あれは誰……?
僕によく似た少女。
エンデュと同じ金色の髪の青年。
あの緑の谷はどこ――どこかで見たことのあるような――。
あの二人が幸福そうなのは、愛し合っているから?
あの二人が哀しそうなのは、愛し合っているのに結ばれないから?

手をのばせば触れ合えるほど近くにいるのに、あの二人を隔てているのは何。
神? 運命? 不安? それとも時間?
僕に、何か言ってる――?


語りかけてくるのが少女の方でも 青年の方でも――シュンは、その言葉を聞きとれないまま目を覚ますのが常だった。
その夢は、ヘリオスに再会する以前にはよく見ていた夢で――ヘリオポリスで暮らすようになってから、夢を見ること自体がなくなっていたシュンは、数百年振りにその少女と青年に出会ったのである。
(エンデュを見た時、どこかで会ったことがあるって思ったのは、あの夢の中の人に エンデュが似てたからなんだ……)

だが、いったいこの夢は何なのだろう。
あの少女と青年は、いったい誰なのだろう。
目覚めてからも、しばらくの間、シュンはぼんやりと夢の中の二人に思いを馳せていた。
(なんで、急に思い出したみたいに、こんな昔の夢を見たんだろ……。ヘリオスと眠ってる時には、見たこともなかったのに……)
しかも、今夜の夢は以前の夢と違っていた。
自分に似た少女の哀しげな眼差しが、自分シュンを責めているように、シュンには思えたのである。
彼女が何を言いたいのか、何を悲しんでいるのかわからないことが、シュンをも悲しい気持ちにさせた。

(……夢でもいいから……エンデュに会いたいな…)
胸騒ぎに似た思いが強まって、まだ夜も明けきっていないというのに、瞬は暗い部屋を後にした。
聞き取ることのできない言葉に急き立てられるように、まだ夢の中にいるような感覚に包まれながら。
そして、夢の中の少女に背中を押されているような思いに捉われながら。

シュンは、エンデュミオンに会いたいと思っただけで、彼に会うつもりはなかった。
まだ夜の明けやらぬヘリオポリスの庭は白い靄で満ちていて、シュンは本当に、自分が夢の中を歩いているような錯覚に捉われていた。
だから――白い靄の中に、金髪の青年が佇んでいるのを見た時、シュンは その人を あの夢の中の青年だと思いさえしたのである。

あの少女が哀しげだったのは、この青年と触れ合えないから――この青年に『愛している』と告げることができなかったから――そんな気がして、シュンはゆっくりと、朝靄の中に佇んでいる青年の側に歩み寄っていった。
その青年は 他ならぬエンデュミオンその人だったのだが、シュンは、夢の中の青年がエンデュミオンになってしまったことに奇異の念も覚えなかった。

「――どうして僕は、エンデュより先にヘリオスに会ってしまったんだろう。どうして僕は エンデュに会ってしまったのに、ヘリオスを忘れてしまえないんだろう。エンデュ、知ってる?」
「同じ時間の流れに生まれても、おまえがヘリオスから永遠の時間を与えられなければ、俺たちは、こうして出会うこともないまま、違う場所で死んでしまっていただろう。俺たちは、おそらく待ちきれなかったんだ。同じ時間の流れの中に、俺たち二人が同時に生を受ける次の機会を」
「辛抱強くその時を待っていれば、僕はヘリオスを傷付けずに済んだのかな……」
「それは、誰にもわからないことだ」
「うん……」

あれほど会えないのが つらいと思い、会ってしまったら きっと冷静ではいられないだろうと思っていたエンデュミオンと、意外にも穏やかに言葉を交している自分を、シュンはぼんやりと訝った。
「これ、まだ夢の中なのかな。夢だから、僕、こんなでいられるのかな……」
それこそ夢見るように呟くシュンに、エンデュミオンがほんの少し驚いたように目をみはる。
しかし、すぐに 彼は頷くともなく頷いた。

「これは、あの夢の続きか……」
「あの夢、エンデュも見たことあるの? 僕、死ねなくなってからずっと、あの夢見てなかったんだよ。――それとも、見てたのに忘れてたのかな……。あの金髪の人、エンデュに似てるよね」
「俺は、永遠を手に入れてからも、ずっとあの夢を見ていた。だが、最初は、あの少女とおまえがそっくりだということに気付かなかったぞ。あの少女はいつも生き生きと輝いているのに、初めて会った時のおまえは、まるで人形のように無感動な目をして、俺を見ていたからな」
シュンは微かに苦笑した。
「だって僕、泣いたり悲しんだりできなかったんだもの。そんなことをしたら、ヘリオスを責めることになるもの」
「……そうか」
僅かにエンデュミオンの眉が曇る。
シュンは、それには気付かなかった。

「ねえ、これはほんとに夢?」
「ああ、多分」
エンデュミオンの声がいつになく優しくて、シュンはうっとりし始めていた。
「いい夢だね。僕、今度エンデュに会ったら、もう会えないって言わなきゃならないんだって思っていたのに」
「なぜだ」
「なぜって……だって僕のために何もかもを捨てた人を一人ぼっちにはできないでしょう」
「奴は一人でも生きていける男だと思うが」
「でも、哀しいもの、そんなの」
「……」
それは、シュンの偽らざる気持ちなのだろう。
エンデュミオンは、返す言葉を見付けられずに黙り込んだ。

シュンの視線は一点に定まらず、揺れ続けている。
「……なんだろ。僕、くらくらする。エンデュ、どうしてそんな哀しそうな目してるの。笑ってよ」
「無茶を言うな。おまえがこの手から擦り抜けていこうとしているのに」
シュンの身体がぐらりと揺れる。
エンデュミオンは慌てて その身体を支えた。
「変だな、ほんとにくらくらする。夢の中だからかな。目眩いなんて、僕の身体に起こるはずないのに。僕の体調がおかしくなるなんてことは ありえな……」
まるでエンデュミオンの手がシュンの身体に触れるのが何かの合図だったかのように、シュンはそのままエンデュミオンの腕の中で意識を失ってしまっていた。

「シュン! おい、シュン、どうしたんだ !? 」
ぐったりしているシュンの身体を揺さぶり、エンデュミオンは幾度もシュンの名を呼んだ。
それは、あってはならないことなのである。
永遠の命と若さを約束された者が、身体に異変をきたして倒れるなどということは。

起きてはならないことが起きている――。
シュンを抱きあげ、多少躊躇を覚えないでもなかったが、太陽神殿の石段を上りかけたエンデュミオンは、石段の上にヘリオスの姿を見い出して、その足を途中で止めることになった。
低い声で、吐き出すように言う。
「いつもシュンを見ているんだな、貴様は」
ヘリオスがそれには答えず、足早に石段をおりてくる。
「どうしたんだ」
「わからん。急に倒れた」
「馬鹿な」

ヘリオスが、シュンの顔を覗き込む。
顔色はさほど悪くはなかった。
「ともかく、寝台へ。横にした方がいい」
「いいのか。俺が運んで」
我ながら くだらないことにこだわっている――と、エンデュミオンは思っていた。
が、ヘリオスも、その件を気にしていないわけではなかったらしい。
「私に渡せと言って、素直に君がそうしてくれるなら、私としてもその方がありがたい」
「そうだろうな」
納得するだけ納得して、無論、エンデュミオンはヘリオスにシュンを渡すことはしなかった。
そのまま、ヘリオスの案内で神殿内に入る。

朝の光が満ちてきたシュンの居室の寝台に、エンデュミオンがシュンを静かに横たえるのと、異変に気付いたセレネがその場にやってきたのが、ほぼ同時だった。
「どうしたの、いったい。私、てっきり、あなた方が恋の鞘当てをしているせいで騒がしいのだと思って、見物にやってきたのに」
「冗談を言っている場合じゃない。シュンが急に倒れたんだ」
「倒れた……って、何かに躓いて?」
冗談にしか聞こえないセレネの言葉に、エンデュミオンは彼女を睨みつけた。
だが、セレネは冗談を言っているつもりはなかったのである。
彼女は、そんなこと以外に、シュンが“倒れる”理由が思いつかなかっただけだった。
が、寝台に横たえられているシュンの姿を見て、セレネは真顔になった。

「アポロンを呼んだら? まがりなりにも医術の神よ」
「シュンの身体に何か起こっているとでもいうのか。本来なら 眠りすら必要のないシュンの身体に!」
ヘリオスの声が苛立たしげなのは、シュンに永遠を約したはずのゼウスが、もしかしたら約束をたがえたのではないかという不信と、そのためにゼウスの息子に頼るなど論外と思う憤りのためだったろう。
セレネが、なだめるように 兄に言う。

「不死の神々でさえ、神酒ネクタル聖餐アンブロシアを断たれれば力は衰えるのよ」
「シュンは、そのネクタルやアンブロシアすら必要としない身体なんだ……!」
「では、身体の不調が原因ではないということだわ。ゼウスは私たちティターン神族を目の敵にしてはいるけれど、神としての誇りと自負は誰よりも強い神ですもの。神と神の誓約を貶めるようなことはしないでしょう」
「……」
身体の不調が原因でないというのなら、それは心の問題だということになる。
ヘリオスは口にしかけた言葉を飲み込んで、妹を見やり、それからシュンの青白い瞼の上に視線を落とした。
シュンは“人間”に戻りたがっているのだ。
その思いの強さが、神と神の誓約が持つ力を凌駕しつつある。

(シュン……)
苦しげな眼差しを、ヘリオスはシュンに向けた。
エンデュミオンが、そんなヘリオスを睨みつける。
エンデュミオンにとって、ヘリオスは、シュンのために太陽神としての神格を捨てたという、ただそれだけのことで、シュンを独り占めし、シュンの心を傷付け続けている卑劣な暴君だった。

シュンは、それから丸一日、眠り続けた。
まるで、夢の中にあるはずの答えを いつまでも探し続けているかのように――。






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