それからまた数時間。

それまで、どこからか入ってきていた陽の光が完全に消えた。
トンネルの中は、マウンテンバイクのライトだけ。

「日が暮れたみたいだ」
「雨も止んだだろーな。いかにも夕立だった」

俺はもう奴等に逆らおうなんて気はほとんど失せて、トンネルの隅に膝を抱えて座り込んでいた。


「……大人しくなったな」
「疲れたんだろうね。僕たちもちょっと休もうか」
「あーあ。コスモを小さく燃やす方法を訓練しとくべきだったぜ」
「はは、そうだね」

俺にはわからねー会話を交わして、奴等は、俺が座り込んでいるのとは反対側の岩壁に寄りかかった――らしかった。
俺は顔をあげて確かめる気力もなかったが。


「瞬…?」
「……氷河、大丈夫かな。取り乱してなきゃいいんだけど」
「そりゃあ、取り乱してるさ。今頃、俺の瞬が星矢にユーカイされた〜って怒りに燃えてるだろ」
「そんなだったら、僕も安心してられるんだけど」

また、ヒョーガだ。誰だ、それは。
こんな状況にある人間にこんなに心配されてるなんて、余程情けねー奴なんだろーが。


「お…おい。おまえら怖くねーのか。死ぬかもしれないんだぞ」

俺が奴等にそう言ったのは――多分、何か話してることで不安を紛らせたかったからだ。
話す内容は何でもよかったんだ。
こいつらが、俺の存在を忘れてないってことが確かめられさえすれば。

「大丈夫。助かります」
「そんな安請け合いが信じられっかよ」
「すみません。僕、今、疲れているんです。その話は後で……」

瞬のその言葉が、俺を見捨てる言葉みてーに聞こえて、俺は恐くなった。
こいつらに見捨てられたら、俺はどーなる?
ここで、誰からも無視されて一人で死んでいくのか?
このトンネルの外での俺がそうだったように。

俺は、その時、最後の気力を振り絞った――んだと思う。
瞬に無視され、見捨てられるのは――俺にとっては、世界から見捨てられるのと同じだった。反抗者としてでも、救いようのねーバカとしてでも、何でもいいから、瞬に俺の存在を認めていてほしかった。

「おまえら、楽観的すぎねーか!? 少しはまともに現状を認識しろよ! このままだと俺たちは死ぬぜ。 十中八九、間違いねぇ。俺たちはここで飢え死にす――」

「いい加減に……!」

それまで、ヒョーガとやらを心配して消沈しているようだった瞬が、すっくとその場に立ち上がり、俺を睨みつけた。

俺が、その時、どんなに嬉しかったか。
多分、瞬には永遠にわからねーだろう。


「いい加減にしてくれないかっ! あなたは絶望することしか考えられないのかっ! 僕は死ねないんだっ! 僕には、僕が死んだら、そのせいで死んでしまう人がいるんだからっ! あなたにだって、あなたが死んだら悲しむ人がいるだろう! その人たちのために生きることだけを考えていたらどうなんだっ!」

「……!」

「僕は死ねない! あなたを見捨てて、自分たちだけ助かることもできない! だから、僕たちは3人とも生き延びるしかないんだ! 死ぬかもしれないなんてことは、死ぬとわかった5秒前から考え始めればいい。今は生きることだけ考えるんだ! いいか、今度そんなことを言ったら、僕はどんな手を使ってでも、あなたを黙らせるからなっ!」

「瞬!」

激昂して俺を怒鳴りつける瞬の腕を、星矢が掴みあげる。
星矢は、そして、取り乱した仲間の肩を軽く揺さぶった。

「瞬……落ち着けよ。氷河は大丈夫だってば。俺たちがここに閉じ込められて、まだ1日も経ってないだろ。きっと今頃は、苛々しながらおまえを捜しまわってて、まだ良くないこと考えて落ち込んだりなんかしてねーって」

星矢の、奴にしては落ち着いた物言いに、瞬は我に返ったようだった。
瞬はすまなさそうに、俺に謝ってきた。

「すみません……。僕はどうかしてる」
「…………」
「すみません。あなたも心配してくださってるご両親やお友達の気持ちを考えたら、冷静でなんかいられませんよね。本当にすみません……」
「…………」

俺は――それまで、親のことなんか少しも考えてなかった。
自分がどうなるかって不安で一杯で、俺を心配してくれる人間がいるかもしれないなんてことは、これっぽっちも。
いや、きっと、お袋なんかは、俺のこと心配してもいねーだろう。
一晩二晩連絡も入れずに俺が家に帰らねーってのはよくあることだったし、どーせまた勉強もしねーでどこかで遊び歩いてるんだろーくれーに考えて、親父に愚痴でも言ってるに決まってる。

「でも、心配してくれている人のためにも、死ぬことは考えないようにしませんか? 助かった時、その人たちに『助かると信じていたから不安はなかった』って、笑って言ってあげたいでしょう?」

「俺は――」

俺は、別に人のためになるよーなこともしてないし、マトモな友達もいねーし、彼女がいるわけでもない。俺がいなくなったって、誰も困ったりしねーだろう。
誰一人。

俺は、そのことにぞっとした。
俺は誰からも必要とされてない人間なんだ。

でも、きっと。
俺が死んだら、お袋は、どうしよーもねーバカ息子のために泣くだろう。
そう思えることが救いで、俺は、昨日まではうっとうしいだけと感じていたお袋の顔を、どこか懐かしいような気持ちで思い出した。

「空腹で良くないことしか考えられないんですよね、きっと。――星矢、ポポロン、あげてくれる?」
「ああ」

星矢は心配そうに瞬を見て、それから、俺に気の毒そうな視線を向けてきた。


俺は、なんとなく思った。
こいつらには多分、自分たちだけなら助かる道があるんだ。
なのに、俺がいるからそれができねーでいる。
俺のために我慢してるのに、俺が馬鹿野郎だからやりきれないでいるんだろう。
――それも当然のことだ。





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