷いた。
瞬が、お茶をいれるために、手にしていた本を置いて立ちあがる。
ラウンジのドアを開けたところで、瞬は、そこにちょうどやってきた兄と鉢合わせをした。
ソファでふてくされている氷河と瞬とを交互に見やり、一輝が微かに顔を歪める。

「なんだ、氷河、貴様、また──」
「心配無用。今日もまた振られたところだ」
「ふ……ん」
一輝が唇の端を歪め、苦笑とも嘲笑ともつかない笑みを作る。
否、それが笑みといえるものなのかどうかも、氷河には判断しきれなかった。
それは、一輝がいつも見せる表情だった。
どう考えても、氷河が瞬を口説き落とそうとしていることを一輝が喜んでいるはずはないのだが、彼は一度たりとも、そのことで氷河を責めたり横槍を入れてきたことがない。
ただ瞬がうまく氷河をやりすごしていることを確認して、薄く笑うだけなのである。
それが、氷河には不可解でならなかった。
もっとはっきり言えば、非常に不愉快だった。
一輝の邪魔だてを望んでいるわけでは、決してないのだが。

「お茶をいれにいくところなんですが、兄さんもいかがですか?」
「ああ、俺はミネラルウォーターでいい。持ってきてくれ」
「もう、兄さんたら、いっつもそんなのばっかり! 僕の腕の振るいどころがないじゃないですか」
「そのうち じっくり堪能させてもらう。今日はいい」
わざと拗ねた顔をしてみせる弟を、兄が素っ気なくなだめる。

瞬は、おざなりな兄の慰撫に あっさり機嫌を直して、ラウンジを出ていった。
一輝がバルコニー近くにある肘掛け椅子に腰を降ろし、新聞を広げる。
ベタついているわけではないのだが、確かに一輝と瞬は仲の良い兄弟だった。
その兄が ご登場となると、今日はもう瞬を口説くチャンスはやってこないだろう。
氷河は新聞越しに一輝を睨みつけ、それから溜め息を一つ洩らした。
自分と一輝の間には、いつも妙な緊張感がある。
それがいったい何なのか、わかりそうでわからない。
なぜそうなったのか、思い出せそうで思い出せない。
苛立たしさに支配されながら、氷河は固く目を閉じた。






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