仲間たちとそこに足を踏み入れた時、瞬を迎えたのは、妙に甘ったるい小宇宙だった。 強大ではあったが、胸がむかむかするほど甘い小宇宙。 『おまえが、他の黄金聖闘士になぶり殺しにされるよりは……』 『苦しまずに死ねた方がよかったかもしれない……』 『優しすぎたのだ……より人間的すぎたのだ……』 不快だった。 ひどく不快な小宇宙だった。 不快な小宇宙の余韻が天秤宮に満ちていた。 その小宇宙の主が、氷河の師・水瓶座の黄金聖闘士のものだと知らされて、瞬の不快感は更に増したのである。 そうやって、甘やかして甘やかして、責任を取れないと感じた途端に命を奪う。 そういう“大人”もいるものなのかと、師は、腹立ちを抑えることができなかった。 それが氷河の師なのである。 そんな、身勝手な男が。 我が子に辛い現実を知らせたくない――そんな理由で子殺しをする親とどこが違うのかと、瞬は、氷の棺を見て思った。 親とは、師とは、子に、あるいは自らの弟子に、乗り越えられる日を待つ者――である。 その日を迎えるために、自らの力と経験を、子に、弟子に与え尽くす者。 その日を待てない親は、師は、親たる資格、師たる資格のない者だろう。 子が間違った道を歩んでいるのなら正してやればいい。 子が辛い目に合っているのなら、励ましてやればいい。 子が挫けそうになっているのなら、立ちあがる術を教えてやればいい。 それをせずに、子の命を絶つ者は、自分の育てた子を信じない、つまりは自分自身を信じていない愚かな存在である。 子に乗り越えられるその時を怖れ、我が子を食らうサテュルヌスのように。 確かに、親は、無意識のうちに子の成長を怖れるものだろう。 愛情という美しい力だけが、その怖れを克服させてくれる。 その愛情を、カミュは取り違えているのだ。 そして、そんな師に屈する子供――棺の中に間違った愛情で閉じ込められた、無力な子供――。 |